王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
Entries
03/10のツイートまとめ
- toriyamazine
(13)でも、文章技法を勉強していないにもかかわらず、いい歳こいてまだ万能感が抜けきらない素人が、両方やろうとして大やけどするんだよねー、というオチでお話は終了。たまにはこういう打ち合わせがあるのは良い事ですヨ。
03-10 06:02(12)余談になるが、私はノンフィクションや批評のお作法に疎いので、その手の仕事は特殊な事情がない限り請け負わないようにしている。「何でそんなに自信満々に断定できるんだよ」と思われるのが関の山、というのが書く前から分かり切っているからだ。
03-10 06:01
(11)オタク系の論評が学術的に、あるいは世間から高い評価を得にくい原因の1つがここにある。娯楽作品を断定口調で解説した場合、それを知らない人間が端から見るとどうなるかが客観的に見られない、ということだ。
03-10 06:01(10)この文章作法上の違いが何をもたらすか? もう、お解りだろう。フィクションをメインに読み込んできた人間が、ノンフィクションや評論をやろうとすると、断定口調で書いてしまうというミスを頻繁にやらかすわけだ。
03-10 05:58(9)もう1つ例示してみよう。「世界崩壊の原因は、エントロピーだった可能性が高い」はどうだろう? どんなお人好しでも、この文章が小説のラストに来たら「あれ? 今までのお話はなんだったの?」となるはずだ。
03-10 05:58(8)ところが、これをノンフィクション風に書くと、「一説によると、世界崩壊の原因はエントロピーであると言われている」になる。この文章が小説の結末に出てきたらどうだろう? 含みを残したエンディングだと解釈する読者は相当なお人好しだ。
03-10 05:57(7)具体的な例を挙げて考えよう。たとえば、あるSF作品で「世界崩壊の原因はエントロピーだ」という結末が提示されたとしよう。これがフィクション作品、特に娯楽小説におけるスタンダードな文章だ。
03-10 05:57(6)つまり、断定を避けて伝聞調で文章を書かれても、フィクション作品の読者はこれを「現実が複雑である事のエクスキューズ」とは見なさない。むしろ、登場人物や作者の感情や決意が定まっていないと見なす。
03-10 05:57(5)これに対して、フィクションでは基本的に断定調を使う。何故なら、断定口調を避けた文章は、登場人物(特に主人公、もしくは作者)が迷っている事を意味してしまうからだ。
03-10 05:56(4)具体的には「~であった可能性が高い」「~によれば~である」「一説によると~」「~に関しては2つの説がある」という感じて、主に伝聞調で書く。こうする事によって、「現実はもっと複雑ですよ」というエクスキューズを入れておくわけだ。
03-10 05:56(3)たとえば、ある歴史的事件があったとして、それがAという理由のみで起こる可能性はほぼ無い。つまり、Bという理由も少なからず関与していれば、Cという理由も関与するのが現実だ。だから、断定は可能な限り避けた方が無難という事になる。
03-10 05:55(2)決定的なのは、ノンフィクションでは出来る限り断定口調を避ける、という点だ。これは、複数の要素からなる現実の一部を、切り取る事によって成立するノンフィクションというジャンルでは必須の「お作法」といえる。
03-10 05:55(1)今日は軽い打ち合わせを電話でしている最中に、フィクションとノンフィクションで使用する文章の違いについての話になる。個人的にはメチャメチャ面白かった。
03-10 05:55
0件のコメント
コメントの投稿
0件のトラックバック
- トラックバックURL
- http://toriyamazine.blog.2nt.com/tb.php/529-5361fa5e
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)