王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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3.
上述のように「男権主義的イデオロギー」という抽象概念には、幾つかの面で特定の性癖を論理的に正当化するという効力があります。まず、レイプの正当化です。現在の我々の社会が女性を性的に搾取する行動規範を内包しているのだとすれば、レイプが発生するのは必然ということになります。
社会改革を訴えるグループは、これらの理論をもって「社会を変えるべし」となるわけですが、レイプを正当化したがる人間は「社会規範がそうなっているのだから、犯人に責任はない」となります。つまり、この2つのグループはコインの裏表の関係に過ぎません。ただ、レイプを正当化したがる人間は、その根拠を男性の「本能」なるものに求めたがる傾向があります。
では、実際のレイプ事件の犯人はどうなのかというと、私は一昨年に出版した性犯罪関係の本を作成するために相当数の記録を調べたんですけれども、犯人の大多数は人格障害者、この場合は「俺は特別な存在で、社会規範を破ることが許されている」と考えるタイプの異常性格者で、ごく少数は知的障害者でした。路上で未成年者を襲った事件に限定するのであれば、犯人の約半数は知的障害者です。最近になって起こった、東金の女児殺害事件なんかはこの典型ですね。そして、人格障害者にせよ知的障害者にせよ、社会規範を理解、実行できるだけの頭は持ち合わせていません。つまり、性犯罪の大半はポルノを含む社会環境や社会規範のせいで起こるのではなく、犯人の脳が原因で起こるんです。
ただし、世知に長けた人格障害者にありがちなパターンですけれども、彼らの大多数は社会規範に適応する能力がない代わりに、責任転嫁をする能力には長けています。私は10年以上も前に、鬱病でアルコール中毒患者で、酔った勢いで女性に暴力を働いていた人格障害者と1年近くかけてやり合ったことがあるんですけど、こいつは凄かったですよ。
まず「俺は女性からモテるんだ」と豪語しつつ、何故か借金までして水商売の女の子に貢ぎ物。そして、最後には自己破産。次に付き合っていた女性に「俺が社会人としてのルールを教えてやる」と豪語しつつ、自分は鬱悪化による飲酒のしすぎで会社を何度も欠勤。もちろん、酔うと凶暴になって女性に暴力をふるうんですけど、その理由は「お前が俺を怒らせた」というもので、具体的な内容は「男性に対する言葉遣いがなっていない」とか「俺を男としてたててくれない」というもの。
で、ここまで書けばお分かりの通り、この人格障害者は典型的な「男権主義的イデオロギー」の持ち主なんですが、問題はご本人がイデオロギー通りに行動していない点(これは、大半の男権主義的イデオロギーを振りかざす男性に共通した特徴ですけど)で、ここを私がどんどん突っ込んでいくと、最後には「俺は子供の頃から優秀な姉と比較されて育てられて、それがコンプレックスになっていたんだ」と、今度は母親の育て方に責任転嫁。
ちなみに、こいつの年齢は40代後半でしたよ。大学生ぐらいの年齢ならいざ知らず、社会人になって20年も経った大人が、自分の母親が悪いと主張する姿にはリアリティ皆無。で、こいつがその証明として持ち出したのは加藤諦三の本です。そこそこ知恵の回る人格障害者とか、病識のない精神病患者の家に行くと、もれなく一冊は置いてある、東京都の青少年健全育成条例を悪化させた、頭のおかしい大学教授の本ですよ。
つまり、この人格障害者は「自分の責任」にさえならなければ、どんな理屈だって持ち出してくるんです。その点で、「社会が悪い」も「女が悪い」も「親の育て方が悪い」も等価なんです。じゃあ、何でこいつが必死になって責任転嫁をやっているかというと、責任転嫁が出来ない場合は「すべて自分が悪い」という結論に到達して、自分で自分を責め立ててしまうからです。
ここで注目すべきなのは「××が悪い」という思考法です。社会が悪い、資本家が悪い、親が悪い、自分が悪い、彼女が悪い、理解者がいないのが悪い……何でも構いませんが、とにかく「悪い」(責任がある)ことにこだわっている点が重要です。当たり前の話ですが、完璧な人間などおらず、完璧な社会もない以上、我々は生きている間に良かった思える時間、楽しかったと思える時間と、悪かったと思える時間、辛かったと思える時間のどちらも経験しています。
脳が正常な人間であれば、それらの記憶のうちでも「良かったこと」や「楽しかったこと」を優先して思い出し、「悪かったこと」や「辛かったこと」は封印したり、思い出してもその瞬間に味わったネガティブな感情を想起させないように、シャットダウンをかけます。何故に、脳がこのように働くのかといえば、何か行動を起こそうと思った時に「悪かったこと」や「辛かったこと」を思い出してしまうと、萎縮して行動に移れなかったり、悪いイメージばかりが頭の中を巡った結果として行動が失敗する確率が上昇してしまうからです。
ところが、脳に異常のある人間は、この「悪い記憶をシャットダウンする」という機能に異常が生じています。たとえば、鬱病の患者はふっと気を抜くと失敗や悲しい出来事を走馬燈のように思い出して悶え苦しむんです。これが常態化している人間にとって、リアルと「不幸な出来事」や「嫌な出来事」は等価です。つまり、ネガティブ=リアルなんですね。
ということはですね。これを裏返すと、ポジティブ=真・善・美ということになります。これをイデアと言い換えてもかまいません。つまり、ネガティブ=リアルという出発点がなければ、イデアという理念も生まれないんですよ。同時に、この2項分類は現実を隠蔽するフィルターの役割を果たします。どういう風にフィルターの役割を果たすかと言えば、現実を2極分化することによって、どちらにも属さない問題を隠蔽してしまうわけですよ。
上述のように「男権主義的イデオロギー」という抽象概念には、幾つかの面で特定の性癖を論理的に正当化するという効力があります。まず、レイプの正当化です。現在の我々の社会が女性を性的に搾取する行動規範を内包しているのだとすれば、レイプが発生するのは必然ということになります。
社会改革を訴えるグループは、これらの理論をもって「社会を変えるべし」となるわけですが、レイプを正当化したがる人間は「社会規範がそうなっているのだから、犯人に責任はない」となります。つまり、この2つのグループはコインの裏表の関係に過ぎません。ただ、レイプを正当化したがる人間は、その根拠を男性の「本能」なるものに求めたがる傾向があります。
では、実際のレイプ事件の犯人はどうなのかというと、私は一昨年に出版した性犯罪関係の本を作成するために相当数の記録を調べたんですけれども、犯人の大多数は人格障害者、この場合は「俺は特別な存在で、社会規範を破ることが許されている」と考えるタイプの異常性格者で、ごく少数は知的障害者でした。路上で未成年者を襲った事件に限定するのであれば、犯人の約半数は知的障害者です。最近になって起こった、東金の女児殺害事件なんかはこの典型ですね。そして、人格障害者にせよ知的障害者にせよ、社会規範を理解、実行できるだけの頭は持ち合わせていません。つまり、性犯罪の大半はポルノを含む社会環境や社会規範のせいで起こるのではなく、犯人の脳が原因で起こるんです。
ただし、世知に長けた人格障害者にありがちなパターンですけれども、彼らの大多数は社会規範に適応する能力がない代わりに、責任転嫁をする能力には長けています。私は10年以上も前に、鬱病でアルコール中毒患者で、酔った勢いで女性に暴力を働いていた人格障害者と1年近くかけてやり合ったことがあるんですけど、こいつは凄かったですよ。
まず「俺は女性からモテるんだ」と豪語しつつ、何故か借金までして水商売の女の子に貢ぎ物。そして、最後には自己破産。次に付き合っていた女性に「俺が社会人としてのルールを教えてやる」と豪語しつつ、自分は鬱悪化による飲酒のしすぎで会社を何度も欠勤。もちろん、酔うと凶暴になって女性に暴力をふるうんですけど、その理由は「お前が俺を怒らせた」というもので、具体的な内容は「男性に対する言葉遣いがなっていない」とか「俺を男としてたててくれない」というもの。
で、ここまで書けばお分かりの通り、この人格障害者は典型的な「男権主義的イデオロギー」の持ち主なんですが、問題はご本人がイデオロギー通りに行動していない点(これは、大半の男権主義的イデオロギーを振りかざす男性に共通した特徴ですけど)で、ここを私がどんどん突っ込んでいくと、最後には「俺は子供の頃から優秀な姉と比較されて育てられて、それがコンプレックスになっていたんだ」と、今度は母親の育て方に責任転嫁。
ちなみに、こいつの年齢は40代後半でしたよ。大学生ぐらいの年齢ならいざ知らず、社会人になって20年も経った大人が、自分の母親が悪いと主張する姿にはリアリティ皆無。で、こいつがその証明として持ち出したのは加藤諦三の本です。そこそこ知恵の回る人格障害者とか、病識のない精神病患者の家に行くと、もれなく一冊は置いてある、東京都の青少年健全育成条例を悪化させた、頭のおかしい大学教授の本ですよ。
つまり、この人格障害者は「自分の責任」にさえならなければ、どんな理屈だって持ち出してくるんです。その点で、「社会が悪い」も「女が悪い」も「親の育て方が悪い」も等価なんです。じゃあ、何でこいつが必死になって責任転嫁をやっているかというと、責任転嫁が出来ない場合は「すべて自分が悪い」という結論に到達して、自分で自分を責め立ててしまうからです。
ここで注目すべきなのは「××が悪い」という思考法です。社会が悪い、資本家が悪い、親が悪い、自分が悪い、彼女が悪い、理解者がいないのが悪い……何でも構いませんが、とにかく「悪い」(責任がある)ことにこだわっている点が重要です。当たり前の話ですが、完璧な人間などおらず、完璧な社会もない以上、我々は生きている間に良かった思える時間、楽しかったと思える時間と、悪かったと思える時間、辛かったと思える時間のどちらも経験しています。
脳が正常な人間であれば、それらの記憶のうちでも「良かったこと」や「楽しかったこと」を優先して思い出し、「悪かったこと」や「辛かったこと」は封印したり、思い出してもその瞬間に味わったネガティブな感情を想起させないように、シャットダウンをかけます。何故に、脳がこのように働くのかといえば、何か行動を起こそうと思った時に「悪かったこと」や「辛かったこと」を思い出してしまうと、萎縮して行動に移れなかったり、悪いイメージばかりが頭の中を巡った結果として行動が失敗する確率が上昇してしまうからです。
ところが、脳に異常のある人間は、この「悪い記憶をシャットダウンする」という機能に異常が生じています。たとえば、鬱病の患者はふっと気を抜くと失敗や悲しい出来事を走馬燈のように思い出して悶え苦しむんです。これが常態化している人間にとって、リアルと「不幸な出来事」や「嫌な出来事」は等価です。つまり、ネガティブ=リアルなんですね。
ということはですね。これを裏返すと、ポジティブ=真・善・美ということになります。これをイデアと言い換えてもかまいません。つまり、ネガティブ=リアルという出発点がなければ、イデアという理念も生まれないんですよ。同時に、この2項分類は現実を隠蔽するフィルターの役割を果たします。どういう風にフィルターの役割を果たすかと言えば、現実を2極分化することによって、どちらにも属さない問題を隠蔽してしまうわけですよ。
4件のコメント
[C1025]
- 2009-01-07
- 編集
[C1026] イギリスなら逮捕
・優秀な姉
・優秀な姉と自分を比較する母親
・加藤諦三の本
これらの性犯罪者の自己正当化に使われるので、その単純所持を禁止し、接触犯罪を未然に防止する観点から所持者を即刻逮捕して認知行動療法を受けさせて認知の歪みを修正する必要があります。
・優秀な姉と自分を比較する母親
・加藤諦三の本
これらの性犯罪者の自己正当化に使われるので、その単純所持を禁止し、接触犯罪を未然に防止する観点から所持者を即刻逮捕して認知行動療法を受けさせて認知の歪みを修正する必要があります。
- 2009-01-07
- 編集
[C1029] 1025さん
あ、書き方が悪かったですね。
ノンフィクション系の本じゃなくてただのエロ本です。
しかも、私はレイプにまったく興味がないので、担当箇所はコラム部分での執筆のみですから、参考資料として集めるのにも、あんまり価値がないですよ。
まあ、個人的にはあれは結構な勉強になりましたけど。
ノンフィクション系の本じゃなくてただのエロ本です。
しかも、私はレイプにまったく興味がないので、担当箇所はコラム部分での執筆のみですから、参考資料として集めるのにも、あんまり価値がないですよ。
まあ、個人的にはあれは結構な勉強になりましたけど。
- 2009-01-07
- 編集
[C1030] 1026さん
左翼はよく失念するんですけど、昔、大久保清という連続強姦殺人鬼がいて、彼なんかは「左翼」を名乗って女性をレイプ、殺害しまくっていたんですけど、本が影響を与えるって言うんなら、差yくけいの本は全部単純所持禁止ですよね?
あ、もちろん加藤の本は単純所持禁止の方向でお願いします。マジで悪影響なんで。
あ、もちろん加藤の本は単純所持禁止の方向でお願いします。マジで悪影響なんで。
- 2009-01-07
- 編集
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