王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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このように、技術が高度化すると「現実が虚構を超える」という、面白い現象が起きます。具体的には、実写アダルト作品の表現(というか実行為)が、アニメや漫画のポルノ作品を凌駕しちゃったんです。原因は大まかに分けて2つあります。1つは作者の勉強不足。残念ながらエロ漫画やエロゲーの作者の中で、最初からポルノ関係の仕事に就きたいと思って業界に来た人は少数で、大半は漫画家やコンシューマゲームの製作を志望しながら大手の「枠」に入れなかった人達が多数を占めます。彼らがポルノに対して否定的な見解を持っていることは結構あって、必然的にポルノ作品を事前に調査して自作に活かす、ということをあまりやりません。その時間と金銭的な余裕があったら、アニメや漫画を消費しちゃうんですね。
そうすると、記号描写の点では流行に沿って「更新」されても、セックスシーンの内情そのものは実写ほど「進化」しなくなります。要は古臭いまんま。これじゃ、作品の売り上げが落ちるのは当然で、かなり特殊なシチュエーションを扱わない限り、いわゆるマンガ・アニメのポルノの大半は「時代遅れ」になって実写に食われてしまうわけです。
もう1つは尺の問題。エロ漫画なら16~24P、アニメなら30分というのが、ポルノ作品の平均的な尺になるんですけど、この狭い枠じゃアスレチックなポルノの表現がそもそも難しい。一方の実写系ポルノは、80年代までは1作品60分が平均だったのが、現在では2倍の120分でも短めという状況になっています。これは、コストパフォーマンスの問題(長時間収録で値段の安い作品の方が売れる)でもあるんですが、同時にセックスのアスレチック化が大きな要因です。つまり、アスリート化が進んだセックスは、性交時間そのものが長時間化しちゃうわけ。エロ漫画の大半は、このアスリート化に対応できる尺が用意されてないし、仮に用意されていたとしても、図像の情報量が決定的に少ないので、ディティールを再現することが困難なんです。
で、結果として起こったのが前述の現実(実写ポルノ)が虚構(マンガ、アニメ、ゲーム)を超えるという現象。よく「事実は小説よりも奇なり」と言いますが、現在のポルノ産業ではこれがピッタリ当てはまります。例外は児童ポルノとマンガの実写化ポルノ(TMAのシリーズなんかが有名ですね)ぐらいで、前者は言うまでもなくポルノ作品の出演者が18才以上と法律で定められているから。つまり、紙屋の「虚構が現実に影響する」という主張とは反対に、ポルノ業界では「現実が虚構を凌駕し、虚構は旧態依然のまま」というのがおおよその現状なんです。
だから、紙屋のエロマンガに対するつれない評価というのは、あながち間違っているわけではありません。ただし、情報収集に長けているか、あるいはポルノそのものに興味があるクリエーターは、商業的理由、あるいは個人的な欲望から、ポルノシーンのリアリティ、バリエーション増加の目的で、実写系ポルノの模倣を行っています。この状況がいつまで続くかは分からないけれど、個人的には児童に「見える」ポルノも含めたポルノ規制が進む限り、実写とそれ以外のポルノ作品における性的技術(表現)の格差は埋まらないと思いますよ。
実は、マンガや小説にはポルノと同じ過程を辿ったジャンルがあります。格闘技です。現実に総合格闘技という「何でもあり」を謳い文句にした(実際はルールで規定されていますけど)ジャンルが一般に認知されると、それまで作者が「リアルだ」と主張し、描いていた「必殺技」の数々が、妄想の産物であることが明白になってしまったため、徐々に衰退していってしまったことは周知の事実でしょう。
紙屋がこうした事実を指摘できないのは、間違いなく実写系ポルノに関する情報量が決定的に不足しているせいです。
これは『甘詰留太『年上ノ彼女』をダシにした一論』という評論で、
そこいらに転がるエロ漫画が、ただ男性の一物をつっこんで、属性を加味した女性にアンアンいわせて事足れりとしている
と書いてしまっていることからも容易に推測できます。現実の性行為において、この「男性の一物をつっこんで、(属性を加味した)女性にアンアンいわせ」るのが難しいんですが、紙屋の興味はここ(セックスの技術的な側面)にはないんですね。つまり、紙屋は具体的な性行為に対してそれほど重きを置いていないんです。
にもかかわらず、紙屋は同じ文章で、
ぼくを含めたヲタにとっては、現実は虚構と等価である。もしくは、虚構のほうが現実よりはるかに面白い、というものである。
とも書いてしまっているんです。つまり、現実でも虚構でも女性を悦ばせることに興味なし、というのが紙屋流の性愛観。いいのか、こんなに赤裸々で? 自分の彼女がこの文章を見たらどう思うんだ? と、こちらが心配になってくるほど、女性に対する気遣いがまったくありません。まさにホイチョイ級の「あけすけな下品さ」です。普通の男性なら、心の奥底でどう思っていようが、セックス観については「女性に悦んでもらいたいと思います」って書きますよ。
まあ、だからこそ、紙屋にはホイチョイの作品が「行動規範」に沿ったものであると「見えて」しまうんでしょう。性行為そのものに興味がなければ、シチュエーションや登場人物の容姿を重視してしまうのは自然な流れで、(4)で紹介した「セックスは雰囲気を愉しむもの」と断言した、セックスでは感じない19才の女性と一緒ということになります。
いい歳をした大人が、19才の性的に未成熟な少女と同じ趣旨の発言をしているなんて、まことにオタクらしい……じゃなかった、漢らしいシチュエーションじゃないですか。紙屋の心の中には、無垢な少女が確実にいるね。
そうすると、記号描写の点では流行に沿って「更新」されても、セックスシーンの内情そのものは実写ほど「進化」しなくなります。要は古臭いまんま。これじゃ、作品の売り上げが落ちるのは当然で、かなり特殊なシチュエーションを扱わない限り、いわゆるマンガ・アニメのポルノの大半は「時代遅れ」になって実写に食われてしまうわけです。
もう1つは尺の問題。エロ漫画なら16~24P、アニメなら30分というのが、ポルノ作品の平均的な尺になるんですけど、この狭い枠じゃアスレチックなポルノの表現がそもそも難しい。一方の実写系ポルノは、80年代までは1作品60分が平均だったのが、現在では2倍の120分でも短めという状況になっています。これは、コストパフォーマンスの問題(長時間収録で値段の安い作品の方が売れる)でもあるんですが、同時にセックスのアスレチック化が大きな要因です。つまり、アスリート化が進んだセックスは、性交時間そのものが長時間化しちゃうわけ。エロ漫画の大半は、このアスリート化に対応できる尺が用意されてないし、仮に用意されていたとしても、図像の情報量が決定的に少ないので、ディティールを再現することが困難なんです。
で、結果として起こったのが前述の現実(実写ポルノ)が虚構(マンガ、アニメ、ゲーム)を超えるという現象。よく「事実は小説よりも奇なり」と言いますが、現在のポルノ産業ではこれがピッタリ当てはまります。例外は児童ポルノとマンガの実写化ポルノ(TMAのシリーズなんかが有名ですね)ぐらいで、前者は言うまでもなくポルノ作品の出演者が18才以上と法律で定められているから。つまり、紙屋の「虚構が現実に影響する」という主張とは反対に、ポルノ業界では「現実が虚構を凌駕し、虚構は旧態依然のまま」というのがおおよその現状なんです。
だから、紙屋のエロマンガに対するつれない評価というのは、あながち間違っているわけではありません。ただし、情報収集に長けているか、あるいはポルノそのものに興味があるクリエーターは、商業的理由、あるいは個人的な欲望から、ポルノシーンのリアリティ、バリエーション増加の目的で、実写系ポルノの模倣を行っています。この状況がいつまで続くかは分からないけれど、個人的には児童に「見える」ポルノも含めたポルノ規制が進む限り、実写とそれ以外のポルノ作品における性的技術(表現)の格差は埋まらないと思いますよ。
実は、マンガや小説にはポルノと同じ過程を辿ったジャンルがあります。格闘技です。現実に総合格闘技という「何でもあり」を謳い文句にした(実際はルールで規定されていますけど)ジャンルが一般に認知されると、それまで作者が「リアルだ」と主張し、描いていた「必殺技」の数々が、妄想の産物であることが明白になってしまったため、徐々に衰退していってしまったことは周知の事実でしょう。
紙屋がこうした事実を指摘できないのは、間違いなく実写系ポルノに関する情報量が決定的に不足しているせいです。
これは『甘詰留太『年上ノ彼女』をダシにした一論』という評論で、
そこいらに転がるエロ漫画が、ただ男性の一物をつっこんで、属性を加味した女性にアンアンいわせて事足れりとしている
と書いてしまっていることからも容易に推測できます。現実の性行為において、この「男性の一物をつっこんで、(属性を加味した)女性にアンアンいわせ」るのが難しいんですが、紙屋の興味はここ(セックスの技術的な側面)にはないんですね。つまり、紙屋は具体的な性行為に対してそれほど重きを置いていないんです。
にもかかわらず、紙屋は同じ文章で、
ぼくを含めたヲタにとっては、現実は虚構と等価である。もしくは、虚構のほうが現実よりはるかに面白い、というものである。
とも書いてしまっているんです。つまり、現実でも虚構でも女性を悦ばせることに興味なし、というのが紙屋流の性愛観。いいのか、こんなに赤裸々で? 自分の彼女がこの文章を見たらどう思うんだ? と、こちらが心配になってくるほど、女性に対する気遣いがまったくありません。まさにホイチョイ級の「あけすけな下品さ」です。普通の男性なら、心の奥底でどう思っていようが、セックス観については「女性に悦んでもらいたいと思います」って書きますよ。
まあ、だからこそ、紙屋にはホイチョイの作品が「行動規範」に沿ったものであると「見えて」しまうんでしょう。性行為そのものに興味がなければ、シチュエーションや登場人物の容姿を重視してしまうのは自然な流れで、(4)で紹介した「セックスは雰囲気を愉しむもの」と断言した、セックスでは感じない19才の女性と一緒ということになります。
いい歳をした大人が、19才の性的に未成熟な少女と同じ趣旨の発言をしているなんて、まことにオタクらしい……じゃなかった、漢らしいシチュエーションじゃないですか。紙屋の心の中には、無垢な少女が確実にいるね。
4件のコメント
[C1055]
- 2009-01-11
- 編集
[C1063]
>ぼくを含めたヲタにとっては、現実は虚構と等価である。もしくは、虚構のほうが現実よりはるかに面白い、というものである。
この一文で紙屋氏が杉田聡の著書を推進している理由が分かりました。なんせ現実よりも虚構のほうが価値があるのですからね(笑)
紙屋氏がご自分の性愛観を赤裸々に語るのは勝手ですけど、虚構と現実の区別ぐらいつけてほしいものです。仰るとおり、現実が虚構を超えれば当然、フィクションはノンフィクションになっちゃうわけで。この手の人が規制に賛成しちゃうから始末が悪いです。(紙屋氏だけではなく)
>原因は大まかに分けて2つあります。1つは作者の勉強不足。残念ながらエロ漫画やエロゲーの作者の中で、最初からポルノ関係の仕事に就きたいと思って業界に来た人は少数で、大半は漫画家やコンシューマゲームの製作を志望しながら大手の「枠」に入れなかった人達が多数を占めます。彼らがポルノに対して否定的な見解を持っていることは結構あって、必然的にポルノ作品を事前に調査して自作に活かす、ということをあまりやりません。その時間と金銭的な余裕があったら、アニメや漫画を消費しちゃうんですね。
仰るとおりだと思います。今の創作物の業界では、性というものを必要以上に健全化(悪い意味で)してしまっているような傾向があります。特にアダルトゲーム業界はその動きが顕著だと思っています。18歳以上になると表現力が広がるのでということも聞かれますが、その割にはHシーンにおいてはあまりにも表現力が稚拙なんじゃないかと思ったりするのです。
>そうすると、記号描写の点では流行に沿って「更新」されても、セックスシーンの内情そのものは実写ほど「進化」しなくなります。要は古臭いまんま。これじゃ、作品の売り上げが落ちるのは当然で、かなり特殊なシチュエーションを扱わない限り、いわゆるマンガ・アニメのポルノの大半は「時代遅れ」になって実写に食われてしまうわけです。
仰るとおりで、もうすでにこれが原因で売れなくなってきてるようです。アダルトゲーム業界で冒険活劇ものや、学園ものが増えているのは、そのようなことが理由になっているからだと思っています。
>個人的には児童に「見える」ポルノも含めたポルノ規制が進む限り、実写とそれ以外のポルノ作品における性的技術(表現)の格差は埋まらないと思いますよ。
表現が埋まらないどころか、たぶん創作物のエロのジャンル自体なくなってしまうんじゃないかと危惧しています。鳥山さんが仰るとおり、今の状況は特殊なシチュエーションでかろうじて生きながらえているのが現状なのではないでしょうか? なんというか情けない限りですね(自分も含めて)
話を紙屋氏に戻しますと、やっぱり紙屋氏的には処女じゃないと駄目なんでしょうね~(笑)。まあ規制推進派予備軍にならなければ別にどうこういうつもりはないんですけどね。
この一文で紙屋氏が杉田聡の著書を推進している理由が分かりました。なんせ現実よりも虚構のほうが価値があるのですからね(笑)
紙屋氏がご自分の性愛観を赤裸々に語るのは勝手ですけど、虚構と現実の区別ぐらいつけてほしいものです。仰るとおり、現実が虚構を超えれば当然、フィクションはノンフィクションになっちゃうわけで。この手の人が規制に賛成しちゃうから始末が悪いです。(紙屋氏だけではなく)
>原因は大まかに分けて2つあります。1つは作者の勉強不足。残念ながらエロ漫画やエロゲーの作者の中で、最初からポルノ関係の仕事に就きたいと思って業界に来た人は少数で、大半は漫画家やコンシューマゲームの製作を志望しながら大手の「枠」に入れなかった人達が多数を占めます。彼らがポルノに対して否定的な見解を持っていることは結構あって、必然的にポルノ作品を事前に調査して自作に活かす、ということをあまりやりません。その時間と金銭的な余裕があったら、アニメや漫画を消費しちゃうんですね。
仰るとおりだと思います。今の創作物の業界では、性というものを必要以上に健全化(悪い意味で)してしまっているような傾向があります。特にアダルトゲーム業界はその動きが顕著だと思っています。18歳以上になると表現力が広がるのでということも聞かれますが、その割にはHシーンにおいてはあまりにも表現力が稚拙なんじゃないかと思ったりするのです。
>そうすると、記号描写の点では流行に沿って「更新」されても、セックスシーンの内情そのものは実写ほど「進化」しなくなります。要は古臭いまんま。これじゃ、作品の売り上げが落ちるのは当然で、かなり特殊なシチュエーションを扱わない限り、いわゆるマンガ・アニメのポルノの大半は「時代遅れ」になって実写に食われてしまうわけです。
仰るとおりで、もうすでにこれが原因で売れなくなってきてるようです。アダルトゲーム業界で冒険活劇ものや、学園ものが増えているのは、そのようなことが理由になっているからだと思っています。
>個人的には児童に「見える」ポルノも含めたポルノ規制が進む限り、実写とそれ以外のポルノ作品における性的技術(表現)の格差は埋まらないと思いますよ。
表現が埋まらないどころか、たぶん創作物のエロのジャンル自体なくなってしまうんじゃないかと危惧しています。鳥山さんが仰るとおり、今の状況は特殊なシチュエーションでかろうじて生きながらえているのが現状なのではないでしょうか? なんというか情けない限りですね(自分も含めて)
話を紙屋氏に戻しますと、やっぱり紙屋氏的には処女じゃないと駄目なんでしょうね~(笑)。まあ規制推進派予備軍にならなければ別にどうこういうつもりはないんですけどね。
- 2009-01-11
- 編集
[C1085] mudanさん
結局、ラディカル・フェミニズムに傾倒する男性も、セクシャルアイデンティティの不一致という苦痛に悩まされた結果、男性性=攻撃的という単純化に飛びついて、社会規範自体がレイプを推奨する、という結論を信じちゃうパターンが多いんですよね。
性嗜好は人それぞれなんで、自分の生物学的な性と趣味が一致しない、というところまでは「それもある」と思いますが、それを正当化するために社会が悪だと断定するのはどうかと思います。
また、アダルトゲームに関しては、おっしゃるとおりでポルノシーンの陳腐化が原因で売り上げの低下が起きていると考えるべきでしょう。実際問題として、最近の私は同人ゲームしか購入してませんし。
もうちょい、抜けるゲームを作ってくれると嬉しいんですけどねー。
性嗜好は人それぞれなんで、自分の生物学的な性と趣味が一致しない、というところまでは「それもある」と思いますが、それを正当化するために社会が悪だと断定するのはどうかと思います。
また、アダルトゲームに関しては、おっしゃるとおりでポルノシーンの陳腐化が原因で売り上げの低下が起きていると考えるべきでしょう。実際問題として、最近の私は同人ゲームしか購入してませんし。
もうちょい、抜けるゲームを作ってくれると嬉しいんですけどねー。
- 2009-01-14
- 編集
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紙屋さんとこの常連読者なら周知の事実ではないかと。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/houroumusuko.html