王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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2.
話を戻しましょう。このように、リアルとはたいてい惨いモノですし、嫌な現実に直面しそうな場合は、自分の脳内からスポイルするか、ギャグにして笑って誤魔化すか、本当に直面したくない現実よりも相対的にマシであるにもかかわらず「悲惨」な状況をフィクションとして作り出し、それをリアルであると主張するかの、いずれかの方法を採りがちです。そして、「男権主義的な社会が女性を性的に搾取している」という話も、リアルを見たくない人達の作り上げたファンタジーに過ぎないんですよ。
このフィクションの手が込んでいる部分は、女性差別が我々の社会で行われている、という厳然たる事実に準拠して論旨を展開している点にあります。しかし、先ほども述べたように、女性差別が社会的に行われているかどうかと、男性が早漏かどうかには、それほど大きな相関関係はありません。その事例に関して、私の実体験に基づいたお話をしていきましょう。
私は年間に30~50人の「SMプレイをしてみたい」という素人女性に対して、実際にSMプレイをし、その様子を記録し、それを編集・販売しています。つまり、ポルノ制作者です。杉田の定義によれば、私は性的な搾取者ということになります。ただし、撮影時に問題が発生しないように、撮影の前に電話か直接会うかのどちらかの方法で事前面接を行い、女性の趣向やしてみたいこと、されたくないこと、今までの性生活などを訊いて、これを当日のプレイに反映させるように心がけています。
で、その際に女性の大部分から聴かれる男性に対する不満は、
1)セックスが下手
2)早漏
3)短小
なんですよ。要するに、女性の視点からすると世の中の男性の大半は「男」としての基準を満たしていないんです。
じゃあ、何でこんな結果になってしまうかといえば、セックス、あるいは性行為全般が肉体を使わざるを得ないからです。つまり、サッカーや野球と同じように、肉体的な資質に左右される行為なんです。しかも、残酷なことに、セックスはサッカーや野球と違って練習する場所がない上に、子供はしてはいけなくて、大人になると誰もが「するのが当然」と考えられているんです。これは、男女の性差なしに降りかかってくる問題ですけれど、理由は解りませんが社会的な習慣上、性行為に関しては男性側がリードする側と規定されている場合が多いので、男性がセックスが下手、あるいは性的能力が劣る場合は、即決で「男」ではないというジャッジが下されるわけです。
「男権主義的イデオロギー」という概念は、ホイチョイの作品と同様に、このフィジカルな問題と自己評価の低さの問題を隠蔽しているんです。つまり、「男権主義的イデオロギー」に対して批判的、あるいは自覚的であると考えている男性の大半は、具象性のある性行為に対して何らかのネガティブな感情を抱いているんです。それで、性行為がネガティブな結果をもたらしたという具体例を探してきては、これをフレームアップして「やっぱり、セックスには悪い面があるんだ」という確信を保持するように努力しているんです。
もちろん、セックスにも他の肉体を使った行為と同様にネガティブな側面はあります。繰り返しになりますが、男性が下手くそだったり性的に劣位の存在だったりする場合、その結果というのはたいていネガティブです。それと同じように、性的に劣位な女性がセックスをしたら、やっぱり同じようにネガティブな結果しか出ません。当たり前の話ですよね?
たとえば、紙屋さんが例示している永沢光雄の『AV女優』に出てくるAV女優の半数以上を、私は(アダルトビデオ雑誌を編集していたので)知っていますけど、彼女たちのほぼ全員がセックス下手か、年齢が若すぎて性的に未熟です。永沢か編集部は恣意的に「そういう」女優を選んでるんです。だから、インタビューを始める前から結論は出てるんですよ。
ちなみに、永沢がこの企画でインタビューしたAV女優の一人が、広末奈緒という芸名で活動していた子だった(この子も私とは直接面識があった)んですけど、インタビューの場に遅刻して現れた永沢が泥酔状態だったのにキレたら、まともなインタビューが成立せず、そのまま永沢は精神的にぶっ壊れちゃいました。つまり、永沢は強い態度で怒っている、自分よりも若い女の子に対応する能力すらないほど脆弱だったんです。もっとハッキリ言うと、永沢はAV女優が弱くて不幸な存在じゃないと、まともに喋ることも出来なかったんですよ。紙屋さんが、杉田聡の本を振り回していた女性に、圧倒されてしまったのと一緒ですよね?
これは、他の「社会派」を気取っているAVライターも同様で、女の子が「セックス大好き」と発言すると、ものすごくがっかりした顔をしたり、あるいは発言そのものを過少に読み取れるように、文面を変更してしまったりします。要するに、ライターも彼らの読者もAV女優には弱くて不幸であって欲しいんです。AVに出たくて出演した女の子や、セックスに才能のある女の子の話なんか、聞きたくもないんですよ。
どうしてかというと、彼らは性欲が強くて性的な才能に恵まれた女性を相手にすると萎縮してしまうからです。これは、具象的な性行為に対するネガティブな感情や「自分が女性よりも優位に立ちたい」という願望などと対になっています。そして、これらの根幹にある価値基準、具体的には性に対する被害妄想が「男権主義的イデオロギー」というフィクションを生産する動機になっているんです。同時に、こうした性的な動機は、一部の小児性愛者や「レイプ好き」の人間と重なる性癖なんです。
(続く)
話を戻しましょう。このように、リアルとはたいてい惨いモノですし、嫌な現実に直面しそうな場合は、自分の脳内からスポイルするか、ギャグにして笑って誤魔化すか、本当に直面したくない現実よりも相対的にマシであるにもかかわらず「悲惨」な状況をフィクションとして作り出し、それをリアルであると主張するかの、いずれかの方法を採りがちです。そして、「男権主義的な社会が女性を性的に搾取している」という話も、リアルを見たくない人達の作り上げたファンタジーに過ぎないんですよ。
このフィクションの手が込んでいる部分は、女性差別が我々の社会で行われている、という厳然たる事実に準拠して論旨を展開している点にあります。しかし、先ほども述べたように、女性差別が社会的に行われているかどうかと、男性が早漏かどうかには、それほど大きな相関関係はありません。その事例に関して、私の実体験に基づいたお話をしていきましょう。
私は年間に30~50人の「SMプレイをしてみたい」という素人女性に対して、実際にSMプレイをし、その様子を記録し、それを編集・販売しています。つまり、ポルノ制作者です。杉田の定義によれば、私は性的な搾取者ということになります。ただし、撮影時に問題が発生しないように、撮影の前に電話か直接会うかのどちらかの方法で事前面接を行い、女性の趣向やしてみたいこと、されたくないこと、今までの性生活などを訊いて、これを当日のプレイに反映させるように心がけています。
で、その際に女性の大部分から聴かれる男性に対する不満は、
1)セックスが下手
2)早漏
3)短小
なんですよ。要するに、女性の視点からすると世の中の男性の大半は「男」としての基準を満たしていないんです。
じゃあ、何でこんな結果になってしまうかといえば、セックス、あるいは性行為全般が肉体を使わざるを得ないからです。つまり、サッカーや野球と同じように、肉体的な資質に左右される行為なんです。しかも、残酷なことに、セックスはサッカーや野球と違って練習する場所がない上に、子供はしてはいけなくて、大人になると誰もが「するのが当然」と考えられているんです。これは、男女の性差なしに降りかかってくる問題ですけれど、理由は解りませんが社会的な習慣上、性行為に関しては男性側がリードする側と規定されている場合が多いので、男性がセックスが下手、あるいは性的能力が劣る場合は、即決で「男」ではないというジャッジが下されるわけです。
「男権主義的イデオロギー」という概念は、ホイチョイの作品と同様に、このフィジカルな問題と自己評価の低さの問題を隠蔽しているんです。つまり、「男権主義的イデオロギー」に対して批判的、あるいは自覚的であると考えている男性の大半は、具象性のある性行為に対して何らかのネガティブな感情を抱いているんです。それで、性行為がネガティブな結果をもたらしたという具体例を探してきては、これをフレームアップして「やっぱり、セックスには悪い面があるんだ」という確信を保持するように努力しているんです。
もちろん、セックスにも他の肉体を使った行為と同様にネガティブな側面はあります。繰り返しになりますが、男性が下手くそだったり性的に劣位の存在だったりする場合、その結果というのはたいていネガティブです。それと同じように、性的に劣位な女性がセックスをしたら、やっぱり同じようにネガティブな結果しか出ません。当たり前の話ですよね?
たとえば、紙屋さんが例示している永沢光雄の『AV女優』に出てくるAV女優の半数以上を、私は(アダルトビデオ雑誌を編集していたので)知っていますけど、彼女たちのほぼ全員がセックス下手か、年齢が若すぎて性的に未熟です。永沢か編集部は恣意的に「そういう」女優を選んでるんです。だから、インタビューを始める前から結論は出てるんですよ。
ちなみに、永沢がこの企画でインタビューしたAV女優の一人が、広末奈緒という芸名で活動していた子だった(この子も私とは直接面識があった)んですけど、インタビューの場に遅刻して現れた永沢が泥酔状態だったのにキレたら、まともなインタビューが成立せず、そのまま永沢は精神的にぶっ壊れちゃいました。つまり、永沢は強い態度で怒っている、自分よりも若い女の子に対応する能力すらないほど脆弱だったんです。もっとハッキリ言うと、永沢はAV女優が弱くて不幸な存在じゃないと、まともに喋ることも出来なかったんですよ。紙屋さんが、杉田聡の本を振り回していた女性に、圧倒されてしまったのと一緒ですよね?
これは、他の「社会派」を気取っているAVライターも同様で、女の子が「セックス大好き」と発言すると、ものすごくがっかりした顔をしたり、あるいは発言そのものを過少に読み取れるように、文面を変更してしまったりします。要するに、ライターも彼らの読者もAV女優には弱くて不幸であって欲しいんです。AVに出たくて出演した女の子や、セックスに才能のある女の子の話なんか、聞きたくもないんですよ。
どうしてかというと、彼らは性欲が強くて性的な才能に恵まれた女性を相手にすると萎縮してしまうからです。これは、具象的な性行為に対するネガティブな感情や「自分が女性よりも優位に立ちたい」という願望などと対になっています。そして、これらの根幹にある価値基準、具体的には性に対する被害妄想が「男権主義的イデオロギー」というフィクションを生産する動機になっているんです。同時に、こうした性的な動機は、一部の小児性愛者や「レイプ好き」の人間と重なる性癖なんです。
(続く)
3件のコメント
[C1022] うつ病
- 2009-01-06
- 編集
[C1023] 続きをワクテカして待ってます
「AV女優」は文庫化されたぐらいの時に東映で映画化する話がありましたね。
この企画が流れたのはアレですかね、「北京原人」の呪いですかね。ウパー。
この企画が流れたのはアレですかね、「北京原人」の呪いですかね。ウパー。
- 2009-01-06
- 編集
[C1024] CBTさん
すいません。
ディスプレイの前で悶絶してしまいました。
ウバー!
なんであの企画が通ったのか、『幻の湖』と並んで日本戦後映画史最大の謎の1つだと思っているんですけど、『AV女優』の映画化の企画まであったとは、驚きを通り越して呆れるしかありません。
映画業界は魑魅魍魎の住処ですな。
ディスプレイの前で悶絶してしまいました。
ウバー!
なんであの企画が通ったのか、『幻の湖』と並んで日本戦後映画史最大の謎の1つだと思っているんですけど、『AV女優』の映画化の企画まであったとは、驚きを通り越して呆れるしかありません。
映画業界は魑魅魍魎の住処ですな。
- 2009-01-07
- 編集
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いつも勉強になっています、ありがとうございます。