王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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たとえば、純愛と肉欲という2項分類なんかはこの典型。現実の恋愛やセックスには、この2項では分類できない「肉体的資質」とか「技術」の問題が大きなウェイトを占めているのに、この部分を論点にしなくても言説が成立しちゃうわけです。
で、フィジカル、テクニカルな問題に触れない言説の、一体どこがリアルなんですかね? ネガ・ポジとか、テーゼ・アンチテーゼの2項分類なんて、典型的な精神病患者の思考法じゃないですか。善と悪とか、資本家とプロレタリアートとか、勝ち組と負け組、モテと非モテも一緒ですよ。もちろん、男と女もね!
現実は2つに分類可能な要素が複雑に絡み合って構成されているされているわけではなくて、元々複数の要素が絡み合っているから複雑なんですよ。私には、複雑なものを複雑なまま受容することが出来ない人間の気持ちが分かりせんよ。だって、わざわざ「2つ」に限定して分類を行う必然性がまったくないんだもん。つまり、2つに分けたがるのには、内面的な必然性があるんですよ。心の病気っていう必然性がね。
紙屋先生がこの書評で言及している北村透谷なんて、ただの鬱病患者か分裂病患者じゃないですか。でも、マンガ評論に限らず、たいていの創作系の評論で作者と精神病の関係については言及されませんよね? それってリアルなんですか? 私は全然リアルじゃないと思いますよ。
で、リアルな話に戻りましょう。
執拗に繰り返しますけど、リアルなセックスの問題に常に横たわっているのは、「肉体的な資質」とか「技術」という、恋愛と肉欲という2項では分類不能な要素です。もっと分かり易く説明すると、セックスが下手くそな人間にとって、セックスをするのはネガティブな体験、あるいは欲望の一方通行にしかならないんです。これは、男女を問わず起こりうる問題ですが、女性に顕著に表れやすいという特徴があります。
何故かというと、女性は妊娠可能年齢と肉体的成熟、この場合はセックスで感じられる年齢にタイムラグがあるからです。小児性愛者の主張と異なり、現実の女性は男性に較べると性的な成熟が遅い、というのが生物的な人間の特徴なんですね。もちろん、例外的な女性も存在します。その例外とは、初めからセックスで感じることの出来る資質を持った女性と、性的に成熟した年齢に達しているにもかかわらず、セックスでは感じることの出来ない女性です。更に、後者のケースは、元からセックスに対する資質がないために感じられないケースと、今まで付き合ってきた男性が下手くそだったために開発されていないケースに分類できます。
創作や評論に関わる問題はここからで、上記のパターンの「どちら」を基準にするかで、性愛についてのリアリティががらりと変わってきます。分かり易く説明すると、100メートルを15秒以上かけないと走れない人間にとって、100メートルを10秒台で走れる人間の存在は、嫉妬の対象かリアリティ皆無のおとぎ話に過ぎませんが、100メートルを10秒台で走れる人間にとって、そのタイムを出すことはただの日常に過ぎません。
たとえば、私は去年に19才の女性を2人撮影しているんですが、1人はセックスで感じられないタイプ、もう1人はセックスで何度もイケるタイプでした。この2人のセックス観は対照的で、前者は「セックスは雰囲気を愉しむもの」と断言していたのにたいして、後者は「セックスする時に、我慢せずに脱力しちゃえばイケる。ただし、相手が下手だと駄目」です。通常、ある視点から記述する形式の創作物や評論において、この2つのリアリティを併記することは困難です。
また、これをもって「現実は豊饒である」と結論づけることも出来ません。何故なら、前者のセックス観は、性的な能力の未熟、あるいは劣位に基づいているからです。残酷な言い方ですが、下手くそが沢山いても量的には豊でしょうが、質的には豊であるとは言い難いんですよ。
(続く)
たとえば、純愛と肉欲という2項分類なんかはこの典型。現実の恋愛やセックスには、この2項では分類できない「肉体的資質」とか「技術」の問題が大きなウェイトを占めているのに、この部分を論点にしなくても言説が成立しちゃうわけです。
で、フィジカル、テクニカルな問題に触れない言説の、一体どこがリアルなんですかね? ネガ・ポジとか、テーゼ・アンチテーゼの2項分類なんて、典型的な精神病患者の思考法じゃないですか。善と悪とか、資本家とプロレタリアートとか、勝ち組と負け組、モテと非モテも一緒ですよ。もちろん、男と女もね!
現実は2つに分類可能な要素が複雑に絡み合って構成されているされているわけではなくて、元々複数の要素が絡み合っているから複雑なんですよ。私には、複雑なものを複雑なまま受容することが出来ない人間の気持ちが分かりせんよ。だって、わざわざ「2つ」に限定して分類を行う必然性がまったくないんだもん。つまり、2つに分けたがるのには、内面的な必然性があるんですよ。心の病気っていう必然性がね。
紙屋先生がこの書評で言及している北村透谷なんて、ただの鬱病患者か分裂病患者じゃないですか。でも、マンガ評論に限らず、たいていの創作系の評論で作者と精神病の関係については言及されませんよね? それってリアルなんですか? 私は全然リアルじゃないと思いますよ。
で、リアルな話に戻りましょう。
執拗に繰り返しますけど、リアルなセックスの問題に常に横たわっているのは、「肉体的な資質」とか「技術」という、恋愛と肉欲という2項では分類不能な要素です。もっと分かり易く説明すると、セックスが下手くそな人間にとって、セックスをするのはネガティブな体験、あるいは欲望の一方通行にしかならないんです。これは、男女を問わず起こりうる問題ですが、女性に顕著に表れやすいという特徴があります。
何故かというと、女性は妊娠可能年齢と肉体的成熟、この場合はセックスで感じられる年齢にタイムラグがあるからです。小児性愛者の主張と異なり、現実の女性は男性に較べると性的な成熟が遅い、というのが生物的な人間の特徴なんですね。もちろん、例外的な女性も存在します。その例外とは、初めからセックスで感じることの出来る資質を持った女性と、性的に成熟した年齢に達しているにもかかわらず、セックスでは感じることの出来ない女性です。更に、後者のケースは、元からセックスに対する資質がないために感じられないケースと、今まで付き合ってきた男性が下手くそだったために開発されていないケースに分類できます。
創作や評論に関わる問題はここからで、上記のパターンの「どちら」を基準にするかで、性愛についてのリアリティががらりと変わってきます。分かり易く説明すると、100メートルを15秒以上かけないと走れない人間にとって、100メートルを10秒台で走れる人間の存在は、嫉妬の対象かリアリティ皆無のおとぎ話に過ぎませんが、100メートルを10秒台で走れる人間にとって、そのタイムを出すことはただの日常に過ぎません。
たとえば、私は去年に19才の女性を2人撮影しているんですが、1人はセックスで感じられないタイプ、もう1人はセックスで何度もイケるタイプでした。この2人のセックス観は対照的で、前者は「セックスは雰囲気を愉しむもの」と断言していたのにたいして、後者は「セックスする時に、我慢せずに脱力しちゃえばイケる。ただし、相手が下手だと駄目」です。通常、ある視点から記述する形式の創作物や評論において、この2つのリアリティを併記することは困難です。
また、これをもって「現実は豊饒である」と結論づけることも出来ません。何故なら、前者のセックス観は、性的な能力の未熟、あるいは劣位に基づいているからです。残酷な言い方ですが、下手くそが沢山いても量的には豊でしょうが、質的には豊であるとは言い難いんですよ。
(続く)
8件のコメント
[C1035]
- 2009-01-08
- 編集
[C1042] 1035さん
了解……と思ったんですけど、上手い例じゃなくて、下手な例なんですよね? それ、バリエーションがありすぎて例出だけで死ぬんですが。
基本的な「上手い例」の説明でいいですか?
基本的な「上手い例」の説明でいいですか?
- 2009-01-08
- 編集
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短小と早漏はわかりますが、下手くそって具体的にどういうことですか?