王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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02/26のツイートまとめ
- toriyamazine
川嶋朗の本があまりにも酷すぎるので、後藤和智氏が批判しているんじゃないかと思って調べたら、しっかり調べていたので驚嘆。いや、さすが。
02-26 20:11(10)だからといって、シナリオライターが文章が下手とか、そういう話がしたいわけではない。ベテランのライターであれば、相当な文章量を既に書いているのだ、ただ、小説にはならない。すなわち、両者は別物だと考えるべきだという最初の結論に戻る。
02-26 19:00(9)シナリオライターが作家に転身して失敗するケースの大半がこれで、地の文で書けない内容やストーリーを書こうとして破綻する。自分がどんな「文柄」かを把握していないわけだ。そもそも、小説向きの文章練習をやっていないので、書ける幅そのものが狭いケースも多数ある。
02-26 19:00(8)つまり、小説家にとって「どんなお話を書くか」以前に「どんな文章を書くか」または「どんな文章が書けるのか」は決定的だ。マンガの絵柄に近い、というと分かり易いかもしれない。ここでは仮に「文柄」とでも言っておこう。
02-26 18:59(7)しかし、それでも小説が「文章のみで表現する」という制約から逃れられるわけではない。ここが、総合芸術と呼ばれる映画などとは決定的に違う。ライトノベルのようにイラストにストレスメンバーを担当してもらうという「掟破り」もあるが、これも例外と考えた方が良い。
02-26 18:59(6)ただ、小説家の中でも内心描写や「作者=神の声」を積極的に記述するか、あるいは排除するかでスタイル上の対立があり、これはヘミングウェイが英米文学に決定的な影響を及ぼしてから顕著になった。このため、構成上はシナリオとの区別がつきづらい作品が幾つかある。
02-26 18:58(5)つまり、小説では最初に地の文があり、これに従属する形で会話がある。この主従関係をひっくり返しただけで小説としての完成度が低下する危険性に晒されるし、また意図的にひっくり返さずに書こうとする作家は、そもそも小説に向いていない。
02-26 18:58(4)これに対して、小説における台詞は情景描写や行動描写、内心描写と並んで、文章のストレスメンバーの一要素に過ぎない。台詞に傾注し過ぎてはいけないし、し過ぎた作品はほぼ例外なくゴミになり果てる。
02-26 18:57(3)このため、シナリオは意味性や寓意性を可視化、あるいは可聴化することを念頭に置いて書かなければならない。特に重要なのは台詞で、役者が発話する事を前提に書くので、タイミングや間の取り方を考えておく必要がある。
02-26 18:55(2)まず、シナリオでは原則として内心描写をしてはならない。ゲームのシナリオで、地の文が表示されるものはやや例外だが、それでも基本的に控えめにした方が無難だろう。その代わり、役者の演技や音楽、カメラワークetcがある。
02-26 18:55
(1)シナリオと小説の違いについて質問される。結論から言ってしまうと、シナリオと小説はボクシングとキックボクシングぐらい違う。重なっている部分はあるが、基本的には似て非なるモノだと思って良い。
02-26 18:54修正終了。いつも本を書き終えて思う事だが、特に歴史系は要求される知識量が膨大な分だけ、自分に欠損しているデータが多く見つかるために凹む。計画的に読書量を増やさないとまずいな。そろそろ漫画漬けの生活ともおさらばか?
02-26 08:25ゲキサカがJリーグ所属選手の出身地別順位を出していたが、1位東京、2位静岡、3位埼玉、4位神奈川と、相変わらずの東高西低が目立つ。ちなみに、5位がブラジルで6位が千葉。7位になってようやく兵庫県がランクイン。西の拠点、兵庫には今後も頑張って貰いたい。
02-26 06:10
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