王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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今日はゲーム用背景写真の処理を30枚ほどすませた段階でノックダウン。ラスト1枚の処理は、サブディレクターに依頼する。今回の作品は舞台が現代の日本であることと、ストーリーの内容が比較的リアルであることから、背景は写真を加工したものを使用し、なおかつ商業的にもファインアート的にも価値が全くがないので、普通のカメラマンであれば滅多にやらないF値を非常に低くした風景写真をベースに用いるという方針で制作を進めているのだが、カラー写真というのはマンガや文字に比較すると圧倒的に情報量が多いために、写真撮影と完成物のレタッチ処理を同時進行で行っていると、脳の処理能力の大部分がこれにとられてしまい、文章制作能力が著しく低下する。
これが分かっていたから、私はシナリオが9割以上完成するまで写真撮影に手を付けなかったのだが、それでも脳の受けたダメージは半端ではない。本来ならカメラマンを雇用すべきなのだが、膨大な量のシナリオを読破してもらった上で写真撮影を行わせたら料金が半端じゃなくかかるし、普段のグラフ誌の撮影のように、あらかじめ私が撮影場所をロケハンするのであれば、その場で私が(風景を)撮影をしてしまえば良いので意味がない。おまけに、風景撮影というのは天候に左右されるので、「その日が雨だったら撮影は中止」になるが、だからといってカメラマンに撮影料金を支払わないわけにはいかないのである。
そういう次第で、今回はシナリオも写真撮影も私が兼任しているのではあるが、少なくとも私の中では画才と文才は両立しない。もっと正確に述べるのであれば、長編小説を書く能力と画像処理能力が両立しない。ただし、どうしてこの2つが両立しないのかという理由は説明できない。
たとえば、写真や絵に短い文章を付けるという作業はそれほど困難ではない。けれども、文章の長さが長くなればなるほど、これが難しくなる。長編作家としての能力を維持したいのであれば、画像に関する様々な事柄は破棄すべきだし、優れた画像センスを保持し続けたいのであれば、文章による長編創作には手を出すべきではない。もちろん例外はあるだろうが、せいぜい商業映画程度のシナリオの長さが限界だと思う。
そこで、画像処理が一段落した段階でサブディレクターと話し合いを行い、今後のスケジュールを鑑みて、一時的に画像関係の作業を中断することを決定する。まだ、制作過程にシナリオの推敲作業と加筆作業が残っているので、この判断は妥当だろう。
マンガも写真もアニメも映画もファンの一人としては大いに楽しませて頂くが、制作者としての自分にとって一番大切なのは、文章、特に長編作品を制作する能力だ。その他の創作物に関しての優先順位は著しく低いし、もっとあけすけに言うのであれば、映像関係の知識や技能が他人様より遙かに劣っていても、基本的にほとんど気にならない。自分より優れたヴィジュアル系のクリエーターに作業を頼めばいいだけの話である。
これが分かっていたから、私はシナリオが9割以上完成するまで写真撮影に手を付けなかったのだが、それでも脳の受けたダメージは半端ではない。本来ならカメラマンを雇用すべきなのだが、膨大な量のシナリオを読破してもらった上で写真撮影を行わせたら料金が半端じゃなくかかるし、普段のグラフ誌の撮影のように、あらかじめ私が撮影場所をロケハンするのであれば、その場で私が(風景を)撮影をしてしまえば良いので意味がない。おまけに、風景撮影というのは天候に左右されるので、「その日が雨だったら撮影は中止」になるが、だからといってカメラマンに撮影料金を支払わないわけにはいかないのである。
そういう次第で、今回はシナリオも写真撮影も私が兼任しているのではあるが、少なくとも私の中では画才と文才は両立しない。もっと正確に述べるのであれば、長編小説を書く能力と画像処理能力が両立しない。ただし、どうしてこの2つが両立しないのかという理由は説明できない。
たとえば、写真や絵に短い文章を付けるという作業はそれほど困難ではない。けれども、文章の長さが長くなればなるほど、これが難しくなる。長編作家としての能力を維持したいのであれば、画像に関する様々な事柄は破棄すべきだし、優れた画像センスを保持し続けたいのであれば、文章による長編創作には手を出すべきではない。もちろん例外はあるだろうが、せいぜい商業映画程度のシナリオの長さが限界だと思う。
そこで、画像処理が一段落した段階でサブディレクターと話し合いを行い、今後のスケジュールを鑑みて、一時的に画像関係の作業を中断することを決定する。まだ、制作過程にシナリオの推敲作業と加筆作業が残っているので、この判断は妥当だろう。
マンガも写真もアニメも映画もファンの一人としては大いに楽しませて頂くが、制作者としての自分にとって一番大切なのは、文章、特に長編作品を制作する能力だ。その他の創作物に関しての優先順位は著しく低いし、もっとあけすけに言うのであれば、映像関係の知識や技能が他人様より遙かに劣っていても、基本的にほとんど気にならない。自分より優れたヴィジュアル系のクリエーターに作業を頼めばいいだけの話である。
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