王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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『ネクロノミコン異聞』 設定年表
先日の騒ぎで発表が遅れましたが、イカロス出版から『ネクロノミコン異聞』が7月中旬に発売が決定した事を記念して、同書ではページ数の都合で省略された設定年表を公開します。
同書の後書きでも書いたことなんですが、ゲッターピジョンさんからネタを振られた時に、私が書いていたのがこういう年表で、これを元に『週間連載・ネクロノミコン異聞』が執筆されていたのでした。
お読みになった方は分かると思いますが、かなり危ないネタだったので、ブログ上の公開も控えていたんですが、もう今さら隠すこともなくなったので、興味があったら目を通してみてください。しかし、まさかこれが商業作品として日の目を見るとは……。人間っておっかないなあ。
ネクロノミコン異聞(設定年表)
・730年
アブドル・アルハズラットにより『アル・アジフ』(ネクロノミコンの原著)が記される。場所はダマスカス。
・950年
コンスタンティノープルのテオドラス・フィレタスにより『アル・アジフ』が『ネクロノミコン』の表題のもと、ギリシャ語に翻訳される。
・1453年
オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落。東ローマ帝国が滅亡する。『アル・アジフ』は蔵書の一環としてメフメト2世の所有物となる。1480年代以降は、トプカプ宮殿の国庫に保管される。
・1853年
トプカプ宮殿が破棄され、ドルマバフチェ宮殿に政治の中心が移行。『アル・アジフ』もそれに伴い保管場所が移動された。
・1906年
サロニカに『オスマン自由委員会』が結成。主要メンバーは、タラート、エンヴィルなど。後の『統一と進歩委員会』になる。
・1908年
青年トルコ人革命が発生。オスマン帝国は専政が否定され、立憲君主制が復活する。
・1909年
3月31日事件が発生。『統一と進歩委員会』が反革命クーデーターに襲われ、一時的にイスタンブールから避難する。この際に、『アル・アジフ』をタラートが所有することになる。
反革命クーデターは、ケマルとエンヴィルを参謀に据えた、シェヴケト・パシャによって鎮圧され、アブデュルハミト2世が退位させられる。
・1910年~1913年
タラートがイスラム学者のアシクを使って『アル・アジフ』を解読。禁断の書に記された、大量虐殺と引き替えに強大な力を得る呪術を手に入れる。アシクはこの作業で発狂し、後に自殺する。
・1913年
タラート、エンヴェル、ジェマルらがクーデターを起こし専制政治を開始する。三頭政治時代に突入。リーダーはエンヴィル。
・1913年
トルコの要請に応じ、ドイツ陸軍が軍事顧問団を派遣。
・1914年
8月1日に第一次大戦が勃発。トルコは事前の7月28日に、ドイツに対して秘密の攻守同盟を提案。しかし、仇敵であるロシアの動向をうかがい中立を装った。
・1914年
8月10日にトルコがドイツの戦艦を保護。この戦艦が10月28日にセントセバストポリを攻撃したため、同月31日にロシアがトルコに宣戦した。
・1914年
11月からコーカサス地方でロシア軍とトルコ軍が激突。トルコ軍のリーダーはエンヴィルだったが、軍事作戦に疎く冬山を登って敵を迂回しようとしたために凍死者が続出。苦境に追い込まれる。ここで、タラートが『アル・アジフ』の呪術を実行し、事態を打開しようと画策を開始する。
・1915年
2月19日よりガリポリの戦いが開始される。これは、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、フランスの連合軍によるトルコへの攻撃で、イスタンブールの占領を目指していた。トルコはますます苦況に追い込まれる。
・1915年~1922年
トルコによるアルメニア人虐殺発生。アルメニア人虐殺はタラートの発案によるものだが、これは『アル・アジフ』に記された呪術を実行に移すため、大量の生贄が必要だったからである。虐殺は4月24日前後から開始され、8月には一時的に完遂。2柱の『邪神』が誕生する。
・1915年
8月に『邪神』がガリポリの戦いに投入される。初戦闘はサル・ベイ丘で、イギリス陸軍のノーフォーク連隊の兵士と遭遇。341名の兵士を一瞬で殺害し、桁外れの戦闘力を証明する。『邪神』を指揮したのはケマル大佐だった。
・1916年
ガリポリの戦いが終了。勝利者はトルコ軍であった。トルコ軍の指揮官だったケマルの声望が高まる。また、彼を指揮官に抜擢したドイツからの派遣将校、オットー・リーマン・フォン・ザンデルス将軍は、この戦闘を通じて『邪神』の存在を知り、かつ『アル・アジフ』の写本を入手したがるようになる。
・1916年
ザンデルス将軍、10月に『アル・アジフ』の写本を入手する。ドイツ写本。
・1917年
ドイツ写本は4月にドイツ本国に送付され、当時の軍事独裁者だったエーリヒ・フリートリヒ・ヴィルヘルム・ルーデンドルフの所有物となる。しかし、オカルトを信じないルーデンドルフは写本の呪術を真に受けなかった。
・1917年
ロシア革命勃発。帝政ロシアが崩壊する。
・1918年
10月にルーデンドルフはドイツが戦争に勝てないと知り、スウェーデンに亡命。この時、ドイツ写本は参謀本部に放置された。第一次世界大戦終了。
・1919年
ギリシャ・トルコ戦争(希土戦争)が開始される。
・1921年
ケマルが7月8日からトルコ軍の指揮を執り、2柱の『邪神』を戦場に送り込んだ。同時に武器の輸入先として日本を交渉相手に選び、大量の弾薬と銃を秘密裏に確保する。この際、日本とトルコの武器輸出入のネゴシエーションを行ったのが泰平組合という日本の武器輸出に関わる事業集団に所属する北里亜足(きたざとあたる)という人物で、彼もギリシャ・トルコ戦争を通じて『アル・アジフ』と『邪神』の存在を知る。北里亜足は日本とトルコの友好関係に貢献した、山田宗有(もしくは山田寅次郎)が事実上の家元だった茶道宗徧流の弟子+実業家で、宗有の影響によって親土派になった人物である。
・1922年
ワイマール共和国とロシアの間でラパッロ条約が締結される。この中に秘密軍事同盟が含まれており、後に『アル・アジフ』のドイツ写本がソ連で複製されることになる。
・1922年
8月にトルコ軍がギリシャ軍を急襲して大勝する。9月にイズミルが陥落し、希土戦争は終了。
・1922年
ソビエト社会主義共和国連邦の樹立宣言が行われる。
・1923年
日本からの武器輸入に対する支払代金の一部として、北里亜足に『アル・アジフ』の写本が贈呈される。日本写本。
・1923年
ケマルがトルコ共和国成立を宣言し、初代大統領に就任する。
・1923年
11月にルーデンドルフがある大物政治家と徒党を組む。政治家の名前はアドルフ・ヒトラー。二人はミュンヘンで一揆を起こすが鎮圧される。
・1924年
ケマル大統領、『アル・アジフ』原本と2柱の『邪神』をドルマバフチェ宮殿に永久封印する。『アル・アジフ』に記されている呪術を長期的に使用すると、精神に異常を来すことが判明したためである。
・1924年
12月にミュンヘン一揆で有罪判決を受けたヒトラーが刑務所から出所。ルーデンドルフと再会し、そこで『アル・アジフ』ドイツ写本の存在を知る。この時、ヒトラーよりもドイツ写本に興味を示したのが、ヒトラーと共に一揆に関与して、投獄されていたルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスだった。
・1925年
赤軍参謀長に就任したミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキーは、ラパッロ条約に基づいて『アル・アジフ』のドイツ写本を複製する。ソ連写本。
・1926年
トゥハチェフスキー参謀長、ドイツから渡された資料に基づき、第一次大戦中のコーカサス戦を調査。アルメニア人大量虐殺の際に、何らかの呪術が行われたことを確認する。しかし、この調査は『ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部附属国家政治局』(GPU)に関知され、それ以降はトゥハチェフスキー参謀長の収集した資料全てが、GPUを事実上支配していたヨシフ・スターリンの手元に入ってくるようになる。ソ連写本はGPUの特殊課職員によって密かに複製され、スターリンに渡される。ソ連写本β。
・1927年
9月に日本軍人、橋本欣五郎がトルコ大使館付武官となる。ケマル大統領と面会し、強い感銘を受けてケマリストになる。
・1928年
ケマルが『アル・アジフ』の力を使い、名声を得たことを知った橋本は、日本写本の所有者である北里亜足を説得して、これを複製する許可を得る。日本写本β。橋本は自力で熱心に写本を行ったために『アル・アジフ』の影響を受けて精神に異常を来す。
・1930年
橋本欣五郎、日本写本βと共に帰国。日本で桜会を結成する。
・1931年
スターリン、ソ連写本βに基づいて大量殺害計画立案開始。
・1931年
橋本欣五郎、三月事件や十月事件を起こし、クーデターを画策するが失敗に終わる。『アル・アジフ』に精神を侵された橋本に、冷静な判断力はあまり残されていなかった。この一件を通じて、日本写本βの存在が桜会に参加していた団一(だんはじめ)に知られることになる。
・1932年
団一(後の団ハジメ)が半ばだます形で橋本から『アル・アジフ』日本写本βを入手する。
・1932~33年
スターリン、ホロドモールを実行。これは計画的にウクライナ農民を餓死させるというものだったが、裏には『アル・アジフ』の呪術を実行に移すため、大量の生贄が必要という事情が隠されていた。数百万のウクライナ農民が犠牲になった結果として、6柱の『邪神』が誕生する。6柱の『邪神』は軍事利用されず、OGPUに所属。スパイ活動に利用される。
・1933年
ヒトラーが政権を奪取。ルドルフ・ヘスはナチスの副総統に就任。
・1934年
ヘスは全省庁の政策の共同立案責任者となり、以前から興味を抱いていた『アル・アジフ』ドイツ写本の入手に成功。これを熱心に解読しようとしたため精神に異常を来す。しかし、その課程で呪術の方法をドイツ語で記し、またホロモドールによってスターリンが『邪神』を誕生させたことを確信する。
・1934年
団一が橋本所有の『アル・アジフ』日本写本βを解読する。強靱な精神を持つ団一は解読作業で心を病まなかった。
・1934年
スターリンはOGPUを内務人民委員部(NKVD)に編入。この組織が『邪神』をサポートするようになる。NKVDの長官はゲンリフ・ヤゴーダ。
・1936年
スターリンが『邪神』を誕生させたことを知ったトゥハチェフスキーは、これを軍に移管することを提案。スターリンが拒絶したことから、彼が軍に敵意を抱いている事を確信したトゥハチェフスキーは反乱を計画する。
・1936年
ヘスの副官だったマルティン・ルートヴィヒ・ボルマンが、ヘス自身から『アル・アジフ』のドイツ語翻訳メモを入手。このメモはヘスが狂い始めていたので雑然としており、ボルマンが内容をわかりやすく書き直す(ボルマンレポート)。これがヒトラーとの昼食会の際にボルマン本人から提出され、他のナチス高官たちにも注目されるようになる。特に興味を示したのは、ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラーだった。
全ドイツ警察長官に任命されたばかりのヒムラーは、前年に人種学や歴史学の研究を通じてアーリア人が優れていることを証明する目的で、アーネンエルベという機関を創設するほどオカルトに傾倒していた。
ヒムラーはアーネンエルベの研究に必要と称して、渋るヘスからドイツ写本を奪い取った。しかし、ドイツ写本がゲルマン民族と無関係と分かると半ば関心を失い、これを当時私淑していた老オカルティストのカール・マリア・ヴィリグートに譲渡しようとするが、ヴィリグートは「この本は邪悪すぎる」としてこれを拒絶した。
仕方なくヒムラーは、同書の研究を部下であるラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒに改めて委託する。ハイドリヒは更にその部下であるハインリッヒ・ミュラーにドイツ写本の研究を命令する。この段階で、『アル・アジフ』とアルメニア人大量虐殺に相関関係があることが分かっており、ユダヤ人問題「解決」の一助になる可能性があると判断された。
ミュラーは当時からソ連における秘密警察の組織制度の権威と目されており、断片的に『邪神』の情報を掴んでいた。彼は驚くほど強固な意志の持ち主で、『アル・アジフ』ドイツ写本に目を通しても発狂することがなく、またNKVDの持つ『邪神』を自ら所属する親衛隊保安部(SD)にも欲しいと考えるようになった。
ミュラーはヒムラーに正式な許可を取り、オカルト関連の情報に詳しい部下のクラウス・メラーに本格的な調査を依頼する(ヒムラー自身がミュラーに話を持ちかけたという説もある)。
・1937年~1938年
スターリンによる大粛清。数百万の人間が「人民の敵」として殺害された。この中には、トゥハチェフスキーも含まれている。これは政敵の抹殺が主要な目的だったが、被害の拡大によりなし崩し的に『アル・アジフ』の呪術利用にも用いられ、結果として新たに4柱の『邪神』が誕生する。これで、スターリンは10柱の『邪神』を配下に納めることに成功した。
しかし、心の弱い人間は『邪神』の側にいただけで精神に異常を来す。内務人民委員部(NKVD)長官のヤゴーダは、契約した『邪神』との接触に耐えられず1936年に発狂した。彼は最後に「神は実在する!」と泣き叫んでいたと記録されている。
1936年からヤゴーダの後任となったニコライ・エジョフもわずか1年で発狂。これで『邪神』のネガティブな側面を実感したスターリンは、NKVD内部に『邪神』への耐性が高い人間を捜し出すための部署を設立した。また、これらの秘密を守るため、ヤゴーダは1938年、エジョフは1939年に射殺された。2人の後任はラヴレンチー・ベリヤだった。
ベリヤは前任者たちと比べると精神的にタフだったが、それでもやや精神を病んで児童を性的虐待する行為に熱中してしまう。
・1937年
日中戦争開始。日本軍は中国の国民党軍に大勝利をおさめ、大量の捕虜を獲得した。この作戦に参加していた団一は東京にあった陸軍参謀本部を巧みに誘導し、南京で捕虜を虐殺することに成功する。目的は言うまでもなく、『アル・アジフ』に書かれた呪術を実行するための生贄確保だった。こうして、日本でも1柱の『邪神』が誕生するが、団はこれを個人の所有とし(公的には養女として扱った)、自分のために使役した。これが香蘭である。
・1938年
3月にナチスによるオーストリア併合が成立する。当時、保安警察長官だったハイドリヒは移動虐殺部隊を創設。後に特別行動隊(アインザッツグルッペン)となる。
・1938年
11月にトルコ共和国のケマル大統領死去。後任はケマルの片腕と目された軍人のイスメト・イノニュだった。しかし、イノニュは『アル・アジフ』に関する重要性をケマルから伝授されておらず(外交問題を巡って、晩年のケマルとは不仲だった)、その情報の一部を漏洩してしまう。これは、以前からハインリッヒ・ミュラーとクラウス・メラーが計画していた諜報戦の一環で、これによってミュラーはアルメニア人虐殺時のデータ収集に、部分的ではあるが成功する。
ミュラーはこの情報を元に上司であるハイドリヒに掛け合い、特別行動隊(アインザッツグルッペン)に『アル・アジフ』の呪術を実行するために必要な生贄の収集を依頼。許可を受ける。この際にクラウス・メラーが、アインザッツグルッペンと親衛隊保安部(SD)の連絡役を兼ねるようになる。
・1939年
陸軍中野学校の創設者である岩畔豪雄(いわくろひでお)が、2月に陸軍省軍事課長に着任。兵器行政本部を設立。同時に陸軍主導で泰平組合を昭和通商に改編。この時の事務作業を通じて、トルコ通の北里亜足と懇意になる。ここで岩畔は『アル・アジフ』日本写本の存在を知り、兵器への転用に興味を持つ。
・1939年
第二次世界大戦勃発。ポーランドが独ソに侵略される。ハイドリヒに指揮されたアインザッツグルッペンが、ポーランド国内で民間人を虐殺したが、数的に足りず『邪神』の召喚には失敗した。
・1939年
ドイツに国家保安本部が新設され、その第4局(ゲシュタポ)の局長としてハインリヒ・ミュラーが選ばれる。ユダヤ人問題は、ゲシュタポ局、宗派部、ユダヤ人課の課長はアドルフ・アイヒマンに引き継がれるが、この際に『邪神』に関する情報は与えられなかった。
一方、この問題に深く関わっていたクラウス・メラーは、邪神を召喚する計画の実行責任者となり、最低限の軍事訓練を受けるべく新設された武装親衛隊(ヴァッフェンシュッツシュタッフェル)・警察師団に参加する。
・1939年
5~9月にノモンハン事件発生。モンゴルのハルハ河周辺で日ソ両軍が激突する。スターリンは『邪神』の軍事使用を実験すべく、2柱の『邪神』を契約者と共に戦場に送り込んだが、同地に派遣されていた団一と香蘭のコンビと衝突し、あっさりと敗北する。
この一件が原因で、団一はスターリン、及びにNKVDから注目される存在となる。
・1939年
作家、編集者のオーガスト・ダーレスが、アメリカで『アーカム・ハウス』という小さな出版社を設立。ホラー小説やSF小説の販売を開始する。
・1940年
5月にナチスドイツがフランスに侵攻。6月に降伏させる。
・1940年
団一が陸軍を退役。最終階級は大尉。退役後に軍への補給物資を卸す『赤霧商会』を設立する。この商社には、岩畔豪雄が関与しているという説があるが、詳細は不明である。
・1941年
6月に独ソ戦勃発。アインザッツグルッペンによる大量虐殺により、初の『邪神』インゲボルグがドイツに召喚される。インゲボルグはミュラーと契約し、彼はこれを使役して更なる虐殺を行う事で、2番目の『邪神』であるゾフィーの召喚に成功。彼女を部下のクラウス・メラーと契約させるが、その様子を目撃したアインザッツグルッペンの隊員に精神異常者が大量発生して、ヒムラーやハイドリヒを狼狽させた。
・1941年
11月~12月にソ連軍の冬季大反攻。スターリンはこれまで諜報活動に利用していた『邪神』を戦闘に転用。全てをモスクワ正面に投入し、ドイツ軍の猛攻を凌ぎきった。ソ連側の『邪神』が登場したという情報を知ったヒトラーは怒り狂い、この問題を最優先課題として取り上げることを決定する。
・1941年
12月に太平洋戦争勃発。団一は香蘭を使役して不正蓄財に精を出す。
・1942年
1月20日にヴァンゼー会議が開催。ナチスドイツが占領地区の『ユダヤ人』を最終解決(虐殺)するという結論が導き出されたとされるが、この時期には『邪神』の有用性はナチス高官たちの知るところとなり、ユダヤ人を生贄に大量の『邪神』を召喚する計画がヒトラーにより了承された。ただし、これらはミュラーが最初に使役したように、諜報や非戦闘員の虐殺目的には使われず、戦闘部隊として組織することが要求された。
・1942年
岩畔豪雄が北里亜足氏から日本写本を譲渡してもらい、これを兵器行政本部の下に10ある技術研究所の1つである、第9研究所に委託する。「陸軍科学研究所登戸出張所」、または「登戸研究所」として知られる、秘密兵器開発部門である。
登戸研究所では黒木羽里という語学に堪能な人物を新たに雇い入れ、『アル・アジフ』の解読に努めることになった。
・1942年~1944年
ナチスドイツが占領地区の『ユダヤ人』を虐殺し、次々と『邪神』を召喚する。その総数は12柱で、最初にミュラーが獲得したものを含めると合計で13になった。これらの『邪神』はヒトラーが契約した『邪神』アンゲリカ、ミュラーのインゲボルグを除いて彼の指示通りに集中運用され、目を見張るような戦果を挙げる(初代の隊長はクラウス・メラー)。しかし、スターリンも同様の措置は既に執っており、両者のキルレシオに大きな違いがなかったために、戦況を好転させるには至らなかった。
・1943年~1944年
登戸研究所の黒木羽里が『アル・アジフ』の呪術法を確定。『邪神』召喚には大量虐殺の必要性があることが分かり、所長に相談したところ生物化学兵器部門を紹介され、12月になると南京にある中支那防疫給水部(1644部隊)部隊に、他の研究員と共に出張することになる。しかし、黒木は翻訳の課程で既に精神を病んでいた。1644部隊では人体実験を行っていたが、『邪神』の召喚に必要な数にはほど遠く、そのうち黒木の精神が耐えきれずに発狂。『アル・アジフ』を持ったまま行方不明になってしまう。
(以下略)
同書の後書きでも書いたことなんですが、ゲッターピジョンさんからネタを振られた時に、私が書いていたのがこういう年表で、これを元に『週間連載・ネクロノミコン異聞』が執筆されていたのでした。
お読みになった方は分かると思いますが、かなり危ないネタだったので、ブログ上の公開も控えていたんですが、もう今さら隠すこともなくなったので、興味があったら目を通してみてください。しかし、まさかこれが商業作品として日の目を見るとは……。人間っておっかないなあ。
ネクロノミコン異聞(設定年表)
・730年
アブドル・アルハズラットにより『アル・アジフ』(ネクロノミコンの原著)が記される。場所はダマスカス。
・950年
コンスタンティノープルのテオドラス・フィレタスにより『アル・アジフ』が『ネクロノミコン』の表題のもと、ギリシャ語に翻訳される。
・1453年
オスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落。東ローマ帝国が滅亡する。『アル・アジフ』は蔵書の一環としてメフメト2世の所有物となる。1480年代以降は、トプカプ宮殿の国庫に保管される。
・1853年
トプカプ宮殿が破棄され、ドルマバフチェ宮殿に政治の中心が移行。『アル・アジフ』もそれに伴い保管場所が移動された。
・1906年
サロニカに『オスマン自由委員会』が結成。主要メンバーは、タラート、エンヴィルなど。後の『統一と進歩委員会』になる。
・1908年
青年トルコ人革命が発生。オスマン帝国は専政が否定され、立憲君主制が復活する。
・1909年
3月31日事件が発生。『統一と進歩委員会』が反革命クーデーターに襲われ、一時的にイスタンブールから避難する。この際に、『アル・アジフ』をタラートが所有することになる。
反革命クーデターは、ケマルとエンヴィルを参謀に据えた、シェヴケト・パシャによって鎮圧され、アブデュルハミト2世が退位させられる。
・1910年~1913年
タラートがイスラム学者のアシクを使って『アル・アジフ』を解読。禁断の書に記された、大量虐殺と引き替えに強大な力を得る呪術を手に入れる。アシクはこの作業で発狂し、後に自殺する。
・1913年
タラート、エンヴェル、ジェマルらがクーデターを起こし専制政治を開始する。三頭政治時代に突入。リーダーはエンヴィル。
・1913年
トルコの要請に応じ、ドイツ陸軍が軍事顧問団を派遣。
・1914年
8月1日に第一次大戦が勃発。トルコは事前の7月28日に、ドイツに対して秘密の攻守同盟を提案。しかし、仇敵であるロシアの動向をうかがい中立を装った。
・1914年
8月10日にトルコがドイツの戦艦を保護。この戦艦が10月28日にセントセバストポリを攻撃したため、同月31日にロシアがトルコに宣戦した。
・1914年
11月からコーカサス地方でロシア軍とトルコ軍が激突。トルコ軍のリーダーはエンヴィルだったが、軍事作戦に疎く冬山を登って敵を迂回しようとしたために凍死者が続出。苦境に追い込まれる。ここで、タラートが『アル・アジフ』の呪術を実行し、事態を打開しようと画策を開始する。
・1915年
2月19日よりガリポリの戦いが開始される。これは、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、フランスの連合軍によるトルコへの攻撃で、イスタンブールの占領を目指していた。トルコはますます苦況に追い込まれる。
・1915年~1922年
トルコによるアルメニア人虐殺発生。アルメニア人虐殺はタラートの発案によるものだが、これは『アル・アジフ』に記された呪術を実行に移すため、大量の生贄が必要だったからである。虐殺は4月24日前後から開始され、8月には一時的に完遂。2柱の『邪神』が誕生する。
・1915年
8月に『邪神』がガリポリの戦いに投入される。初戦闘はサル・ベイ丘で、イギリス陸軍のノーフォーク連隊の兵士と遭遇。341名の兵士を一瞬で殺害し、桁外れの戦闘力を証明する。『邪神』を指揮したのはケマル大佐だった。
・1916年
ガリポリの戦いが終了。勝利者はトルコ軍であった。トルコ軍の指揮官だったケマルの声望が高まる。また、彼を指揮官に抜擢したドイツからの派遣将校、オットー・リーマン・フォン・ザンデルス将軍は、この戦闘を通じて『邪神』の存在を知り、かつ『アル・アジフ』の写本を入手したがるようになる。
・1916年
ザンデルス将軍、10月に『アル・アジフ』の写本を入手する。ドイツ写本。
・1917年
ドイツ写本は4月にドイツ本国に送付され、当時の軍事独裁者だったエーリヒ・フリートリヒ・ヴィルヘルム・ルーデンドルフの所有物となる。しかし、オカルトを信じないルーデンドルフは写本の呪術を真に受けなかった。
・1917年
ロシア革命勃発。帝政ロシアが崩壊する。
・1918年
10月にルーデンドルフはドイツが戦争に勝てないと知り、スウェーデンに亡命。この時、ドイツ写本は参謀本部に放置された。第一次世界大戦終了。
・1919年
ギリシャ・トルコ戦争(希土戦争)が開始される。
・1921年
ケマルが7月8日からトルコ軍の指揮を執り、2柱の『邪神』を戦場に送り込んだ。同時に武器の輸入先として日本を交渉相手に選び、大量の弾薬と銃を秘密裏に確保する。この際、日本とトルコの武器輸出入のネゴシエーションを行ったのが泰平組合という日本の武器輸出に関わる事業集団に所属する北里亜足(きたざとあたる)という人物で、彼もギリシャ・トルコ戦争を通じて『アル・アジフ』と『邪神』の存在を知る。北里亜足は日本とトルコの友好関係に貢献した、山田宗有(もしくは山田寅次郎)が事実上の家元だった茶道宗徧流の弟子+実業家で、宗有の影響によって親土派になった人物である。
・1922年
ワイマール共和国とロシアの間でラパッロ条約が締結される。この中に秘密軍事同盟が含まれており、後に『アル・アジフ』のドイツ写本がソ連で複製されることになる。
・1922年
8月にトルコ軍がギリシャ軍を急襲して大勝する。9月にイズミルが陥落し、希土戦争は終了。
・1922年
ソビエト社会主義共和国連邦の樹立宣言が行われる。
・1923年
日本からの武器輸入に対する支払代金の一部として、北里亜足に『アル・アジフ』の写本が贈呈される。日本写本。
・1923年
ケマルがトルコ共和国成立を宣言し、初代大統領に就任する。
・1923年
11月にルーデンドルフがある大物政治家と徒党を組む。政治家の名前はアドルフ・ヒトラー。二人はミュンヘンで一揆を起こすが鎮圧される。
・1924年
ケマル大統領、『アル・アジフ』原本と2柱の『邪神』をドルマバフチェ宮殿に永久封印する。『アル・アジフ』に記されている呪術を長期的に使用すると、精神に異常を来すことが判明したためである。
・1924年
12月にミュンヘン一揆で有罪判決を受けたヒトラーが刑務所から出所。ルーデンドルフと再会し、そこで『アル・アジフ』ドイツ写本の存在を知る。この時、ヒトラーよりもドイツ写本に興味を示したのが、ヒトラーと共に一揆に関与して、投獄されていたルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスだった。
・1925年
赤軍参謀長に就任したミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキーは、ラパッロ条約に基づいて『アル・アジフ』のドイツ写本を複製する。ソ連写本。
・1926年
トゥハチェフスキー参謀長、ドイツから渡された資料に基づき、第一次大戦中のコーカサス戦を調査。アルメニア人大量虐殺の際に、何らかの呪術が行われたことを確認する。しかし、この調査は『ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部附属国家政治局』(GPU)に関知され、それ以降はトゥハチェフスキー参謀長の収集した資料全てが、GPUを事実上支配していたヨシフ・スターリンの手元に入ってくるようになる。ソ連写本はGPUの特殊課職員によって密かに複製され、スターリンに渡される。ソ連写本β。
・1927年
9月に日本軍人、橋本欣五郎がトルコ大使館付武官となる。ケマル大統領と面会し、強い感銘を受けてケマリストになる。
・1928年
ケマルが『アル・アジフ』の力を使い、名声を得たことを知った橋本は、日本写本の所有者である北里亜足を説得して、これを複製する許可を得る。日本写本β。橋本は自力で熱心に写本を行ったために『アル・アジフ』の影響を受けて精神に異常を来す。
・1930年
橋本欣五郎、日本写本βと共に帰国。日本で桜会を結成する。
・1931年
スターリン、ソ連写本βに基づいて大量殺害計画立案開始。
・1931年
橋本欣五郎、三月事件や十月事件を起こし、クーデターを画策するが失敗に終わる。『アル・アジフ』に精神を侵された橋本に、冷静な判断力はあまり残されていなかった。この一件を通じて、日本写本βの存在が桜会に参加していた団一(だんはじめ)に知られることになる。
・1932年
団一(後の団ハジメ)が半ばだます形で橋本から『アル・アジフ』日本写本βを入手する。
・1932~33年
スターリン、ホロドモールを実行。これは計画的にウクライナ農民を餓死させるというものだったが、裏には『アル・アジフ』の呪術を実行に移すため、大量の生贄が必要という事情が隠されていた。数百万のウクライナ農民が犠牲になった結果として、6柱の『邪神』が誕生する。6柱の『邪神』は軍事利用されず、OGPUに所属。スパイ活動に利用される。
・1933年
ヒトラーが政権を奪取。ルドルフ・ヘスはナチスの副総統に就任。
・1934年
ヘスは全省庁の政策の共同立案責任者となり、以前から興味を抱いていた『アル・アジフ』ドイツ写本の入手に成功。これを熱心に解読しようとしたため精神に異常を来す。しかし、その課程で呪術の方法をドイツ語で記し、またホロモドールによってスターリンが『邪神』を誕生させたことを確信する。
・1934年
団一が橋本所有の『アル・アジフ』日本写本βを解読する。強靱な精神を持つ団一は解読作業で心を病まなかった。
・1934年
スターリンはOGPUを内務人民委員部(NKVD)に編入。この組織が『邪神』をサポートするようになる。NKVDの長官はゲンリフ・ヤゴーダ。
・1936年
スターリンが『邪神』を誕生させたことを知ったトゥハチェフスキーは、これを軍に移管することを提案。スターリンが拒絶したことから、彼が軍に敵意を抱いている事を確信したトゥハチェフスキーは反乱を計画する。
・1936年
ヘスの副官だったマルティン・ルートヴィヒ・ボルマンが、ヘス自身から『アル・アジフ』のドイツ語翻訳メモを入手。このメモはヘスが狂い始めていたので雑然としており、ボルマンが内容をわかりやすく書き直す(ボルマンレポート)。これがヒトラーとの昼食会の際にボルマン本人から提出され、他のナチス高官たちにも注目されるようになる。特に興味を示したのは、ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラーだった。
全ドイツ警察長官に任命されたばかりのヒムラーは、前年に人種学や歴史学の研究を通じてアーリア人が優れていることを証明する目的で、アーネンエルベという機関を創設するほどオカルトに傾倒していた。
ヒムラーはアーネンエルベの研究に必要と称して、渋るヘスからドイツ写本を奪い取った。しかし、ドイツ写本がゲルマン民族と無関係と分かると半ば関心を失い、これを当時私淑していた老オカルティストのカール・マリア・ヴィリグートに譲渡しようとするが、ヴィリグートは「この本は邪悪すぎる」としてこれを拒絶した。
仕方なくヒムラーは、同書の研究を部下であるラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒに改めて委託する。ハイドリヒは更にその部下であるハインリッヒ・ミュラーにドイツ写本の研究を命令する。この段階で、『アル・アジフ』とアルメニア人大量虐殺に相関関係があることが分かっており、ユダヤ人問題「解決」の一助になる可能性があると判断された。
ミュラーは当時からソ連における秘密警察の組織制度の権威と目されており、断片的に『邪神』の情報を掴んでいた。彼は驚くほど強固な意志の持ち主で、『アル・アジフ』ドイツ写本に目を通しても発狂することがなく、またNKVDの持つ『邪神』を自ら所属する親衛隊保安部(SD)にも欲しいと考えるようになった。
ミュラーはヒムラーに正式な許可を取り、オカルト関連の情報に詳しい部下のクラウス・メラーに本格的な調査を依頼する(ヒムラー自身がミュラーに話を持ちかけたという説もある)。
・1937年~1938年
スターリンによる大粛清。数百万の人間が「人民の敵」として殺害された。この中には、トゥハチェフスキーも含まれている。これは政敵の抹殺が主要な目的だったが、被害の拡大によりなし崩し的に『アル・アジフ』の呪術利用にも用いられ、結果として新たに4柱の『邪神』が誕生する。これで、スターリンは10柱の『邪神』を配下に納めることに成功した。
しかし、心の弱い人間は『邪神』の側にいただけで精神に異常を来す。内務人民委員部(NKVD)長官のヤゴーダは、契約した『邪神』との接触に耐えられず1936年に発狂した。彼は最後に「神は実在する!」と泣き叫んでいたと記録されている。
1936年からヤゴーダの後任となったニコライ・エジョフもわずか1年で発狂。これで『邪神』のネガティブな側面を実感したスターリンは、NKVD内部に『邪神』への耐性が高い人間を捜し出すための部署を設立した。また、これらの秘密を守るため、ヤゴーダは1938年、エジョフは1939年に射殺された。2人の後任はラヴレンチー・ベリヤだった。
ベリヤは前任者たちと比べると精神的にタフだったが、それでもやや精神を病んで児童を性的虐待する行為に熱中してしまう。
・1937年
日中戦争開始。日本軍は中国の国民党軍に大勝利をおさめ、大量の捕虜を獲得した。この作戦に参加していた団一は東京にあった陸軍参謀本部を巧みに誘導し、南京で捕虜を虐殺することに成功する。目的は言うまでもなく、『アル・アジフ』に書かれた呪術を実行するための生贄確保だった。こうして、日本でも1柱の『邪神』が誕生するが、団はこれを個人の所有とし(公的には養女として扱った)、自分のために使役した。これが香蘭である。
・1938年
3月にナチスによるオーストリア併合が成立する。当時、保安警察長官だったハイドリヒは移動虐殺部隊を創設。後に特別行動隊(アインザッツグルッペン)となる。
・1938年
11月にトルコ共和国のケマル大統領死去。後任はケマルの片腕と目された軍人のイスメト・イノニュだった。しかし、イノニュは『アル・アジフ』に関する重要性をケマルから伝授されておらず(外交問題を巡って、晩年のケマルとは不仲だった)、その情報の一部を漏洩してしまう。これは、以前からハインリッヒ・ミュラーとクラウス・メラーが計画していた諜報戦の一環で、これによってミュラーはアルメニア人虐殺時のデータ収集に、部分的ではあるが成功する。
ミュラーはこの情報を元に上司であるハイドリヒに掛け合い、特別行動隊(アインザッツグルッペン)に『アル・アジフ』の呪術を実行するために必要な生贄の収集を依頼。許可を受ける。この際にクラウス・メラーが、アインザッツグルッペンと親衛隊保安部(SD)の連絡役を兼ねるようになる。
・1939年
陸軍中野学校の創設者である岩畔豪雄(いわくろひでお)が、2月に陸軍省軍事課長に着任。兵器行政本部を設立。同時に陸軍主導で泰平組合を昭和通商に改編。この時の事務作業を通じて、トルコ通の北里亜足と懇意になる。ここで岩畔は『アル・アジフ』日本写本の存在を知り、兵器への転用に興味を持つ。
・1939年
第二次世界大戦勃発。ポーランドが独ソに侵略される。ハイドリヒに指揮されたアインザッツグルッペンが、ポーランド国内で民間人を虐殺したが、数的に足りず『邪神』の召喚には失敗した。
・1939年
ドイツに国家保安本部が新設され、その第4局(ゲシュタポ)の局長としてハインリヒ・ミュラーが選ばれる。ユダヤ人問題は、ゲシュタポ局、宗派部、ユダヤ人課の課長はアドルフ・アイヒマンに引き継がれるが、この際に『邪神』に関する情報は与えられなかった。
一方、この問題に深く関わっていたクラウス・メラーは、邪神を召喚する計画の実行責任者となり、最低限の軍事訓練を受けるべく新設された武装親衛隊(ヴァッフェンシュッツシュタッフェル)・警察師団に参加する。
・1939年
5~9月にノモンハン事件発生。モンゴルのハルハ河周辺で日ソ両軍が激突する。スターリンは『邪神』の軍事使用を実験すべく、2柱の『邪神』を契約者と共に戦場に送り込んだが、同地に派遣されていた団一と香蘭のコンビと衝突し、あっさりと敗北する。
この一件が原因で、団一はスターリン、及びにNKVDから注目される存在となる。
・1939年
作家、編集者のオーガスト・ダーレスが、アメリカで『アーカム・ハウス』という小さな出版社を設立。ホラー小説やSF小説の販売を開始する。
・1940年
5月にナチスドイツがフランスに侵攻。6月に降伏させる。
・1940年
団一が陸軍を退役。最終階級は大尉。退役後に軍への補給物資を卸す『赤霧商会』を設立する。この商社には、岩畔豪雄が関与しているという説があるが、詳細は不明である。
・1941年
6月に独ソ戦勃発。アインザッツグルッペンによる大量虐殺により、初の『邪神』インゲボルグがドイツに召喚される。インゲボルグはミュラーと契約し、彼はこれを使役して更なる虐殺を行う事で、2番目の『邪神』であるゾフィーの召喚に成功。彼女を部下のクラウス・メラーと契約させるが、その様子を目撃したアインザッツグルッペンの隊員に精神異常者が大量発生して、ヒムラーやハイドリヒを狼狽させた。
・1941年
11月~12月にソ連軍の冬季大反攻。スターリンはこれまで諜報活動に利用していた『邪神』を戦闘に転用。全てをモスクワ正面に投入し、ドイツ軍の猛攻を凌ぎきった。ソ連側の『邪神』が登場したという情報を知ったヒトラーは怒り狂い、この問題を最優先課題として取り上げることを決定する。
・1941年
12月に太平洋戦争勃発。団一は香蘭を使役して不正蓄財に精を出す。
・1942年
1月20日にヴァンゼー会議が開催。ナチスドイツが占領地区の『ユダヤ人』を最終解決(虐殺)するという結論が導き出されたとされるが、この時期には『邪神』の有用性はナチス高官たちの知るところとなり、ユダヤ人を生贄に大量の『邪神』を召喚する計画がヒトラーにより了承された。ただし、これらはミュラーが最初に使役したように、諜報や非戦闘員の虐殺目的には使われず、戦闘部隊として組織することが要求された。
・1942年
岩畔豪雄が北里亜足氏から日本写本を譲渡してもらい、これを兵器行政本部の下に10ある技術研究所の1つである、第9研究所に委託する。「陸軍科学研究所登戸出張所」、または「登戸研究所」として知られる、秘密兵器開発部門である。
登戸研究所では黒木羽里という語学に堪能な人物を新たに雇い入れ、『アル・アジフ』の解読に努めることになった。
・1942年~1944年
ナチスドイツが占領地区の『ユダヤ人』を虐殺し、次々と『邪神』を召喚する。その総数は12柱で、最初にミュラーが獲得したものを含めると合計で13になった。これらの『邪神』はヒトラーが契約した『邪神』アンゲリカ、ミュラーのインゲボルグを除いて彼の指示通りに集中運用され、目を見張るような戦果を挙げる(初代の隊長はクラウス・メラー)。しかし、スターリンも同様の措置は既に執っており、両者のキルレシオに大きな違いがなかったために、戦況を好転させるには至らなかった。
・1943年~1944年
登戸研究所の黒木羽里が『アル・アジフ』の呪術法を確定。『邪神』召喚には大量虐殺の必要性があることが分かり、所長に相談したところ生物化学兵器部門を紹介され、12月になると南京にある中支那防疫給水部(1644部隊)部隊に、他の研究員と共に出張することになる。しかし、黒木は翻訳の課程で既に精神を病んでいた。1644部隊では人体実験を行っていたが、『邪神』の召喚に必要な数にはほど遠く、そのうち黒木の精神が耐えきれずに発狂。『アル・アジフ』を持ったまま行方不明になってしまう。
(以下略)
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14件のコメント
[C4328] 発売キター
- 2011-06-23
- 編集
[C4329] Anchangさん
ありがとうございます。
いやいや、ちゃんとこの年表からあの作品はできますよ? イカロスから発売される作品も、ややデチューンされていますが基本路線は一緒です。邪神も人間もハードヒッティング、が信条ですから。
いやいや、ちゃんとこの年表からあの作品はできますよ? イカロスから発売される作品も、ややデチューンされていますが基本路線は一緒です。邪神も人間もハードヒッティング、が信条ですから。
- 2011-06-24
- 編集
[C4332] こーさーん
あー、ダメだ。
この手偽造年表は虚実の狭間を楽しむもんだけど、こーも細かいとやつがれ゛ときの知識じゃグレーゾーンがデカくなりすぎですよっと。
ま、ハジメちゃん最強邪神使い伝説はガチでしょーが、その力をもっぱら私腹肥やすなんてチン舞妓とに振り向けちゃうのがステキすぐる。人間味のほどわきまえるのがいかに大切かがわかります。福田さんはやっぱ偉大です。
で、その後を継ぐ彼はさらにスゴくて、あまたの命をゴリゴリすりつぶして呼び出されたシロモノを、どきどき写真のモデルとして使役しよーってんだからゼータク極まれりだよネ。はらしょー。
この手偽造年表は虚実の狭間を楽しむもんだけど、こーも細かいとやつがれ゛ときの知識じゃグレーゾーンがデカくなりすぎですよっと。
ま、ハジメちゃん最強邪神使い伝説はガチでしょーが、その力をもっぱら私腹肥やすなんてチン舞妓とに振り向けちゃうのがステキすぐる。人間味のほどわきまえるのがいかに大切かがわかります。福田さんはやっぱ偉大です。
で、その後を継ぐ彼はさらにスゴくて、あまたの命をゴリゴリすりつぶして呼び出されたシロモノを、どきどき写真のモデルとして使役しよーってんだからゼータク極まれりだよネ。はらしょー。
- 2011-06-25
- 編集
[C4334] 電気屋さん
いや、これが全部ぱっと分かる日本人がいたら、そっちの方が凄いですよ。特にトルコ史に詳しいのは相当なマニアです(何のマニアだ!)。
ただ、この年表は一カ所だけ瑕疵があって、上手く現実と嘘が混ざってくれていません。 現実はタイミングなんて無視だから仕方ないんですが、それさえなけりゃ完璧な偽史になるんですけどねえ。
ただ、この年表は一カ所だけ瑕疵があって、上手く現実と嘘が混ざってくれていません。 現実はタイミングなんて無視だから仕方ないんですが、それさえなけりゃ完璧な偽史になるんですけどねえ。
- 2011-06-26
- 編集
[C4338] ってコトは…
ケマルもかよッ!て思えただけでも合格なのかな?
マジケマルはマズいっスよ。邪神使役者の中で、彼だけが今も一般的な尊敬集めてますから。トルコの方が見たら大怒り確定ですよね?
ま、同時に邪神使役者の中でハジメちゃんと並んでその危険さを認識して慎重な運用をしたわけですからさすがではあるんですが。邪神の力に振り回されなかった唯一の実在人物ってこってすもんね。
マジケマルはマズいっスよ。邪神使役者の中で、彼だけが今も一般的な尊敬集めてますから。トルコの方が見たら大怒り確定ですよね?
ま、同時に邪神使役者の中でハジメちゃんと並んでその危険さを認識して慎重な運用をしたわけですからさすがではあるんですが。邪神の力に振り回されなかった唯一の実在人物ってこってすもんね。
- 2011-06-26
- 編集
[C4339] 電気屋さん
日本にはケマリストがそんなにいないからOKでしょう。そもそも、トルコ政府は現在もアルメニア人虐殺を認めてないわけですから、どっちにしろこの本はアウトです。年表には書きませんでしたが、アルメニア人虐殺に関わったとされるタラート・パシャ、アフメト・ジェマル・パシャはアルメニア革命連合のテロリストに殺害されています。
団ハジメがどうなっちゃっているかについては本文で堪能してください。この章は、削るか残すかで最後まで悩んだんで、ちょびっつ思い入れが深かったりします。
団ハジメがどうなっちゃっているかについては本文で堪能してください。この章は、削るか残すかで最後まで悩んだんで、ちょびっつ思い入れが深かったりします。
- 2011-06-26
- 編集
[C4340] 時代はらぢお
とーとつにいんぼー思いついた。チェルノブイリは邪神召喚のタメだったっての。
アレが党の上層部のムチャな実験計画による事故ってのはガチだからなー。実際かなりの人柱使ったのは確実だし、中長期的には相当の人数が犠牲になってるんだよな。一柱くらいは呼べてるかも?
でも、福島は放射線よりデマ被害のがおっきーっスね。やでやで。だから英語なんかより理科と国語はだな…。
アレが党の上層部のムチャな実験計画による事故ってのはガチだからなー。実際かなりの人柱使ったのは確実だし、中長期的には相当の人数が犠牲になってるんだよな。一柱くらいは呼べてるかも?
でも、福島は放射線よりデマ被害のがおっきーっスね。やでやで。だから英語なんかより理科と国語はだな…。
- 2011-06-27
- 編集
[C4341] 電気屋さん
本の発売が7月12日にでほぼ決定したそうですから、それが出てからなら幾らでもスピンアウト作品のネタを作っていただいて結構ですよ。
英語教育より理科・国語教育という意見に関しては、実はこっそり賛成します。特に国語教育は、今すぐにでもあの馬鹿臭い読書感想文をやめさせるべきです。文章から作者の意図を汲み取るぐらいなら、書き方を練習させた方がナンボかマシですよ。ただ、ドメスティックな国民性が助長される危険性はありますよね。
ちなみに、メガデスというスラッシュメタルバンドの元ギタリストで、今は日本で暮らしているマーティ・フリードマンは「言語はとにかく単語。文法を先に覚えようとするのはバカ。救急車を呼びたいときは、その国で救急車という単語を覚えてさえいれば、後は文法が滅茶苦茶でも意味は通じる」と断言しています。「喋り言葉」としての日本の英語教育が完全に失敗しているだけでは? でも、現況の英語教育を受ければ、「書き言葉」ならかなり読めますよね。
英語教育より理科・国語教育という意見に関しては、実はこっそり賛成します。特に国語教育は、今すぐにでもあの馬鹿臭い読書感想文をやめさせるべきです。文章から作者の意図を汲み取るぐらいなら、書き方を練習させた方がナンボかマシですよ。ただ、ドメスティックな国民性が助長される危険性はありますよね。
ちなみに、メガデスというスラッシュメタルバンドの元ギタリストで、今は日本で暮らしているマーティ・フリードマンは「言語はとにかく単語。文法を先に覚えようとするのはバカ。救急車を呼びたいときは、その国で救急車という単語を覚えてさえいれば、後は文法が滅茶苦茶でも意味は通じる」と断言しています。「喋り言葉」としての日本の英語教育が完全に失敗しているだけでは? でも、現況の英語教育を受ければ、「書き言葉」ならかなり読めますよね。
- 2011-06-28
- 編集
[C4342] 横レス失礼
マーティwの言ってることはかなり正しいと思いますね。
鳥山さんもご存知のとおり、私、海外のエロサイトやチャット回ってますけど、スカイプはダメですが、読み書きならなんとかなりますもんw日本の英語教育の賜物です。
ロシア語だって、siskiとかpiskaとかhoroshoとか知ってればなんとかなりますw
鳥山さんもご存知のとおり、私、海外のエロサイトやチャット回ってますけど、スカイプはダメですが、読み書きならなんとかなりますもんw日本の英語教育の賜物です。
ロシア語だって、siskiとかpiskaとかhoroshoとか知ってればなんとかなりますw
- 2011-06-28
- 編集
[C4343] Anchangさん
読むだけだったら、高校までの英語でも何とかなるんですよね。喋るのは不可能ですが。しかし、ロシア語のソレは何ですか? オチ(以下略)とかオッ(以下略)にはとても読めませんよ。
- 2011-06-29
- 編集
[C4344] ええと
チャット上で英語のアルファベットのみを使って表示するとこんな感じで通じるようです。キリル文字が使えない環境でのロシア語表示ってのもネット上で模索中みたいですよ、彼らの間では。
- 2011-06-30
- 編集
[C4345] はらしょーしかワカらん。
言葉の覚え方は母語とそれ以外の二種類しかないのはほぼ証明された事実で、であるなら外国語を学ぶ時期は母語として覚える幼児期以外はいつでも変わらんワケです。
小学生に英語教えるべきって考える親が67%って聞いたとき、おまいらどんだけ英語コンプレックスなんだよ!とか思いましたね。
あと、書き言葉主体ってのはあながち間違ってないと思うナ。
だって話し言葉だとなまりとかもあってアテにならん面デカいし、なにより肉体的要素含んじゃうから大量教育に向かんですヨ。
読書感想文は…ウン、バカだよね。特に課題図書がバカすぐる。好きでない本読んだって「ツマらん」以外ないでないの。
ただ、小学校の国語は大変だよな、とも思う。
漢字の読み書きできて、文章のよしあしまでワカりはじめてるヤツと、文字通り「いろはのい」なのといっしょくただもんナ。
小学生に英語教えるべきって考える親が67%って聞いたとき、おまいらどんだけ英語コンプレックスなんだよ!とか思いましたね。
あと、書き言葉主体ってのはあながち間違ってないと思うナ。
だって話し言葉だとなまりとかもあってアテにならん面デカいし、なにより肉体的要素含んじゃうから大量教育に向かんですヨ。
読書感想文は…ウン、バカだよね。特に課題図書がバカすぐる。好きでない本読んだって「ツマらん」以外ないでないの。
ただ、小学校の国語は大変だよな、とも思う。
漢字の読み書きできて、文章のよしあしまでワカりはじめてるヤツと、文字通り「いろはのい」なのといっしょくただもんナ。
- 2011-06-30
- 編集
[C4348] 電気屋さん
パラグアイみたいに全国民の7~8割がバイリンガルという珍しい例もありますが、歴史が特殊ですよね。それと、日本人の英語コンプレックスは表層上のモノでしか無く、実際は外国にそれほど興味がないというのが自明になっちゃっているので、まあ、なんだ、アレですな。
- 2011-07-05
- 編集
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この年表からどうしてあのネクラロリコンになったのかちょっと理解不能ですがw
しかし、小説が年表どおりの展開ならそれもある意味ハードコアですね。楽しみです。