王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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文章の善し悪しをジャッジする基準・中編
- ジャンル : 日記
- スレッドテーマ : ひとりごとのようなもの
●基準3(実作初期の作家・読書歴がかなりある読者)
「基準2」からの続きです。人称の問題に続いて長編小説の実作者が直面するのは「言い換え」の問題です。と言っても、いきなり何のことかぴんと来る人は少ないでしょうから、実例を挙げて説明していきましょう。たとえば、
鳥山は言った。
「僕は馬鹿でーす」
という文章があったとしましょう。この単文だけであれば、言い換えの問題を気にする必要はほとんどありません。ところが、「基準1」で述べたように、日本において中編から長編に分類される小説の原稿枚数は、400字詰めで300枚弱から400枚前後がスタンダードです。そこで、私が鳥山という人物を主人公とした小説を書き、この鳥山が言葉を発するたびに、
鳥山は言った。
「××××」
という文章を繰り返していたら、(ギャグ小説でもない限り)読者は「この作者は頭が足りないんじゃないか?」と思うはずです。そこで、作者はできる限り「鳥山」という名詞や「言った」という動詞を、別の言葉、別の言い方に「言い換える」必要が生じてきます。これが「言い換え」の問題です。
文法上の説明は長くなるので省略します。その代わり、まずは名詞の言い換えから具体的に見ていきましょう。
元の文章)
鳥山は言った。
「僕は馬鹿でーす」
を、
言い換えA-1)
彼は言った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えA-2)
中年男は言った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えA-3)
作家は言った。
「僕は馬鹿でーす」
のように言い換えます。
技術としてはこれだけ。単純でしょ? 言い換えA-1の「彼」は人称代名詞、他の言い換えは、それぞれ人称名詞を普通名詞に置き換えるというものです。日本語は人称代名詞の活用形が無く、普通名詞との境界線が曖昧なので「鳥山」という固有名詞の言い換えを行う際に、このようなパターンが優先的に使用されます。
もちろん、言い換えのA-2とA-3は、鳥山が中年男性で文筆業を営んでいるという前提があっての言い方ですから、言い換えを行う前に小説内でこれらのデータが提示されている必要があります。ただし、これは常識中の常識なので、ここで躓く人はまずいません。
さて、続いて原文の動詞「言った」の言い換えをしてみましょう。
元の文章)
鳥山は言った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えB-1)
鳥山は語った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えB-2)
鳥山は口を開いた。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えB-3)
鳥山は喋った。
「僕は馬鹿でーす」
こんな感じでしょうか? Bパターンでの言い換えは、すべて類語です。これも技術的には単純ですが、使用するためには類語辞典を利用することがほぼ必須となります。
こうして、主語の言い換え、動詞の言い換えをそれぞれ3つずつ例示しました。これだけでも、論理的には3×3=9通りの「言い換え」が可能になります。
これが小説を書く際に最低限必要とされる基礎的な技術です。そして、プロデビューできない作家志望の大半が、このレベルに到達していません。一応、確認のために某書店へ行き、ライトノベルのシェア率が高いといわれている、電撃文庫から本を出版した作家さんの作品を総ざらいで見てきましたが、一人称三人称をメインにしている人たちのほとんどが、この技術を一定水準以上のレベルで使えていました。編集部のクオリティコントロールが効いてる証拠ですね。
ただし、日本語の場合は文末に置かれる時制(テンス)の反復使用という問題が残ります。たとえば、例示した言い換え文章の末尾は、すべて「~た」で統一されています。日本語の時制は「過去」と「非過去」の2つで区分されており、過去の場合は文章末尾は「た」、非過去の場合は「る」で統一されるのがとりあえずの約束事です。そこで、作者が執筆した作品が過去にあったという設定を維持する必要性を強く感じている場合は、文章末尾に「た」を使う頻度が激増し、文章末尾が同音、同センテンスで埋め尽くされてしまいます。
これを回避するためには、どこかで文章末尾を「る」にして=非過去形を使って反復しないように処理をする必要があります。これが、日本語で書かれたフィクションにおける文章上の特徴、「た」と「る」を言い換える時制交替です(時制をテンスと言うので、テンス交替ともいいます)。
簡単に具体例を見ていきましょう。
元の文章)
鳥山は語った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えC-1)
鳥山は語る。
「僕は馬鹿でーす」
という感じです。しかし例外もあり、Bで例示した「開いた」の非過去形は「開く」で、非過去形に言い換えをしても末尾は「る」になりません(行ったの非過去形も行くになる)。その反対に、「飛ぶ」の過去形は「飛んだ」となり、末尾が「た」にはなりません。要するに、基本は「た」か「る」でも、変化はそれぞれの動詞によって決まっているということですね。
作品中の過去形、非過去形の比率、及びにテンス交替の頻度は、文章のテイストを決定します。一般に、過去形の比率が高く、テンス交替の頻度が低い作品は「重厚」と見なされ、翻訳作品に多く見られる傾向があります(日本語とは時制の異なる原語からの翻訳であるため、こうなる傾向がある。余談になるが、日本語と同じ時制を採っているのはドイツ語で、この点では翻訳が容易な面がある)。
その逆に、非過去形の比率が高く、テンス交替の頻度が低い作品は、よく言えばくだけた調子の、悪く言えば「軽い」調子の作品になる傾向があります。ただし、グスタフ・ハスフォードの『短期除隊兵』(映画フルメタル・ジャケットの原作)のように、現在進行形を多用しているにもかかわらず、決して「軽い」わけではない作品もあるので、文体だけでなくテーマとの関連性もあります。
いずれにしても、時制の交替という現象は、基本的にフィクションでしか起こりえません。つまり、ノンフィクション、新聞記事、公文書などの「事実記述」を基本とした文章では、時制交替は大幅に制限されます。これは当然のことで、過去にあった出来事の時制を非過去形に変えるのは原則として不可だからです。例外は回想録やエッセーのように「過去にあった出来事を現在の視点から見つめ直す」というスタイルの文章で、これはフィクションかノンフィクションかを文体上で判断するのは困難です。
そして、意外に思われるかも知れませんが、テンス交替はプロの作家でもコントロールが難しい技術の1つで、大抵は惰性というか勘で処理しています。幾つかの作品を見て、このテンスの比率や交替頻度を作品によって使い分けていると思える作家がいたら、その作家は技術力が高いと見て、まず間違いありません。
けれども、仮にワンパターンでもテンスの交替タイミングが分かる作家はましな方で、酷くなってくると時制交替のタイミングがぐちゃぐちゃで、読み手が上手くリズムに乗れない、というケースもしばしば見られます。言い換えの問題よりはプライオリティは低いものの、これも文章の上手下手を判断する重要な要素ですね。
(続く)
「基準2」からの続きです。人称の問題に続いて長編小説の実作者が直面するのは「言い換え」の問題です。と言っても、いきなり何のことかぴんと来る人は少ないでしょうから、実例を挙げて説明していきましょう。たとえば、
鳥山は言った。
「僕は馬鹿でーす」
という文章があったとしましょう。この単文だけであれば、言い換えの問題を気にする必要はほとんどありません。ところが、「基準1」で述べたように、日本において中編から長編に分類される小説の原稿枚数は、400字詰めで300枚弱から400枚前後がスタンダードです。そこで、私が鳥山という人物を主人公とした小説を書き、この鳥山が言葉を発するたびに、
鳥山は言った。
「××××」
という文章を繰り返していたら、(ギャグ小説でもない限り)読者は「この作者は頭が足りないんじゃないか?」と思うはずです。そこで、作者はできる限り「鳥山」という名詞や「言った」という動詞を、別の言葉、別の言い方に「言い換える」必要が生じてきます。これが「言い換え」の問題です。
文法上の説明は長くなるので省略します。その代わり、まずは名詞の言い換えから具体的に見ていきましょう。
元の文章)
鳥山は言った。
「僕は馬鹿でーす」
を、
言い換えA-1)
彼は言った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えA-2)
中年男は言った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えA-3)
作家は言った。
「僕は馬鹿でーす」
のように言い換えます。
技術としてはこれだけ。単純でしょ? 言い換えA-1の「彼」は人称代名詞、他の言い換えは、それぞれ人称名詞を普通名詞に置き換えるというものです。日本語は人称代名詞の活用形が無く、普通名詞との境界線が曖昧なので「鳥山」という固有名詞の言い換えを行う際に、このようなパターンが優先的に使用されます。
もちろん、言い換えのA-2とA-3は、鳥山が中年男性で文筆業を営んでいるという前提があっての言い方ですから、言い換えを行う前に小説内でこれらのデータが提示されている必要があります。ただし、これは常識中の常識なので、ここで躓く人はまずいません。
さて、続いて原文の動詞「言った」の言い換えをしてみましょう。
元の文章)
鳥山は言った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えB-1)
鳥山は語った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えB-2)
鳥山は口を開いた。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えB-3)
鳥山は喋った。
「僕は馬鹿でーす」
こんな感じでしょうか? Bパターンでの言い換えは、すべて類語です。これも技術的には単純ですが、使用するためには類語辞典を利用することがほぼ必須となります。
こうして、主語の言い換え、動詞の言い換えをそれぞれ3つずつ例示しました。これだけでも、論理的には3×3=9通りの「言い換え」が可能になります。
これが小説を書く際に最低限必要とされる基礎的な技術です。そして、プロデビューできない作家志望の大半が、このレベルに到達していません。一応、確認のために某書店へ行き、ライトノベルのシェア率が高いといわれている、電撃文庫から本を出版した作家さんの作品を総ざらいで見てきましたが、一人称三人称をメインにしている人たちのほとんどが、この技術を一定水準以上のレベルで使えていました。編集部のクオリティコントロールが効いてる証拠ですね。
ただし、日本語の場合は文末に置かれる時制(テンス)の反復使用という問題が残ります。たとえば、例示した言い換え文章の末尾は、すべて「~た」で統一されています。日本語の時制は「過去」と「非過去」の2つで区分されており、過去の場合は文章末尾は「た」、非過去の場合は「る」で統一されるのがとりあえずの約束事です。そこで、作者が執筆した作品が過去にあったという設定を維持する必要性を強く感じている場合は、文章末尾に「た」を使う頻度が激増し、文章末尾が同音、同センテンスで埋め尽くされてしまいます。
これを回避するためには、どこかで文章末尾を「る」にして=非過去形を使って反復しないように処理をする必要があります。これが、日本語で書かれたフィクションにおける文章上の特徴、「た」と「る」を言い換える時制交替です(時制をテンスと言うので、テンス交替ともいいます)。
簡単に具体例を見ていきましょう。
元の文章)
鳥山は語った。
「僕は馬鹿でーす」
言い換えC-1)
鳥山は語る。
「僕は馬鹿でーす」
という感じです。しかし例外もあり、Bで例示した「開いた」の非過去形は「開く」で、非過去形に言い換えをしても末尾は「る」になりません(行ったの非過去形も行くになる)。その反対に、「飛ぶ」の過去形は「飛んだ」となり、末尾が「た」にはなりません。要するに、基本は「た」か「る」でも、変化はそれぞれの動詞によって決まっているということですね。
作品中の過去形、非過去形の比率、及びにテンス交替の頻度は、文章のテイストを決定します。一般に、過去形の比率が高く、テンス交替の頻度が低い作品は「重厚」と見なされ、翻訳作品に多く見られる傾向があります(日本語とは時制の異なる原語からの翻訳であるため、こうなる傾向がある。余談になるが、日本語と同じ時制を採っているのはドイツ語で、この点では翻訳が容易な面がある)。
その逆に、非過去形の比率が高く、テンス交替の頻度が低い作品は、よく言えばくだけた調子の、悪く言えば「軽い」調子の作品になる傾向があります。ただし、グスタフ・ハスフォードの『短期除隊兵』(映画フルメタル・ジャケットの原作)のように、現在進行形を多用しているにもかかわらず、決して「軽い」わけではない作品もあるので、文体だけでなくテーマとの関連性もあります。
いずれにしても、時制の交替という現象は、基本的にフィクションでしか起こりえません。つまり、ノンフィクション、新聞記事、公文書などの「事実記述」を基本とした文章では、時制交替は大幅に制限されます。これは当然のことで、過去にあった出来事の時制を非過去形に変えるのは原則として不可だからです。例外は回想録やエッセーのように「過去にあった出来事を現在の視点から見つめ直す」というスタイルの文章で、これはフィクションかノンフィクションかを文体上で判断するのは困難です。
そして、意外に思われるかも知れませんが、テンス交替はプロの作家でもコントロールが難しい技術の1つで、大抵は惰性というか勘で処理しています。幾つかの作品を見て、このテンスの比率や交替頻度を作品によって使い分けていると思える作家がいたら、その作家は技術力が高いと見て、まず間違いありません。
けれども、仮にワンパターンでもテンスの交替タイミングが分かる作家はましな方で、酷くなってくると時制交替のタイミングがぐちゃぐちゃで、読み手が上手くリズムに乗れない、というケースもしばしば見られます。言い換えの問題よりはプライオリティは低いものの、これも文章の上手下手を判断する重要な要素ですね。
(続く)
23件のコメント
[C2114] 作文は苦手だった…(遠い目
- 2009-08-03
- 編集
[C2115]
日本語には「文末決定性」という構造上の特徴があるので、普通にやったら文末表記が「……た。……た。……た。」と非常に単調になってしまうという問題は、ずぅっーと前から作家達が指摘していましたね。
私が知る限り、単調化防止の手法は、「い」を使う。つまりあえて文脈中に否定形の文を挿入する方法。
・例
しかし鳥山は、自分の教養を自慢したりはしない。
「僕は馬鹿でーす」
この捻くれた作家の言葉に、周囲の者は呆れたような表情を……
てな物もありますし、あえて「名詞」を文末に置く手法なんてのもあります。これは個人的には、キャラを立たせたり、重要なキーワードを際立たせるのに向いてると思いますね。
・例
口を開けば揉め事を起こすと噂されている作家、鳥山仁。
「僕は馬鹿でーす」
その日、会議室での第一声も、やはり騒動の発端に……
てな案配です。
ところで、こんなのは長文作法の基礎テクニックだと思ってたのですが、編集部が「クォリティコントロール」をしないと維持できないんですか。
私が知る限り、単調化防止の手法は、「い」を使う。つまりあえて文脈中に否定形の文を挿入する方法。
・例
しかし鳥山は、自分の教養を自慢したりはしない。
「僕は馬鹿でーす」
この捻くれた作家の言葉に、周囲の者は呆れたような表情を……
てな物もありますし、あえて「名詞」を文末に置く手法なんてのもあります。これは個人的には、キャラを立たせたり、重要なキーワードを際立たせるのに向いてると思いますね。
・例
口を開けば揉め事を起こすと噂されている作家、鳥山仁。
「僕は馬鹿でーす」
その日、会議室での第一声も、やはり騒動の発端に……
てな案配です。
ところで、こんなのは長文作法の基礎テクニックだと思ってたのですが、編集部が「クォリティコントロール」をしないと維持できないんですか。
- 2009-08-03
- 編集
[C2116]
確かに、読む側にとってのリズムは重要で、意識してはいませんでしたがテンス交替や体言止めでリズムが整ってないと読みにくいですねえ。ただし、体言止めは述語がどっかいっちゃうので多用は厳禁。否定形からの切り返しや逆接の接続詞も文意を混乱させる場合があるので、使用には要注意と思ってますが、どうでしょうか。
あとは、句読点の使い方ですかねえ。難しいなあ。
あとは、句読点の使い方ですかねえ。難しいなあ。
- 2009-08-04
- 編集
[C2117] 文芸ナめんじゃねェっ!
日本語はもう一つ語順依存が乏しいつう文法上の特徴もあるんで、倒置法だの体言止めなんぞも使いますな、もちろん。
どーでもいーですが、やつがれはこーゆースタイル取ってるもんで文節変換が完全にぶっこわれます(涙 文節無視して逐語変換にするモードホシス。
>ところで、こんなのは長文作法の基礎テクニックだと思ってたのですが、編集部が「クォリティコントロール」をしないと維持できないんですか。
もちろん。
どころかもはや編集自体がそもそもそのLvに達してないこともままある、つう段階にあると思うorz
むかーしとある小説指南サイトをのぞきに行ったことがあるんだけど、FAQに「○○賞に応募したいんだけど、字下げしないとダメですかね?」なんてのが堂々と載ってたよ。要するに今どきの小説家志望は小説一冊も読んだことないのが珍しくもなんともないってコトなんです。
また、編集者の質の低下も著しいコトもいくつかのコトからほぼ確信してます。要するにロクすぽ小説読んでない編集者は特段珍しくもない状況はすでにあるんだと。ま、ココらは現実に自ら編集者で作家の鳥山さん自身がいずれ書かれるんだと思うけど。
逆言うと、今回のエントリーで鳥山さんは電撃文庫の編集員にいちおーの合格点を与えているんだと考えてます。
だって考えても見てよ。文壇を代表する文学賞の芥川直樹両賞の後追いや話題先行ばっかのアノ凋落ぶりを。
どーでもいーですが、やつがれはこーゆースタイル取ってるもんで文節変換が完全にぶっこわれます(涙 文節無視して逐語変換にするモードホシス。
>ところで、こんなのは長文作法の基礎テクニックだと思ってたのですが、編集部が「クォリティコントロール」をしないと維持できないんですか。
もちろん。
どころかもはや編集自体がそもそもそのLvに達してないこともままある、つう段階にあると思うorz
むかーしとある小説指南サイトをのぞきに行ったことがあるんだけど、FAQに「○○賞に応募したいんだけど、字下げしないとダメですかね?」なんてのが堂々と載ってたよ。要するに今どきの小説家志望は小説一冊も読んだことないのが珍しくもなんともないってコトなんです。
また、編集者の質の低下も著しいコトもいくつかのコトからほぼ確信してます。要するにロクすぽ小説読んでない編集者は特段珍しくもない状況はすでにあるんだと。ま、ココらは現実に自ら編集者で作家の鳥山さん自身がいずれ書かれるんだと思うけど。
逆言うと、今回のエントリーで鳥山さんは電撃文庫の編集員にいちおーの合格点を与えているんだと考えてます。
だって考えても見てよ。文壇を代表する文学賞の芥川直樹両賞の後追いや話題先行ばっかのアノ凋落ぶりを。
- 2009-08-04
- 編集
[C2118]
>Anchang氏
仰る通りと思います。
体言止め(名詞止め)は、本質的には詩文のような短文系の技法なので、妙な用法をすると、
私は作家、鳥山仁。
お馬鹿な作家、鳥山仁。
……という具合に、何とも痛いというか、お花畑な文章になってしまいますね。
私が知る範囲では、小説技法は大別して二種あるんだそうです。まずは、登場人物や舞台背景といった基礎情報を読み手にきちんと提供し、それを土台としてその上に徐々にストーリーを構築していくという、言わば「空間的、建築的な」技術です。たまにあるでしょう、物語が進んでいくと徐々に基本設定が破綻していくような作品が。ちなみに、プロは文面をぱっと見た際の「字面」にも配慮するそうですね。一般小説で難読文字がびっしりと並んでいたりすると、それだけで読むのを躊躇されたりするそうです。
もう一つは、リズム良く文章を読ませ、適切なテンポで盛り上げたり盛り下げたりする、言わば「時間的、音楽的な」技術です。正直に言って、こちらは簡単なようで難しいですね。文章の上手い人は、独特のリズムで文章を刻むので、作家ごとに「XX節」と呼ばれたりしてますね。
仰る通りと思います。
体言止め(名詞止め)は、本質的には詩文のような短文系の技法なので、妙な用法をすると、
私は作家、鳥山仁。
お馬鹿な作家、鳥山仁。
……という具合に、何とも痛いというか、お花畑な文章になってしまいますね。
私が知る範囲では、小説技法は大別して二種あるんだそうです。まずは、登場人物や舞台背景といった基礎情報を読み手にきちんと提供し、それを土台としてその上に徐々にストーリーを構築していくという、言わば「空間的、建築的な」技術です。たまにあるでしょう、物語が進んでいくと徐々に基本設定が破綻していくような作品が。ちなみに、プロは文面をぱっと見た際の「字面」にも配慮するそうですね。一般小説で難読文字がびっしりと並んでいたりすると、それだけで読むのを躊躇されたりするそうです。
もう一つは、リズム良く文章を読ませ、適切なテンポで盛り上げたり盛り下げたりする、言わば「時間的、音楽的な」技術です。正直に言って、こちらは簡単なようで難しいですね。文章の上手い人は、独特のリズムで文章を刻むので、作家ごとに「XX節」と呼ばれたりしてますね。
- 2009-08-04
- 編集
[C2119]
字下げ云々は、二、三十年以上前の「小説の書き方」本でも大抵触れてありましたから、最近のことでもないですよ。データでの応募が可能になった時点で、より混乱が広まった可能性はありますが。
難読文字というか漢字の量云々は、むしろ出版社の営業が主導しているそうです。マーケティング数値には作家も逆らいがたいようで。もちろん、許される範囲内で拘る人は拘るそうですが。
難読文字というか漢字の量云々は、むしろ出版社の営業が主導しているそうです。マーケティング数値には作家も逆らいがたいようで。もちろん、許される範囲内で拘る人は拘るそうですが。
- 2009-08-04
- 編集
[C2122]
勉強になる話です。
文章とは、いろいろな技術を習得していかにゃならんモノなのですな。
毎日使っている言葉だから大丈夫と思っていたら、大間違いなのですな。
難しいものなのですね。
文章とは、いろいろな技術を習得していかにゃならんモノなのですな。
毎日使っている言葉だから大丈夫と思っていたら、大間違いなのですな。
難しいものなのですね。
- 2009-08-06
- 編集
[C2130]
>SEVENさん
字面といえば、私が作文で習った時代は、漢字:かなの比率は6:4といわれてました。最近はそれでも漢字が多いといわれて、5:5か4:6ぐらいになるようにしています。文字数の制限がある短文系ではつらいところです。
字面といえば、私が作文で習った時代は、漢字:かなの比率は6:4といわれてました。最近はそれでも漢字が多いといわれて、5:5か4:6ぐらいになるようにしています。文字数の制限がある短文系ではつらいところです。
- 2009-08-07
- 編集
[C2131] 2124さん
とりあえず、左の読書カレンダーに2冊紹介しておきました。どちらも必携ですが、特に角川の類語新辞典は発売当時革新と騒がれただけの内容で、持っているのといないのとでは文章の幅がかなり変わってくると思います。
- 2009-08-08
- 編集
[C2132]
極端な話ですが
・鳥山は自らを馬鹿だと語る(語った)。
・僕は馬鹿だ。鳥山の第一声がそれだった(それである)。
とかかぎ括弧を使わないで流れを保つ方法もありますよね。
・鳥山は自らを馬鹿だと語る(語った)。
・僕は馬鹿だ。鳥山の第一声がそれだった(それである)。
とかかぎ括弧を使わないで流れを保つ方法もありますよね。
- 2009-08-08
- 編集
[C2133] カスタム隷奴って知ってるかな?
エロゲの文章って言ってもエロゲはテキストの提示のされ方がゲームのシステムによって大きく変わり、それゆえに適した文体も変わるんだよネ。
一般的な紙媒体の小説と異なってくるのは表示領域、つまりテキストウィンドウなんかの広さと、ゲームのプレイヤーは紙媒体の読者より積極的に物語に関与するってこの二点が大きな違い。
一般にゲームのテキストウィンドウはそんなに大きくないので、ウィンド一枚である程度文意が伝わる努力がいります。一文でウィンドはみだすのはかなーり減点。
あと、たいがいは絵がついてくるんで、これと表現ダブらんコトも大事。小説並みの密度で書いたら「見りゃワカるよ!」てツっ込まれちゃうわナ。
この表示領域の問題はケータイ小説なんかでもつきまといます。
続いてプレイヤーは小説読者より物語に積極的にかかわる点だけど、これがあるためにゲームのテキストは非常に強く一人称に寄り、そして三人称、ことに純然たる三人称である神の視点をエラく取りづらくなるんだネ。
前編で出た一人称だと主人公の知らない(知りえない)事象の読者への提示ができないってのが一人称のツラいとこなんだけど、ゲームはシステム上きわめて一人称に親和性が高いから、物語の展開上神の視点を取りたいときにうまいことやらんと視点変化が気持ち悪いほど違和感生んだりもします。
むかーしシナリオをプラグインとして差し替えられるゲームソフトがあってさ、それでシナリオ一本まるっと差し替えたオリジナル書いたことあるんだけど、文節以外で改行しないようにずいぶん気を配ったもんです。
ふつー同じ単語を漢字にしたりしなかったりってのはブレない方がいーんだけど、それより文節で改行するのを優先してました。そっちのが読み易いからって判断。
漠然とは感じてたけど、実際にやって思い知ったのがゲームテキストの量の多いことだね。ライターさんごくろーさまってホント思ったよ。
一般的な紙媒体の小説と異なってくるのは表示領域、つまりテキストウィンドウなんかの広さと、ゲームのプレイヤーは紙媒体の読者より積極的に物語に関与するってこの二点が大きな違い。
一般にゲームのテキストウィンドウはそんなに大きくないので、ウィンド一枚である程度文意が伝わる努力がいります。一文でウィンドはみだすのはかなーり減点。
あと、たいがいは絵がついてくるんで、これと表現ダブらんコトも大事。小説並みの密度で書いたら「見りゃワカるよ!」てツっ込まれちゃうわナ。
この表示領域の問題はケータイ小説なんかでもつきまといます。
続いてプレイヤーは小説読者より物語に積極的にかかわる点だけど、これがあるためにゲームのテキストは非常に強く一人称に寄り、そして三人称、ことに純然たる三人称である神の視点をエラく取りづらくなるんだネ。
前編で出た一人称だと主人公の知らない(知りえない)事象の読者への提示ができないってのが一人称のツラいとこなんだけど、ゲームはシステム上きわめて一人称に親和性が高いから、物語の展開上神の視点を取りたいときにうまいことやらんと視点変化が気持ち悪いほど違和感生んだりもします。
むかーしシナリオをプラグインとして差し替えられるゲームソフトがあってさ、それでシナリオ一本まるっと差し替えたオリジナル書いたことあるんだけど、文節以外で改行しないようにずいぶん気を配ったもんです。
ふつー同じ単語を漢字にしたりしなかったりってのはブレない方がいーんだけど、それより文節で改行するのを優先してました。そっちのが読み易いからって判断。
漠然とは感じてたけど、実際にやって思い知ったのがゲームテキストの量の多いことだね。ライターさんごくろーさまってホント思ったよ。
- 2009-08-08
- 編集
[C2135]
>Anchang氏
ははあ、今はそこまで漢字比率を下げないといけないのですか。
参考になります。有り難うございました。
>鳥山氏
類語といえば、エロ系の類語はやたらと多い事で知られてますね。
「官能小説用語表現辞典」(永田守弘・マガジンハウス)によると、
男性の一部を表現する単語だけで、
肉亀、肉傘、肉幹、肉キノコ、肉具、肉坑、肉楔、肉剣、肉根、肉竿、肉鞘、肉地蔵、肉弾、肉筒、肉刀、肉塔、肉笛、肉筆、肉砲、肉槍、肉鞭、肉ホース、肉松茸、
……と、一部を列挙するだけでキリがありません。
尚、全部商業作品で使われた表現だそうです。
「どう? 俺の胴太貫」
「ああん、素敵よぉ!」
とゆー表現があったのには笑いました。
男も女も子連れ狼のファンなんですね。
>匿名希望氏
地の文に会話文を埋め込むという手法は、其程珍しい物ではないと思います。
個人的な経験ですが、告白系の文体でよく見られる手法で、
嘘っ八をホントらしく見せる効果を期待できると思います。
ラヴクラフトの小説なんて、「」がほとんど無いですよ。イア! イア!
>電気屋氏
カスタム隷奴、少なくとも私は知ってますよ。
ゲームテキストは、「殆どすっ飛ばして読まない」プレイヤーも多いらしいんです。
やはりゲームはビジュアル主体であるせいか、それともネタが定型化して、
テキストなんか読まなくても見当が付いてしまう場合もあったりするからですかね。
ははあ、今はそこまで漢字比率を下げないといけないのですか。
参考になります。有り難うございました。
>鳥山氏
類語といえば、エロ系の類語はやたらと多い事で知られてますね。
「官能小説用語表現辞典」(永田守弘・マガジンハウス)によると、
男性の一部を表現する単語だけで、
肉亀、肉傘、肉幹、肉キノコ、肉具、肉坑、肉楔、肉剣、肉根、肉竿、肉鞘、肉地蔵、肉弾、肉筒、肉刀、肉塔、肉笛、肉筆、肉砲、肉槍、肉鞭、肉ホース、肉松茸、
……と、一部を列挙するだけでキリがありません。
尚、全部商業作品で使われた表現だそうです。
「どう? 俺の胴太貫」
「ああん、素敵よぉ!」
とゆー表現があったのには笑いました。
男も女も子連れ狼のファンなんですね。
>匿名希望氏
地の文に会話文を埋め込むという手法は、其程珍しい物ではないと思います。
個人的な経験ですが、告白系の文体でよく見られる手法で、
嘘っ八をホントらしく見せる効果を期待できると思います。
ラヴクラフトの小説なんて、「」がほとんど無いですよ。イア! イア!
>電気屋氏
カスタム隷奴、少なくとも私は知ってますよ。
ゲームテキストは、「殆どすっ飛ばして読まない」プレイヤーも多いらしいんです。
やはりゲームはビジュアル主体であるせいか、それともネタが定型化して、
テキストなんか読まなくても見当が付いてしまう場合もあったりするからですかね。
- 2009-08-08
- 編集
[C2138] Anchangさん
過去形連発の作家は、3回に1回とか2回に1回の割合で非過去形に文章を直すだけでリズムが作れますが、最初から非過去形や体言止めを多用する作家はリズムを作るのが下手な傾向があります。つまり、おっしゃっている事はだいたい正しいです。
- 2009-08-09
- 編集
[C2140] モンテもん吉さん
うーん。
どうなんでしょうね?
他の作家にあんまり興味がないので、分かんないです。このブログを書くために、改めてチェックを入れてみたんですけど、割とイージーな方法でクオリティコントロールをしていたので、ちょっとしたコツで商業レベルの文章は書けるんじゃないでしょうか?
どうなんでしょうね?
他の作家にあんまり興味がないので、分かんないです。このブログを書くために、改めてチェックを入れてみたんですけど、割とイージーな方法でクオリティコントロールをしていたので、ちょっとしたコツで商業レベルの文章は書けるんじゃないでしょうか?
- 2009-08-09
- 編集
[C2142] 2124さん
多分ですけど、他の類語辞典は小説執筆には役に立たないと思います。特に講談社の類語辞典は酷い。金の無駄だから、買うのは止めた方が良いと思います。電気屋さんが類語辞典の使用に否定的なのも、恐らくそれが理由です。
角川類語新辞典の編者である大野晋は天才で、角川流れの編集者に時たま凄いのが出てくるのは、実はこの辞典を使っているからです。
角川類語新辞典の編者である大野晋は天才で、角川流れの編集者に時たま凄いのが出てくるのは、実はこの辞典を使っているからです。
- 2009-08-09
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小学生の作文ってみんな知ってるでしょ?「○○を○○しました」の羅列。
ヘンに早くから本読んでる口だったからコレが耐えられない。我慢ならんほどヘボいのはワカってるけど、それを解決できるほどの語彙力は無いというジレンマ。たまらんかったね。
言い換えを可能にする基礎体力は語彙だからねェ。
でも、言い換えに類語辞典頼るのはいただけないねェ。だって辞書には芸ないもん。わかる人間にはわかっちゃうよ、辞書引いて書いてるな、て。