王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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ポルノは現実に影響を与えませんよ、という論理的なお話(1)
小説の執筆が一段落ついたので、ブログを再開します。今回は、ツイッターでも事前予告をしていた「ポルノと性衝動の関係」についてのお話です。例の都条例の改正案が出て、それを巡るツイートを読んでいるうちに、あまりにも馬鹿馬鹿しい発言が頻出しているのを見て、最初はツイッターで小分けにして書こうと思ったんですが、長くなりすぎたのでブログに掲載することにしました。
以下がその文章になります。
また、都条例改正案が出た段階で「創作物が現実に影響を与える」という前提でポルノが語られていてうんざり。「ポルノは現実に良い影響も悪い影響も与えません」って何度言っても分からないだろうし、また分かりたくもないんだろう。
この手の議論がなくならない理由は明白で、そもそもセックスに興味がなく(むしろセックスが嫌いだったり下手な連中が拘泥する)、まともな性教育も受けていないため、社会学的なアプローチはしても、医学的なアプローチを試みようとしない連中がやりたがるために起こる。
セックス嫌いが医学的にセックスのことを理解しようとしないのは、もちろんセックスが嫌いだからだ。これは一見すると堂々巡りのように思えるが、「セックス」の部分を学校の課目に置き換えると分かり易い。わざわざ体育の嫌いな人間が体育の勉強をするだろうか? だが、体育を否定する言説なら、自分から進んで受け入れるだろう。つまり、彼らの唱える「理論」とか「提案」やらは、最初から結論ありきで話し合いの余地はない。
そういう人間に「ポルノは現実に良い影響も悪い影響も与えません」という話をしても、理解されるわけがない(正確には理解したくない)ので、彼らを説得することは不可能だ。だが、単に性に関する知識がないだけの人であれば、多少は聞く耳をもってくれるかも知れない。そこで、簡単ではあるが、何故に「ポルノは現実に影響を与えないのか?」を医学的に説明していこう。
まず、人間を含めた動物全般が外界から受ける影響というものは、極限まで抽象化すると「緊張」と「弛緩(リラックス)」の2種類に大別できる。緊張は生命の危機をもたらす要因によって起こり、弛緩は生命の維持、もしくは増進をもたらす要因によって起こる。また、そうした仕組みを持っていない動物は生存に不利なので、最終的に淘汰されてしまう可能性が高くなる。
人間の場合、緊張を引き起こすのは脳の交感神経で、弛緩を引き起こすのは副交感神経だ。交感神経が活性化すると、血液は内臓から筋肉に流れ、苦痛を緩和するアドレナリンというホルモンが分泌される。副交感神経が活性化した場合は、その反対に筋肉から内臓に血液が流れるようになっている。
これは生物として当然の反応で、命の危機にあって苦痛を感じなくなり、筋肉にエネルギーが集中しないのは致命的な事態を招きかねない。その反対に、食事をしている最中に、内臓に血液が回らなければ消化や吸収を阻害してしまう。では、セックスは一体どちらの神経によって支配されているのだろう?
話を端折るために男性のみを説明の対象とするが、まず男性が性的に興奮するためには、「興奮」という言葉とは裏腹に精神的にリラックスしている必要がある。つまり、医学的には副交感神経が活性化していないと勃起が難しい。緊張状態=交感神経が活性化していると、筋肉に回る血液量が増大し、陰茎の海綿体に血液が回らなくなるからだ。
ところが「創作物が現実に影響云々」と言っている人間は、まずこの医学的知識がない場合がほとんどで、興奮を文字通りの興奮、すなわち医学的には交感神経の活性化として受け取っている。しかし、交感神経が活性化していると、前述したように血液は内臓から筋肉に流れるので、勃起が困難な状態になる。
じゃあ、何でポルノには性的「興奮」を喚起させる要素が満載でも、読者がマスターベーション可能なのかというと、マスターベーションの際に「安全な場所で行う」という暗黙の了解があるからだ。つまり、勃起するための前提条件である副交感神経の活性化を保証しているのはポルノではなくて、マスターベーションをする際にマスターベーションを行う人物が事前に準備した環境なのである。たとえば、自分の部屋で他人が来ないから安心という状況がないと、ポルノでマスターベーションは出来ませんよって話なのだ。
その証拠に、男性の多くは副交感神経が活性化するような「安全な環境」があればポルノなしでもマスターベーションをすることが可能(そもそもポルノが存在しない時代から、マスターベーションはしていた)だが、多数の人間がジロジロ見ている環境でマスターベーションをすることはポルノがあっても難しい。
これを裏返せば、ポルノ嫌い、セックス嫌いは性的情報を受容した際に「安全であると認識できる環境」であっても、交感神経の活性化が持続してしまう、ということでもある。どうして、このような生物学的には「異常」な状況が発生するかについては、原因が多数考えられるのでここでは説明しない。
覚えておくべき事は、前述したように、交感神経が活性化した状況ではマスターベーションは不可能だから、ポルノを観ただけではマスターベーションできるとは限らないし、むしろ交感神経の活性化を「不快」と受け止める人達が一定数存在する、という事実である。
そして、ここからがややこしいのだが、この感情そのものは「異常」ではない。交感神経が活性化した状態は、生理学的には危険な状態と同義なので、生存確率を上げたいという欲求がある場合は、これを速やかに回避したいと願うのは理に叶っている感情だからだ。
じゃあ、彼らのどこがおかしいのかというと、本来であればリラックスすべき状態でも交感神経の活性化が持続してしまう点にある。つまり、ちょっとした刺激で交感神経が活性化してしまったり、その状態が常人と比較すると異常に持続する、という事だ。これが理解できないと、何が正常で何が異常かの説明がつかなくなるので注意が必要だ。酷い場合は「正常と異常の境界は曖昧で、人為的に創作、あるいは発見されたモノに過ぎない」という馬鹿理論というか、自己の性癖の正当化(小児性愛者がよくやる)に繋がるし、こうした議論は生理学的には意味がない。
意味があるのは、これも繰り返しになるが、交感神経の活性化を「不快」であると受け止める人達が、「有害」問題を提起するという事実である。つまり、特定の人間の交感神経を刺激する情報=有害という図式だ。
そして、これも繰り返しになるが、彼らが異常なのは特定の状態によって交感神経が活性化する点にあるのではなく、それがほんの少しの刺激で引き起こされたり、あるいはこの刺激が長期間にわたって継続する点にある。
だから、セックス嫌い、ポルノ嫌いと議論をする際に重要なのは、「どうして不快になるのか?」という点に拘泥せず、「どうしてちょっとした刺激で不快になってしまうのか?」、あるいは「どうして刺激が継続してしまうのか?」という部分に焦点を絞って話を展開していく、という議論の筋立てにある。
つまり、何が好きで何が嫌いかは個人の趣味に過ぎず、ここを議論のポイントにしてしまうと「多数決が勝つ」という馬鹿馬鹿しい結論が待ちかまえている。個人的にはセックス嫌いが社会に占める比率は少ないから、別にそうした結論に収束していくのは一向に構わないし、いい歳をした大人がほんのちょっとした性情報でキイキイ騒いでいるのを見ていると、醜い上に格好悪く、おまけに異常だとも思うから、衆人観衆の前で吊し上げたいという衝動にも駆られるし、実際にそうした衝動にはしょっちゅう負けるのだけれど、冷静に考えれば、相手だって好きでそういう嗜好になっているわけではないだろうから、ここは冷静に話をした方が良いんじゃないかな、という話である。
もっとも、私がこういう提案をしても、ちっとも説得力がないんだけどね。
(続く)
以下がその文章になります。
また、都条例改正案が出た段階で「創作物が現実に影響を与える」という前提でポルノが語られていてうんざり。「ポルノは現実に良い影響も悪い影響も与えません」って何度言っても分からないだろうし、また分かりたくもないんだろう。
この手の議論がなくならない理由は明白で、そもそもセックスに興味がなく(むしろセックスが嫌いだったり下手な連中が拘泥する)、まともな性教育も受けていないため、社会学的なアプローチはしても、医学的なアプローチを試みようとしない連中がやりたがるために起こる。
セックス嫌いが医学的にセックスのことを理解しようとしないのは、もちろんセックスが嫌いだからだ。これは一見すると堂々巡りのように思えるが、「セックス」の部分を学校の課目に置き換えると分かり易い。わざわざ体育の嫌いな人間が体育の勉強をするだろうか? だが、体育を否定する言説なら、自分から進んで受け入れるだろう。つまり、彼らの唱える「理論」とか「提案」やらは、最初から結論ありきで話し合いの余地はない。
そういう人間に「ポルノは現実に良い影響も悪い影響も与えません」という話をしても、理解されるわけがない(正確には理解したくない)ので、彼らを説得することは不可能だ。だが、単に性に関する知識がないだけの人であれば、多少は聞く耳をもってくれるかも知れない。そこで、簡単ではあるが、何故に「ポルノは現実に影響を与えないのか?」を医学的に説明していこう。
まず、人間を含めた動物全般が外界から受ける影響というものは、極限まで抽象化すると「緊張」と「弛緩(リラックス)」の2種類に大別できる。緊張は生命の危機をもたらす要因によって起こり、弛緩は生命の維持、もしくは増進をもたらす要因によって起こる。また、そうした仕組みを持っていない動物は生存に不利なので、最終的に淘汰されてしまう可能性が高くなる。
人間の場合、緊張を引き起こすのは脳の交感神経で、弛緩を引き起こすのは副交感神経だ。交感神経が活性化すると、血液は内臓から筋肉に流れ、苦痛を緩和するアドレナリンというホルモンが分泌される。副交感神経が活性化した場合は、その反対に筋肉から内臓に血液が流れるようになっている。
これは生物として当然の反応で、命の危機にあって苦痛を感じなくなり、筋肉にエネルギーが集中しないのは致命的な事態を招きかねない。その反対に、食事をしている最中に、内臓に血液が回らなければ消化や吸収を阻害してしまう。では、セックスは一体どちらの神経によって支配されているのだろう?
話を端折るために男性のみを説明の対象とするが、まず男性が性的に興奮するためには、「興奮」という言葉とは裏腹に精神的にリラックスしている必要がある。つまり、医学的には副交感神経が活性化していないと勃起が難しい。緊張状態=交感神経が活性化していると、筋肉に回る血液量が増大し、陰茎の海綿体に血液が回らなくなるからだ。
ところが「創作物が現実に影響云々」と言っている人間は、まずこの医学的知識がない場合がほとんどで、興奮を文字通りの興奮、すなわち医学的には交感神経の活性化として受け取っている。しかし、交感神経が活性化していると、前述したように血液は内臓から筋肉に流れるので、勃起が困難な状態になる。
じゃあ、何でポルノには性的「興奮」を喚起させる要素が満載でも、読者がマスターベーション可能なのかというと、マスターベーションの際に「安全な場所で行う」という暗黙の了解があるからだ。つまり、勃起するための前提条件である副交感神経の活性化を保証しているのはポルノではなくて、マスターベーションをする際にマスターベーションを行う人物が事前に準備した環境なのである。たとえば、自分の部屋で他人が来ないから安心という状況がないと、ポルノでマスターベーションは出来ませんよって話なのだ。
その証拠に、男性の多くは副交感神経が活性化するような「安全な環境」があればポルノなしでもマスターベーションをすることが可能(そもそもポルノが存在しない時代から、マスターベーションはしていた)だが、多数の人間がジロジロ見ている環境でマスターベーションをすることはポルノがあっても難しい。
これを裏返せば、ポルノ嫌い、セックス嫌いは性的情報を受容した際に「安全であると認識できる環境」であっても、交感神経の活性化が持続してしまう、ということでもある。どうして、このような生物学的には「異常」な状況が発生するかについては、原因が多数考えられるのでここでは説明しない。
覚えておくべき事は、前述したように、交感神経が活性化した状況ではマスターベーションは不可能だから、ポルノを観ただけではマスターベーションできるとは限らないし、むしろ交感神経の活性化を「不快」と受け止める人達が一定数存在する、という事実である。
そして、ここからがややこしいのだが、この感情そのものは「異常」ではない。交感神経が活性化した状態は、生理学的には危険な状態と同義なので、生存確率を上げたいという欲求がある場合は、これを速やかに回避したいと願うのは理に叶っている感情だからだ。
じゃあ、彼らのどこがおかしいのかというと、本来であればリラックスすべき状態でも交感神経の活性化が持続してしまう点にある。つまり、ちょっとした刺激で交感神経が活性化してしまったり、その状態が常人と比較すると異常に持続する、という事だ。これが理解できないと、何が正常で何が異常かの説明がつかなくなるので注意が必要だ。酷い場合は「正常と異常の境界は曖昧で、人為的に創作、あるいは発見されたモノに過ぎない」という馬鹿理論というか、自己の性癖の正当化(小児性愛者がよくやる)に繋がるし、こうした議論は生理学的には意味がない。
意味があるのは、これも繰り返しになるが、交感神経の活性化を「不快」であると受け止める人達が、「有害」問題を提起するという事実である。つまり、特定の人間の交感神経を刺激する情報=有害という図式だ。
そして、これも繰り返しになるが、彼らが異常なのは特定の状態によって交感神経が活性化する点にあるのではなく、それがほんの少しの刺激で引き起こされたり、あるいはこの刺激が長期間にわたって継続する点にある。
だから、セックス嫌い、ポルノ嫌いと議論をする際に重要なのは、「どうして不快になるのか?」という点に拘泥せず、「どうしてちょっとした刺激で不快になってしまうのか?」、あるいは「どうして刺激が継続してしまうのか?」という部分に焦点を絞って話を展開していく、という議論の筋立てにある。
つまり、何が好きで何が嫌いかは個人の趣味に過ぎず、ここを議論のポイントにしてしまうと「多数決が勝つ」という馬鹿馬鹿しい結論が待ちかまえている。個人的にはセックス嫌いが社会に占める比率は少ないから、別にそうした結論に収束していくのは一向に構わないし、いい歳をした大人がほんのちょっとした性情報でキイキイ騒いでいるのを見ていると、醜い上に格好悪く、おまけに異常だとも思うから、衆人観衆の前で吊し上げたいという衝動にも駆られるし、実際にそうした衝動にはしょっちゅう負けるのだけれど、冷静に考えれば、相手だって好きでそういう嗜好になっているわけではないだろうから、ここは冷静に話をした方が良いんじゃないかな、という話である。
もっとも、私がこういう提案をしても、ちっとも説得力がないんだけどね。
(続く)
6件のコメント
[C4250]
- 2011-01-05
- 編集
[C4251] Caimさん
明けましておめでとうございます。
シチュエーションに関してはご指摘の通りで、要するにそういうことです。ただ、スポーツに関してはテストステロンが出ちゃうと意味が無くなるので、スポーツ=性欲解消というのは多分無いですね。この辺は、話の中でするかどうか迷ってますが、多分しないと思います。
シチュエーションに関してはご指摘の通りで、要するにそういうことです。ただ、スポーツに関してはテストステロンが出ちゃうと意味が無くなるので、スポーツ=性欲解消というのは多分無いですね。この辺は、話の中でするかどうか迷ってますが、多分しないと思います。
- 2011-01-05
- 編集
[C4252]
まぁ、余程でない限り、疲れてても「勃ち」ますしね。
解消は出来ないでしょう。
スポーツ中の緊張状態から解放された事と、
疲労による周囲警戒能力の低下で、
よりリラックス出来て「励み」そう。
解消は出来ないでしょう。
スポーツ中の緊張状態から解放された事と、
疲労による周囲警戒能力の低下で、
よりリラックス出来て「励み」そう。
- 2011-01-05
- 編集
[C4254] sunさん
仰るとおりだと思います。
弛緩がどのような環境下で起こるかは重要で、これが性癖の方向性をある程度決定します。緊張しやすい人は、概ね付帯条件が多く、疲労していると頭が回らなくなるから条件が緩和されるのも事実でしょう。
弛緩がどのような環境下で起こるかは重要で、これが性癖の方向性をある程度決定します。緊張しやすい人は、概ね付帯条件が多く、疲労していると頭が回らなくなるから条件が緩和されるのも事実でしょう。
- 2011-01-05
- 編集
[C4255] 4253さん
男性の場合、勃起不全=セックスできないですが、女性の場合は興奮していない状態でも「セックスをさせられる」リスクが常にあるので、セックス嫌いが多いのは多分事実だと思います。ただ、女性が性的に興奮するプロセスは男性ほど詳細に分かっておらず、推論が相当に混じるので「原則として男性と一緒だが、細かいところまではよく分からない」としか言いようがありません。男性がここまで詳しく分かってきたのも、ED治療のための研究があったからこそという側面もあるので、男女差別といえば差別なんですが……。
- 2011-01-05
- 編集
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なんだか「初体験で緊張して役に立たず、情けない思いをした」とか「自室で頑張っている最中に、かーちゃん登場」というベタなシチュエーションを思い出しましたw
他には、学生の悶々とした情動をスポーツに向かわせるのも、交感神経を活性化させる意味合いがあるのかな?と。