王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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それは目でした。明治以降、つまり西洋文化が輸入されるようになって大きく変化した日本人の美的価値観の代表が「目」と「歯」でした。特に目に関するものは決定的で、二重まぶたで目の大きな顔が「美しい」とされ、これは太平洋戦争以降も覆りませんでした。
浮世絵などを見れば分かるように、江戸期の日本人はそれほど目の大きさを重要視していませんでした。むしろ、目があまりにも大きいことは醜い条件の1つとされていました。これが徐々に西洋文化の流入と共に変化していって、反米宣伝が盛んになった太平洋戦争中期から末期のナショナリズム・レイシズム全盛時でも「目は小さい方が美しい。鬼畜米英の価値観を捨てよ」とは言われませんでした。
にもかかわらず、当時の日本女性の大部分は目の周囲にアイシャドウを塗って強調するという化粧法を用いませんでした。これは、1930年代まで日本製のアイシャドウがなかったことが原因で、アイメイクをしたいと思ったら輸入化粧品を入手する必要があったからです。そこで、江戸期からずっと化粧には寛容だった日本人も、アイメイクだけは例外扱いにしていました。つまり、アイメイクをする女性は『玄人筋』で、一般家庭の婦女子は真似をしてはいけないという風潮がありました。
この価値観は戦後の一時期まで続いたので、肉厚で一重まぶたの日本人女性は二律背反する要求に苦しむことになります。二重で大きな目が美しいとされているのに、目を強調するお化粧がタブー視されたからです。結果として流行したのが整形手術でした。一重まぶたを整形して二重に変える女性が次々と現れたのです。
これで、日本における化粧=悪という価値観の大部分が出そろいました。箇条書きにすると、
1)目を強調する化粧は水商売を連想させるから駄目。
2)パーマは日本人らしくないから駄目。
3)油性化粧品は下品だから駄目。
4)唇を大きく見せるのも下品だから駄目。
ということになります。ただし、敗戦直後は既存の価値観に大転換が起き、米国は悪鬼から礼賛の対象へと変化したため、(3)と(4)が女性の憧れだった時期があります。上述の批判が本格化するのは戦後の混乱が終息する1950年代後半以降で、その根拠はおおむね幾つかのパターンに分類可能でした。
1つは油性化粧品は身体に悪いという迷信(?)です。油性化粧品の油性というのは、主にワセリンとグリセリンの2種類の化学物質を指し、どちらも原材料の大部分は石油です。ワセリンは石油を精製したもので、グリセリンは石油精製の副産物であるプロピレンから合成されます。
つまり、油性化粧品を使うと言うことは、石油(製品)を皮膚に塗るのと同義で、これが身体に良いわけがないというのが、化粧否定の根拠とされました。しかし、ワセリンは他の自然界に存在する油と比較しても酸化しにくいために人体に与える影響は少なく、かつ水に溶けない特性があるので、医薬品軟膏の基材として使われるほど安全性の高い物質であり、グリセリンも同様に人体に与える影響が少なく、こちらは水に良く溶ける特性があるのでよく目薬の原材料として使われます。ぶっちゃけ、身体に悪い物質であれば薬には使わないはずです。
そこで、疑似科学によくある手法なんですが、ワセリン=悪の例として頻繁に用いられたのがニキビです。水に溶けないワセリンを皮膚に塗るのは、皮膚に含まれる水分を乾燥させないためで、要するに保湿が目的です。一方のニキビは、肌に溜まった皮質にアクネ菌が繁殖した結果、炎症を引き起こすという症状です。
このため、皮質を落とせばアクネ菌の繁殖は防げるのに、油性化粧品を使うと肌をコーティングしてしまうのでニキビが悪化する……という話になったわけです。でも、ニキビの治療を受けた人は知っているでしょうけど、現実の医療現場で行われるニキビ治療方法はビタミン剤の投与と抗炎症剤の塗布が主で、洗顔は副次的なものにすぎません。
ところが、現在でもこの流れというのは確実にあって、健康志向とか天然物崇拝、農本主義などと混合して、相変わらず化粧批判の「根拠薄弱な根拠」の1つとして存在します。そのため、同じ化粧でもヘチマ水とか天然油であればオッケーとされる場合もあり、そうした化粧の結果は、まあ想像できると思いますけど、古式ゆかしいマット系というオチです。
(続く)
浮世絵などを見れば分かるように、江戸期の日本人はそれほど目の大きさを重要視していませんでした。むしろ、目があまりにも大きいことは醜い条件の1つとされていました。これが徐々に西洋文化の流入と共に変化していって、反米宣伝が盛んになった太平洋戦争中期から末期のナショナリズム・レイシズム全盛時でも「目は小さい方が美しい。鬼畜米英の価値観を捨てよ」とは言われませんでした。
にもかかわらず、当時の日本女性の大部分は目の周囲にアイシャドウを塗って強調するという化粧法を用いませんでした。これは、1930年代まで日本製のアイシャドウがなかったことが原因で、アイメイクをしたいと思ったら輸入化粧品を入手する必要があったからです。そこで、江戸期からずっと化粧には寛容だった日本人も、アイメイクだけは例外扱いにしていました。つまり、アイメイクをする女性は『玄人筋』で、一般家庭の婦女子は真似をしてはいけないという風潮がありました。
この価値観は戦後の一時期まで続いたので、肉厚で一重まぶたの日本人女性は二律背反する要求に苦しむことになります。二重で大きな目が美しいとされているのに、目を強調するお化粧がタブー視されたからです。結果として流行したのが整形手術でした。一重まぶたを整形して二重に変える女性が次々と現れたのです。
これで、日本における化粧=悪という価値観の大部分が出そろいました。箇条書きにすると、
1)目を強調する化粧は水商売を連想させるから駄目。
2)パーマは日本人らしくないから駄目。
3)油性化粧品は下品だから駄目。
4)唇を大きく見せるのも下品だから駄目。
ということになります。ただし、敗戦直後は既存の価値観に大転換が起き、米国は悪鬼から礼賛の対象へと変化したため、(3)と(4)が女性の憧れだった時期があります。上述の批判が本格化するのは戦後の混乱が終息する1950年代後半以降で、その根拠はおおむね幾つかのパターンに分類可能でした。
1つは油性化粧品は身体に悪いという迷信(?)です。油性化粧品の油性というのは、主にワセリンとグリセリンの2種類の化学物質を指し、どちらも原材料の大部分は石油です。ワセリンは石油を精製したもので、グリセリンは石油精製の副産物であるプロピレンから合成されます。
つまり、油性化粧品を使うと言うことは、石油(製品)を皮膚に塗るのと同義で、これが身体に良いわけがないというのが、化粧否定の根拠とされました。しかし、ワセリンは他の自然界に存在する油と比較しても酸化しにくいために人体に与える影響は少なく、かつ水に溶けない特性があるので、医薬品軟膏の基材として使われるほど安全性の高い物質であり、グリセリンも同様に人体に与える影響が少なく、こちらは水に良く溶ける特性があるのでよく目薬の原材料として使われます。ぶっちゃけ、身体に悪い物質であれば薬には使わないはずです。
そこで、疑似科学によくある手法なんですが、ワセリン=悪の例として頻繁に用いられたのがニキビです。水に溶けないワセリンを皮膚に塗るのは、皮膚に含まれる水分を乾燥させないためで、要するに保湿が目的です。一方のニキビは、肌に溜まった皮質にアクネ菌が繁殖した結果、炎症を引き起こすという症状です。
このため、皮質を落とせばアクネ菌の繁殖は防げるのに、油性化粧品を使うと肌をコーティングしてしまうのでニキビが悪化する……という話になったわけです。でも、ニキビの治療を受けた人は知っているでしょうけど、現実の医療現場で行われるニキビ治療方法はビタミン剤の投与と抗炎症剤の塗布が主で、洗顔は副次的なものにすぎません。
ところが、現在でもこの流れというのは確実にあって、健康志向とか天然物崇拝、農本主義などと混合して、相変わらず化粧批判の「根拠薄弱な根拠」の1つとして存在します。そのため、同じ化粧でもヘチマ水とか天然油であればオッケーとされる場合もあり、そうした化粧の結果は、まあ想像できると思いますけど、古式ゆかしいマット系というオチです。
(続く)
6件のコメント
[C156]
- 2008-02-08
- 編集
[C157]
そういえば、テレビで聖子タンとゆかりタンが映ってるのを
見たとき、二人の化粧法が対照的だなと思ったです。
聖子タンはマット、ゆかりタンはコートだと思います。
顔の造作の違いもありますが、二人の化粧に対する考え
方の違いが見て取れて面白かったです。
見たとき、二人の化粧法が対照的だなと思ったです。
聖子タンはマット、ゆかりタンはコートだと思います。
顔の造作の違いもありますが、二人の化粧に対する考え
方の違いが見て取れて面白かったです。
- 2008-02-09
- 編集
[C158]
一GT掲示板参加者さん
情報、ありがとうございます。
可能な限り対処しますが、現在は児ポ法の単純所持問題、及びにホットラインセンターのパブコメ関連で活動させて下さい。
そちらが終わり次第、対処法を検討します。
情報、ありがとうございます。
可能な限り対処しますが、現在は児ポ法の単純所持問題、及びにホットラインセンターのパブコメ関連で活動させて下さい。
そちらが終わり次第、対処法を検討します。
- 2008-02-11
- 編集
[C159]
Anchangさん
佐藤ゆかりの方が、目も口も野田聖子より大きいから、華やかな印象がありますよね。
後は撮影場所が大きいのかな? 野田は割と蛍光灯の下で写真を撮っているんで、マットな質感になってる可能性があります。
佐藤ゆかりの方が、目も口も野田聖子より大きいから、華やかな印象がありますよね。
後は撮影場所が大きいのかな? 野田は割と蛍光灯の下で写真を撮っているんで、マットな質感になってる可能性があります。
- 2008-02-11
- 編集
[C160] 鳥山さん
>野田は割と蛍光灯の下で写真を撮っているんで、マットな質感になってる可能性があります。
ああ、そうですね。いまどきの化粧品使ってたら、そうそうマット仕上げにはならないかも。
ああ、そうですね。いまどきの化粧品使ってたら、そうそうマット仕上げにはならないかも。
- 2008-02-11
- 編集
[C161]
Anchangさん
今のデジカメは性能が良いんで、ホワイトバランスも比較的ちゃんととってくれるんですが、それでも蛍光灯がベースライトだと緑色が被ります。
昔のOLさんは、それで顔色が悪くなるのを防ぐために、ピンク系のファンデーションを携帯していたそうです。
緑色の補色はマゼンダ(ピンク)ですからね。肌の黒い女性が、緑色系のファンデーションを使うのと原理的には一緒ですな。
今のデジカメは性能が良いんで、ホワイトバランスも比較的ちゃんととってくれるんですが、それでも蛍光灯がベースライトだと緑色が被ります。
昔のOLさんは、それで顔色が悪くなるのを防ぐために、ピンク系のファンデーションを携帯していたそうです。
緑色の補色はマゼンダ(ピンク)ですからね。肌の黒い女性が、緑色系のファンデーションを使うのと原理的には一緒ですな。
- 2008-02-12
- 編集
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2008.2.8 児童買春・ポルノ禁止法見直しPTの第2回会合を開催
「法改正の方向性について党内論議」
ttp://www.maruya-kaori.com/topix_2008_02_08.htm
2月8日午前、私が座長を務める「児童買春・ポルノ禁止法見直しPT」の第2回会合を行い、
児童買春・ポルノ禁止法の改正に向けた方向性について党内議論を行いました。斉藤鉄夫政調会長(衆議院議員)を始め、
石田祝稔、古屋範子、谷口和史、各衆議院議員と鰐淵洋子PT事務局長(参議院議員)、
浮島とも子参議院議員が参加して下さり、様々な視点で真摯な議論をすることが出来たと思います。
最近の国際社会の動き、また特に指摘されている問題点(ネット上での児童ポルノ拡散の状況、対象の低年齢化など)を
説明させていただき、論点として以下の三点を集中的に議論しました。
1.単純所持を処罰対象とするか?
2.児童ポルノの定義を見直すか否か?
3.携帯電話・ネット上での不特定多数への拡散をいかに防止するか?
ですが、単純所持についてはG8の中で日本とロシアだけが単純所持を対象としていないことから、
国際的な批判は免れない現状などから、今回の見直しで処罰対象とするべきではないかとの意見が多くよせられました。
児童ポルノの定義については、アニメや音声を含めてより深く議論をしていく必要があるとした上で、
現行法の処罰対象とはならないけれども社会通念上極めて卑猥な画像、また対象児童の低年齢化改善のため、
定義の細分化、明確化を求める意見もありました。
またネット上の拡散を防ぐためには、事業者の管理責任が大事だと言う合意が得られました。
今後関係者の方がたと更に意見交換を重ねながら、早期に以上の論点について結論を出して参りたいと思います。
>児童ポルノの定義については、アニメや音声を含めてより深く議論をしていく必要があるとした上で、
>現行法の処罰対象とはならないけれども社会通念上極めて卑猥な画像、また対象児童の低年齢化改善のため、
>定義の細分化、明確化を求める意見もありました。