王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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04/04のツイートまとめ
- toriyamazine
ネガティブすぎて逆に凄いダイソー社長の発言 - NAVER まとめ http://t.co/mpI0xfJO あまりにも正直すぎて逆に怖い。
04-04 22:10『マイティレディだけを撮ってきた!! ~インディーズ映画監督のトクサツ人生~』 http://t.co/ikdQNWCe 出版されるのが遅いんだよ-。 もう『巨大娘研究』は出しちゃったし、その中で「大桃さんがメジャーになれなかったのは謎」って書いちゃったのにぃー。
04-04 18:30(6)……原罪が教義に占めるウェイトが低くなり、特に正教会では原罪解釈があやふやになっている……という感じだろうか? ただ、カソリックと東方教会の決定的な対立はフィリオクェ問題であって、原罪はそれほど重要な役割を果たしていない。
04-04 03:03(5)……自己責任論を否定したところまでは良かったものの、自由意志の範囲を極端に狭めたため分だけ、教会の権威を大幅に認める事になってしまった点だが、これは本人がわざと政治的な理由からチョンボをやっている可能性が高い。従って、当然のことながらカソリック流れのキリスト教以外では……
04-04 03:01(4)……レイプも痴漢も小児性愛がらみの犯罪も起こらないわけで、まあ、人間はそんなに都合良く性癖を変えられないよねって事だ。アウグスティヌスのチョンボは性癖の中に性嫌悪が含まれることを想定していなかった点で、これは性欲が強い人が頻繁に陥る認識ミスだ。2番目のミスは……
04-04 02:57(3)現代の観点からすると(あるいは当時の視点からも)、この論争は部分的ではあるがアウグスティヌスの方が正しいと思われる。性欲が強く性的強迫観念に支配されている人が、自己の性行動を制御できない例は現代でもごまんとあるからだ。そもそも自由意志で性欲がコントロールできるなら……
04-04 02:53(2)これに対してアウグスティヌスはキリスト教徒になるまで性的に放縦な生活を送り(もっとも、回心後のアウグスティヌス基準だけどね)、その経験から性的強迫観念はコントロール不可能なので自由意志の及ぶ範囲は非常に狭いと判断し、その論理的帰結として自己責任論を否定的に捉えた。
04-04 02:48(1)原罪問題の輪郭がぼやけている最大の理由は、アウグスティヌスが仮想敵と見なしていた可能性が高いと思われるペラギウスに関する文献が散逸してしまっていることだ。残っている評伝が正しいとすれば、ペラギウスは真面目な性格の人物で、人間の自由意志を尊重する代わりに自己責任論を説いた。
04-04 02:45原罪が一段落したので、一番近寄りたくなかった三位一体論に突入。もうね、全然分かんないよ。特にアウグスティヌスが! しかも、これにも西方VS東方の解釈違いがある。後付で理屈を作るとこうなるの典型で、調べるのがガチで苦痛。
04-04 02:18
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