王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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先日は、知人のライター氏を別の出版社に紹介している最中に、いつも政治関係でお世話になっている方から電話があり、「ロビイング活動の結果が国会に反映される」という報告をいただく。
本日は、衆議院TVで成果を確認。その後、各所にお礼の電話とメール。今回のロビイングは、計画立案から成果の確認まで約2週間という、この手の活動にしては異例の短期間で結果が出たことに驚いた。原因は偶然が3つほど重なったことで、改めてタイミングの恐ろしさを知る。
何しろ、今回のプログラムに関しては、計画立案のアウトライン準備に1名、計画の内容作成が1名(これが私の担当)、そしてロビイング時に政治活動の補足説明のために参加してくれた専門家1名の、合計3名しか参加していない。
これで、国会に僅かでも影響が与えられるとするのなら、表現規制推進派でもタイミングさえ重なれば、たった数名で表現の自由に少なからぬ影響を与える事は可能だ、ということになる。
これは、冗談抜きで怖い話だ。今回は、たまたま風向きが私に味方してくれたから良かったようなものの、逆だったらどうなっていたか? 想像するだに寒気がする。また、頭のおかしい連中が政治活動にはまる理由も、何となく得心がいった。自分の言い分が国家の政策に反映された「ような」達成感を味わうことで、自分が「嫌いな」、あるいは「憎んでいる」現実社会を変えられたような万能感に浸れたり、承認欲求を満たせるのだろう。
もちろん、そんなものはただの妄想でしかない。おめでたい連中だ。
ただし、今回の経過で改めて実感したことが1つある。それは、タイミングを上手く利用するには、そのタイミングが来る前に即応体制を整えておく必要がある、という夢も希望もない「現実」である。
これがフィクションの世界だったら、天才的な頭脳とアイデア持った『僕ちゃん』の一言なり文章が、聞くモノ読むモノを感動させて、みんなが『僕ちゃん』をちやほやしてくれるお陰で、国がよい方向に動いていく………などという、書いていて失神しそうなぐらい恥ずかしいお話になるんだろうが、「現実」の私や表現規制反対運動の協力者がやっていることは、蔵書・図書館・国会図書館・古書店を漁って一次資料と二次資料を発掘するか、渋るお役所様にクレーマーのごとく執拗に電話攻勢をかけて、「資料を出さんか、コラァ!」と優しく諭すかのいずれかでしかない。時間はかかるは作業は地味だわで、協力者が存在すること自体が一種の奇跡である。
余談になるが、三次資料は資料的価値が薄いので、薄っぺらい新書サイズの本は、ほぼ使い物にならない。というか、ああいう本を読んで「頭が良くなった」と思える人間の気持ちは理解不能。これも妄想世界の住人の特徴の1つで、とにかくこいつらは一次資料を探せないし読めない。また、探せないし読めないから頭のいい『僕ちゃん』、ちやほやされる『僕ちゃん』幻想に浸っていられるのだ。
こういう連中を見ていると、「子供の頃、何をしてたんだ? 友達もいなくて独りで空想ばっかりしてたんじゃないだろうな?」という気持ちにさせられるのだが真相は不明。というか、真相は知りたくもない。
年甲斐もなく、こういう気持ちになっちゃうからネ。
本日は、衆議院TVで成果を確認。その後、各所にお礼の電話とメール。今回のロビイングは、計画立案から成果の確認まで約2週間という、この手の活動にしては異例の短期間で結果が出たことに驚いた。原因は偶然が3つほど重なったことで、改めてタイミングの恐ろしさを知る。
何しろ、今回のプログラムに関しては、計画立案のアウトライン準備に1名、計画の内容作成が1名(これが私の担当)、そしてロビイング時に政治活動の補足説明のために参加してくれた専門家1名の、合計3名しか参加していない。
これで、国会に僅かでも影響が与えられるとするのなら、表現規制推進派でもタイミングさえ重なれば、たった数名で表現の自由に少なからぬ影響を与える事は可能だ、ということになる。
これは、冗談抜きで怖い話だ。今回は、たまたま風向きが私に味方してくれたから良かったようなものの、逆だったらどうなっていたか? 想像するだに寒気がする。また、頭のおかしい連中が政治活動にはまる理由も、何となく得心がいった。自分の言い分が国家の政策に反映された「ような」達成感を味わうことで、自分が「嫌いな」、あるいは「憎んでいる」現実社会を変えられたような万能感に浸れたり、承認欲求を満たせるのだろう。
もちろん、そんなものはただの妄想でしかない。おめでたい連中だ。
ただし、今回の経過で改めて実感したことが1つある。それは、タイミングを上手く利用するには、そのタイミングが来る前に即応体制を整えておく必要がある、という夢も希望もない「現実」である。
これがフィクションの世界だったら、天才的な頭脳とアイデア持った『僕ちゃん』の一言なり文章が、聞くモノ読むモノを感動させて、みんなが『僕ちゃん』をちやほやしてくれるお陰で、国がよい方向に動いていく………などという、書いていて失神しそうなぐらい恥ずかしいお話になるんだろうが、「現実」の私や表現規制反対運動の協力者がやっていることは、蔵書・図書館・国会図書館・古書店を漁って一次資料と二次資料を発掘するか、渋るお役所様にクレーマーのごとく執拗に電話攻勢をかけて、「資料を出さんか、コラァ!」と優しく諭すかのいずれかでしかない。時間はかかるは作業は地味だわで、協力者が存在すること自体が一種の奇跡である。
余談になるが、三次資料は資料的価値が薄いので、薄っぺらい新書サイズの本は、ほぼ使い物にならない。というか、ああいう本を読んで「頭が良くなった」と思える人間の気持ちは理解不能。これも妄想世界の住人の特徴の1つで、とにかくこいつらは一次資料を探せないし読めない。また、探せないし読めないから頭のいい『僕ちゃん』、ちやほやされる『僕ちゃん』幻想に浸っていられるのだ。
こういう連中を見ていると、「子供の頃、何をしてたんだ? 友達もいなくて独りで空想ばっかりしてたんじゃないだろうな?」という気持ちにさせられるのだが真相は不明。というか、真相は知りたくもない。
年甲斐もなく、こういう気持ちになっちゃうからネ。
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