王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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10/08のツイートまとめ
- toriyamazine
あれ? スクリーンメモリーが起きてる。射雕英雄伝の日本語訳は初出が一九九九年だ。おっかしいな。どの作品とごっちゃになってるんだ???
10-08 14:01(5)……まず何を差し置いても「何が面白いのか?」を論理的に説明できる必要がある。これを抜かしてネタの選定をしても文字通り意味がないわけで、ただの「文章量を増やすためのふくらし粉」になりかねない。この辺の批評に関しては、そろそろちゃんと言語化してまとめる必要性があるのかもなあ。
10-08 03:41(4)どのジャンルの娯楽作品もそうだが、いちばん大切なのは読者から「細かいネタは分からなかったけど話は面白かった」という評価を貰うことで、ネタの多さが売りになってしまった段階で本末転倒が始まっている危険性がある。何度も話をしていることだが、娯楽作品を語るのであれば……
10-08 03:39(3)つまり、文章はそもそも多ネタ的な作り込みに適した表現方法ではないのだ。それ以上に問題なのは、ネタを集めるのに拘泥して各シークエンスの作り込みがおろそかになってしまうことで、「話はどうなってるの?」という質問に対してネタで返答されるというちぐはぐなやりとりが行われる事が多い。
10-08 03:36(2)また、多くのネタがあれば、そのどれかに読者が引っかかってくれる期待値が高くなるので、フックが多いと好意的に解釈できなくもない。しかし、小説は映像ではないので本筋が流れている背景に「ネタ」が隠されている……といったような隠し味としての使い方はまずできない。
10-08 03:33(1)最近になって、多ネタ主義の作家について、ようやく何を考えているのかが分かってきた。ひとことで説明すると、話のアウトラインを引いて、そこに細かいネタを詰め込んでいれば作品になると思っているのだ。確かに、ネタがあればあるだけ文章の量が増えるので作品にはなる。
10-08 03:31
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