王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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化粧=悪が公的に喧伝されたのは、太平洋戦争勃発から終戦までの期間、特に敗戦が濃厚になった一九四三年以降で、物資の不足と反米教育の意味合いがありました。具体的には国民総進撃運動の時期を境に、まずお化粧をする余裕が国全体から消えていきます。これと平行してマスコミによる反米宣伝が盛んになっていき、ついには次のような文言が婦人雑誌に掲載されるようになります。
毒獣アメリカ女
淫乱、酷薄、悪逆、非道、あらゆる形容を超えたアメリカ女!
アメリカ女が金科玉条としてゐる婦道とはなんであったらうか。それは顔を磨き立て化粧を凝らし姿を整えて、他の女よりできるだけ美しくし、男の目を惹くことなのである。
まず、この反米アジテーションスタイルが、戦後の反米民族主義や反米左派とそっくりなことに笑って下さい。アメリカ女は毒獣! 反グローバリズム! NOと言えるニッポンですよ!
でもまあ、これは当然で、戦前の日本は天皇制を維持したまま統制経済=社会主義経済に突入したので、原則として反自由主義、反資本主義、そして反白人主義でした。戦後の左派も民族派も、天皇制を容認するか否かを除けば基本的にこの時代の社会主義経済を理想としており、反米という点でも戦前の政府の主張をほとんどそのまま継承しているだけです。
そこで、注目しなければならないのが「アメリカ女が化粧をする理由」です。上記のアジテーションをもう一度読み返して下さい。アメリカ女の毒獣たるゆえんは、男の目を惹くために女性同士で化粧を競い合うことにあります。要するに、功利的な打算による化粧、女性同士の競争を煽る化粧が悪とされたのです。
功利的な打算とは個人主義と同意、競争の否定は平等主義と同意で、どちらも社会主義にルーツを持つ価値観です。しかし、日本人の化粧は儒教文化に根ざしたもので、礼法の一種=公共の福祉に反しない目的なので善とされました。ここで大切なのは、社会主義的な価値観と儒教的な価値観が結びついてしまっていることで、両者に高い親和性があることを証明しています。これは、中国文化の影響下にある東アジアの国々にしばしば見られるもので、この現象も特に日本独自というわけではありません。
けれども、ここで一つの疑問が湧きます。当時の人は、どうやって「功利的な化粧」と「礼法としての化粧」を見分けていたのでしょうか? どちらも化粧に変わりはないので、外面から動機を判断することは不可能なはずです。
結論から述べてしまうと、日米の化粧法は、化粧品の成分と方法によって見た目で分類が可能でした。まず、成分ですが、戦前の日本製化粧品は大部分が水溶性。口紅も染料。これで化粧をすると、肌や唇はマット(艶なし)になります。これに対して、アメリカ製の化粧は大部分が油性。口紅も油性。これで化粧をすると、肌や唇は上から油でコートされ、油膜で光に反射するようになります(艶あり)。
次に化粧法ですが、決定的に異なるのが唇の塗り方でした。日本はかなり昔から「口を小さく見せる」ことに腐心していて、西洋風の化粧法が広まった後も、唇の塗り方は唇の内側にラインを引いて、本当の唇の大きさよりも小さめに見せるというのが一般的。これに対して、当時のアメリカでは唇をはみ出るぐらいめいっぱいラインを引いて口元を強調する方法が主流でした。
美的価値観とは恐ろしいもので、変わった変わったと言われながらも、なかなか変わらない保守的なものです。上記の経緯で決められたアメリカ的化粧法=悪という概念は、戦後の一時期を除いて繰り返し登場する美的価値観で、
1)マット(艶無し)は上品、高級。コート(艶あり)は下品で低俗。
2)唇が小さい女性は大人しくて上品。唇の大きな女性は攻撃的で下品。
という分かりやすい二元論として語られます。
余談になりますが、オタクも保守的な価値観の持ち主が多いので、イラストや同人誌の表紙はマット地の方が上品・高級というイメージがあり(一昔前まで、マットを想像させる色調はハイエンド系と呼ばれていたようです)、また女性の口はたいてい小さく描かれます。例外的に女性の唇が大きくかかれるのは、攻撃的な女性が登場する場合か、日米(もしくは白人と黄色人種)の女性をかき分ける必要がある場合で、もちろんアメリカ人女性の口が大きく描かれます。
で、話を戻してアメリカ風化粧法批判ですけど、これだけ政府が国粋主義を主張したにもかかわらず、どうしても変えられなかった西洋風美的価値観がありました。それは………
(続く)
毒獣アメリカ女
淫乱、酷薄、悪逆、非道、あらゆる形容を超えたアメリカ女!
アメリカ女が金科玉条としてゐる婦道とはなんであったらうか。それは顔を磨き立て化粧を凝らし姿を整えて、他の女よりできるだけ美しくし、男の目を惹くことなのである。
まず、この反米アジテーションスタイルが、戦後の反米民族主義や反米左派とそっくりなことに笑って下さい。アメリカ女は毒獣! 反グローバリズム! NOと言えるニッポンですよ!
でもまあ、これは当然で、戦前の日本は天皇制を維持したまま統制経済=社会主義経済に突入したので、原則として反自由主義、反資本主義、そして反白人主義でした。戦後の左派も民族派も、天皇制を容認するか否かを除けば基本的にこの時代の社会主義経済を理想としており、反米という点でも戦前の政府の主張をほとんどそのまま継承しているだけです。
そこで、注目しなければならないのが「アメリカ女が化粧をする理由」です。上記のアジテーションをもう一度読み返して下さい。アメリカ女の毒獣たるゆえんは、男の目を惹くために女性同士で化粧を競い合うことにあります。要するに、功利的な打算による化粧、女性同士の競争を煽る化粧が悪とされたのです。
功利的な打算とは個人主義と同意、競争の否定は平等主義と同意で、どちらも社会主義にルーツを持つ価値観です。しかし、日本人の化粧は儒教文化に根ざしたもので、礼法の一種=公共の福祉に反しない目的なので善とされました。ここで大切なのは、社会主義的な価値観と儒教的な価値観が結びついてしまっていることで、両者に高い親和性があることを証明しています。これは、中国文化の影響下にある東アジアの国々にしばしば見られるもので、この現象も特に日本独自というわけではありません。
けれども、ここで一つの疑問が湧きます。当時の人は、どうやって「功利的な化粧」と「礼法としての化粧」を見分けていたのでしょうか? どちらも化粧に変わりはないので、外面から動機を判断することは不可能なはずです。
結論から述べてしまうと、日米の化粧法は、化粧品の成分と方法によって見た目で分類が可能でした。まず、成分ですが、戦前の日本製化粧品は大部分が水溶性。口紅も染料。これで化粧をすると、肌や唇はマット(艶なし)になります。これに対して、アメリカ製の化粧は大部分が油性。口紅も油性。これで化粧をすると、肌や唇は上から油でコートされ、油膜で光に反射するようになります(艶あり)。
次に化粧法ですが、決定的に異なるのが唇の塗り方でした。日本はかなり昔から「口を小さく見せる」ことに腐心していて、西洋風の化粧法が広まった後も、唇の塗り方は唇の内側にラインを引いて、本当の唇の大きさよりも小さめに見せるというのが一般的。これに対して、当時のアメリカでは唇をはみ出るぐらいめいっぱいラインを引いて口元を強調する方法が主流でした。
美的価値観とは恐ろしいもので、変わった変わったと言われながらも、なかなか変わらない保守的なものです。上記の経緯で決められたアメリカ的化粧法=悪という概念は、戦後の一時期を除いて繰り返し登場する美的価値観で、
1)マット(艶無し)は上品、高級。コート(艶あり)は下品で低俗。
2)唇が小さい女性は大人しくて上品。唇の大きな女性は攻撃的で下品。
という分かりやすい二元論として語られます。
余談になりますが、オタクも保守的な価値観の持ち主が多いので、イラストや同人誌の表紙はマット地の方が上品・高級というイメージがあり(一昔前まで、マットを想像させる色調はハイエンド系と呼ばれていたようです)、また女性の口はたいてい小さく描かれます。例外的に女性の唇が大きくかかれるのは、攻撃的な女性が登場する場合か、日米(もしくは白人と黄色人種)の女性をかき分ける必要がある場合で、もちろんアメリカ人女性の口が大きく描かれます。
で、話を戻してアメリカ風化粧法批判ですけど、これだけ政府が国粋主義を主張したにもかかわらず、どうしても変えられなかった西洋風美的価値観がありました。それは………
(続く)
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