王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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04/09のツイートまとめ
- toriyamazine
パフュームの新曲『Spring of Life』が猛烈に欲しい。テクノは元から親和性があるので変な話じゃないんだけど、パフュームに関してはほとんど関心がなかっただけに、自分の心境が変化した理由は謎。間奏に惹きつけられたのかしらん。
04-09 21:10(7)ところが、米ソ両国が核兵器を保有する状況になると変節。核兵器廃絶を訴えて周囲を唖然とさせる。それどころか、「自分は核兵器を使って予防戦争をしろとは言っていない」と嘘までつき始める。この嘘を咎められ、証拠を突きつけられると「すっかり忘れていた」と弁解。アホか。
04-09 20:04(6)1946年には『A History of Western Philosophy』(西洋哲学史)を発刊。ここでヘーゲルを「論理学的に誤っている」と批判。1948年にはアムステルダムで開催された世界哲学会議で、当時ソ連代表だったアーノスト・コールマンと対ソ戦提唱を巡って大論争。
04-09 20:03(5)第一次世界大戦時にはアメリカをこき下ろしていたこともすっかり忘れ、アメリカの軍事力でソ連を叩きつぶせという主張を再三にわたって繰り返すようになる。1945年1月には「私は身の毛がよだつほどソヴィエト政府が嫌いだ」と執筆。その後も核兵器を使っての対ソ戦を提唱した。
04-09 20:02(4)その後、ラッセルは『The Practice and Theory of Bolshevism』(ボリシェビズムの理論と実践)を発刊。レーニン、スターリン、トロツキーをケチョンケチョンにこき下ろしている。この感想はその後も変化することはなく、ナチスとソ連への攻撃を緩めない。
04-09 20:02(3)……1920年5月19日にレーニンと会見した際の記録として「彼は人民を軽蔑する特権階級的な知識人のように思われた」という一文を残している。お前が言うなの典型だが、論理学の泰斗としてヘーゲル左派を軽蔑していたラッセル本人にとって、この感想はしごく当たり前のことだったらしい。
04-09 20:01(2)……イギリスの大衆が第一次世界大戦に反対するどころか積極的に関与したことに衝撃を受け、ますます大衆を善導しようという意識を強くする。この流れで労働党に加入。ただし、当時の左派系知識人の大半が共産主義に洗脳されていたのに対して、ラッセルはこの思想には反感を抱いていたようで……
04-09 20:01(1)@crowserpent氏の説明補足を兼ねてバートランド・ラッセルの反共主義について確認。ラッセルの政治参加は平和運動がスタートだが、その根底にあるのは大衆への侮蔑感情である。彼は民衆を知識人が善導すべきという見解の持ち主だったが……
04-09 20:00「そういえば、元女子プロレスラーのキューティー鈴木がシングルを出していたっけな……」と調べたら、『おとめの反乱』の作詞・作曲をALI PROJECTのお二人が担当していて複雑な気持ちに。いや、確かに女子プロとゴスは親和性が高いんですけどね。http://t.co/j6j6kQ6b
04-09 09:54
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