王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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先月の27日に大叔母の告別式に出席。
しかし、開催場所への移動中、電車内でゲイの痴漢に遭遇。最初は電車の揺れに合わせてお尻がぶつかってくるだけだと思い、「まあ、混んでるし場所をずらすか」と立ち位置を変えたのだが、どういうわけか相手のお尻がこっちをホーミングしてくるざんす。で、「何じゃこいつは?」と思って相手を観察すると、スキンヘッドで痩身の年下男性。見た瞬間に、そっち系と分かる雰囲気で参った。とりあえず、身体の方向を180度回転して防御。この年齢になって痴漢などされたくないわい。
幸い、それ以上のトラブルはなく、無事に告別式は終了。直帰して作業を再開。ぜんぜん終わらない。死ぬな、これは………と凹んでいると、追い打ちに知り合いのライターから連絡。どうやら、このブログに目を通しているようで、「非モテとオタクに関するネタがないか?」と言われて順ギレモードに突入。
あのね、オタクはイコールで非モテじゃありません! 分かります? 何で、いつの間に「社会常識の欠如した空気の読めない人間」が「もてない男性」と等価になっちゃったのかな?
で、ですね。いわゆる『オタク』というのは、1970年代以降に普及した技術革新によって可能になった、サンプリングカルチャーの一端を担う存在だったと思うんですよ。歴史的には。じゃあ、その技術革新というのは何かというと、
1)オフセット印刷
ここでいうオフセット印刷というのは、1973年以降に定着したダイレクト製版技術のことで、これが活版印刷の製版量を追い抜いたのが1980年~1985年の間というのが定説。つまり、この時期からオフセット印刷で同人誌が作れるようになったんざんすね。
それと同時に、書店で販売されている雑誌群がモノクロ主体からカラー主体に移行しました。これは、オフセット印刷が多色刷りに向いていたからです。
2)複写機
ここでいう複写機というのは、PPC(普通紙複写機、静電間接式)のことで、いわゆる「普通の」コピー機のことを指します。最初期のコピー機は1955年に米ゼロックス社が開発。日本では1971年に国産機が発売。コピーセンターなどによって一般に普及したのは1970年代の後半からで、これのお陰でコピー誌が作れるようになりました。
3)ビデオデッキ
ソニーが家庭用カラーVTR『Beta-max』を発売したのが1975年。1976年にはVHS方式家庭用カラーVTRが発表。これで、テレビ番組を録画、コピーすることが可能になりました。普及は1980年代頃から。
4)コンパクトカセット
いわゆるカセットテープのこと。元はオランダのフィリップス社が1962年に開発。日本での普及は1970年代からで、1979年にソニーが『ウォークマン』を開発してから大ヒットに。これで、ラジオ番組やレコードの録音、コピーが可能なりました。
………こう並べていくと明白だが、1970年代後半から80年代前半にかけて、日本では大がかりな機械を使わなくとも、一般家庭にいながら、書籍、映像、音声の『複写』が可能になったのだ。そこで、既存の創作物を複写によって「サンプリング」して、そこから別の創作物を作り出すという手法が自然発生的に登場する。その際に行われる方法としては、
A)既存の作品をサンプリングして、これをデータベースに作り直す
B)既存の作品をサンプリングし、複数のサンプルを素材として認識し、それらを組み合わせて別の創作物へと作り直す
があって、前者はいわゆる『データ本』、後者は『パロディ』として定着する。これがオタクの2大様式となり、現在まで連綿と受け継がれていくことになるんだけど、問題はサンプリングの対象をどこから引っ張ってくるかで、まあ、大ヒットした作品を元ネタにするのはどこでもできるとして、他の「サンプリング作品」との差別化はどこで図るのかってトコロ。
ここでも表現様式には大まかに分けて4つあって、
A)メジャーな作品のサンプリングに、別のメジャーな作品をサンプリングしたものを足す。別ジャンルの作品を足すのが粋だと見なされる傾向がある。
B)メジャーな作品のサンプリングに、マイナー、もしくはかつてはメジャーだったが、今や忘れ去られた古い作品をサンプリングし、知識のない者には単なるメジャー作品のパロディに見えるが、知識のある者には複合体に見えるという仕掛けを施す。当然、元ネタがいくつ言えるかによって、視聴者にヒエラルキーが生じる。
C)Aというジャンルの作品をサンプリングして、Bというジャンルに移植。たとえば、映画のストーリーをいただいてマンガに、マンガのストーリーをいただいて小説にといった感じで、かなり古くから行われていた手法の1つ。
D)海外作品・古典作品をサンプリングして、日本語でオリジナルとして出し直す。最も古典的な手法。
となるけれども、『オタク』の手法として認知されているのは最初の2つ。これは、先述のサンプリング方法と関連性がある。つまり、機械的な複写技術が発達した結果として、それ以前に比べると情報の劣化が起こりにくくなり、創作者が過去の作品、あるいは海外の作品を自分の記憶(情報)の劣化と共に自然変質したものを利用して別作品を創出する、というプロセスが発生しづらい環境が生まれてしまったのだ。この傾向は、パソコンの普及とデータのデジタル化によって決定的になるけど、それはまた別の話。
当時は、まだネットなんてないので、ネットを検索してデータベースにするという手法は採れないから、『オタク』をやりたいヒトの中でも、特にBタイプを目指すヒトは、情報の集積場所を作るか、情報が集まってる場所に行かなくちゃいけないわけです。
前者は「TVをビデオに録画する相互扶助グループ」みたいな形式で存在していたケースが多くて、後者の場というのは図書館とか古本屋とか古レコード店になる。この2つが混合したものが、初期オタクのライフスタイルを決定。
これとは別途に、もう1つのオタク文化の主流になるのは、1978年に発表された、タイトーの『スペースインベーダー』と1983年に発売された任天堂の『ファミリーコンピューター』。当時は簡単にゲームを「複写」するのは難しかったから、ここでオタクの内部にも世代間・学閥間の亀裂が発生。この経緯に関しては、面倒くさいから省略。
で、これと非モテにどんな関係があると?
しかし、開催場所への移動中、電車内でゲイの痴漢に遭遇。最初は電車の揺れに合わせてお尻がぶつかってくるだけだと思い、「まあ、混んでるし場所をずらすか」と立ち位置を変えたのだが、どういうわけか相手のお尻がこっちをホーミングしてくるざんす。で、「何じゃこいつは?」と思って相手を観察すると、スキンヘッドで痩身の年下男性。見た瞬間に、そっち系と分かる雰囲気で参った。とりあえず、身体の方向を180度回転して防御。この年齢になって痴漢などされたくないわい。
幸い、それ以上のトラブルはなく、無事に告別式は終了。直帰して作業を再開。ぜんぜん終わらない。死ぬな、これは………と凹んでいると、追い打ちに知り合いのライターから連絡。どうやら、このブログに目を通しているようで、「非モテとオタクに関するネタがないか?」と言われて順ギレモードに突入。
あのね、オタクはイコールで非モテじゃありません! 分かります? 何で、いつの間に「社会常識の欠如した空気の読めない人間」が「もてない男性」と等価になっちゃったのかな?
で、ですね。いわゆる『オタク』というのは、1970年代以降に普及した技術革新によって可能になった、サンプリングカルチャーの一端を担う存在だったと思うんですよ。歴史的には。じゃあ、その技術革新というのは何かというと、
1)オフセット印刷
ここでいうオフセット印刷というのは、1973年以降に定着したダイレクト製版技術のことで、これが活版印刷の製版量を追い抜いたのが1980年~1985年の間というのが定説。つまり、この時期からオフセット印刷で同人誌が作れるようになったんざんすね。
それと同時に、書店で販売されている雑誌群がモノクロ主体からカラー主体に移行しました。これは、オフセット印刷が多色刷りに向いていたからです。
2)複写機
ここでいう複写機というのは、PPC(普通紙複写機、静電間接式)のことで、いわゆる「普通の」コピー機のことを指します。最初期のコピー機は1955年に米ゼロックス社が開発。日本では1971年に国産機が発売。コピーセンターなどによって一般に普及したのは1970年代の後半からで、これのお陰でコピー誌が作れるようになりました。
3)ビデオデッキ
ソニーが家庭用カラーVTR『Beta-max』を発売したのが1975年。1976年にはVHS方式家庭用カラーVTRが発表。これで、テレビ番組を録画、コピーすることが可能になりました。普及は1980年代頃から。
4)コンパクトカセット
いわゆるカセットテープのこと。元はオランダのフィリップス社が1962年に開発。日本での普及は1970年代からで、1979年にソニーが『ウォークマン』を開発してから大ヒットに。これで、ラジオ番組やレコードの録音、コピーが可能なりました。
………こう並べていくと明白だが、1970年代後半から80年代前半にかけて、日本では大がかりな機械を使わなくとも、一般家庭にいながら、書籍、映像、音声の『複写』が可能になったのだ。そこで、既存の創作物を複写によって「サンプリング」して、そこから別の創作物を作り出すという手法が自然発生的に登場する。その際に行われる方法としては、
A)既存の作品をサンプリングして、これをデータベースに作り直す
B)既存の作品をサンプリングし、複数のサンプルを素材として認識し、それらを組み合わせて別の創作物へと作り直す
があって、前者はいわゆる『データ本』、後者は『パロディ』として定着する。これがオタクの2大様式となり、現在まで連綿と受け継がれていくことになるんだけど、問題はサンプリングの対象をどこから引っ張ってくるかで、まあ、大ヒットした作品を元ネタにするのはどこでもできるとして、他の「サンプリング作品」との差別化はどこで図るのかってトコロ。
ここでも表現様式には大まかに分けて4つあって、
A)メジャーな作品のサンプリングに、別のメジャーな作品をサンプリングしたものを足す。別ジャンルの作品を足すのが粋だと見なされる傾向がある。
B)メジャーな作品のサンプリングに、マイナー、もしくはかつてはメジャーだったが、今や忘れ去られた古い作品をサンプリングし、知識のない者には単なるメジャー作品のパロディに見えるが、知識のある者には複合体に見えるという仕掛けを施す。当然、元ネタがいくつ言えるかによって、視聴者にヒエラルキーが生じる。
C)Aというジャンルの作品をサンプリングして、Bというジャンルに移植。たとえば、映画のストーリーをいただいてマンガに、マンガのストーリーをいただいて小説にといった感じで、かなり古くから行われていた手法の1つ。
D)海外作品・古典作品をサンプリングして、日本語でオリジナルとして出し直す。最も古典的な手法。
となるけれども、『オタク』の手法として認知されているのは最初の2つ。これは、先述のサンプリング方法と関連性がある。つまり、機械的な複写技術が発達した結果として、それ以前に比べると情報の劣化が起こりにくくなり、創作者が過去の作品、あるいは海外の作品を自分の記憶(情報)の劣化と共に自然変質したものを利用して別作品を創出する、というプロセスが発生しづらい環境が生まれてしまったのだ。この傾向は、パソコンの普及とデータのデジタル化によって決定的になるけど、それはまた別の話。
当時は、まだネットなんてないので、ネットを検索してデータベースにするという手法は採れないから、『オタク』をやりたいヒトの中でも、特にBタイプを目指すヒトは、情報の集積場所を作るか、情報が集まってる場所に行かなくちゃいけないわけです。
前者は「TVをビデオに録画する相互扶助グループ」みたいな形式で存在していたケースが多くて、後者の場というのは図書館とか古本屋とか古レコード店になる。この2つが混合したものが、初期オタクのライフスタイルを決定。
これとは別途に、もう1つのオタク文化の主流になるのは、1978年に発表された、タイトーの『スペースインベーダー』と1983年に発売された任天堂の『ファミリーコンピューター』。当時は簡単にゲームを「複写」するのは難しかったから、ここでオタクの内部にも世代間・学閥間の亀裂が発生。この経緯に関しては、面倒くさいから省略。
で、これと非モテにどんな関係があると?
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