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文章の善し悪しをジャッジする基準・後編2

 さて、辞書を利用した文章鍛錬法ですが、この技法は英米文学の作家(の一部)が行っているだけであり、日本はもちろんヨーロッパの作家の大多数ですら見たことも聞いたこともないはずです。前述のように、この練習法が広く知られるようになったのはヘミングウェイの知名度が上昇してからで、年代的には1920年代の後半以降ということになります。要するに、まだ百年も経ってないんですね。

 おまけに、日本人の大多数はヘミングウェイの原文を読む機会があまりない(というか、日本語じゃないと読まない人が多い。当たり前の話ですけど)ため、ヘミングウェイのフォロワーが雨後の竹の子のように登場するという事態も起こりませんでした。ただし、起こったとしても、そうした作家が主流になり得たかどうかは疑問です。

 その最大の理由は「辞書の不足」です。つまり、日本には小説執筆に対応した国語辞典がなかったんです。そもそも、日本最大の国語辞典である小学館の『日本国語大辞典』が最初に刊行されたのが1972年~1976年(遅っ!)。しかし、これはあまりにも膨大な語彙を収録している(これをやっただけでも、小学館には存在価値があると言われるぐらいもの凄い事績なんですよ)ため、とても若年層が買える代物じゃありません。現行の第二版の価格が220,500円ですから、大多数の作家志望はこの辞典を持ってないはずです。

 作家志望の若年者が買えそうな価格で、なおかつ小説執筆に対応した国語辞典はと言うと、実は新潮社の『新潮現代国語辞典』しかありません。この小辞典の出版が驚く無かれ1986年。たったの23年前なんですよ。これと、日本で唯一「使える」類語辞典である『角川類語新辞典』の出版は1981年。つまり、1980年代になるまで、小説執筆に便利な辞典というのは日本に存在してなかったんですね。しかも、『新潮現代国語辞典』は既に廃刊。つまり、この辞書は作家志望者の大多数に見向きもされませんでした。

 じゃあ、それまでの、そして今の日本の国語辞典のメジャーどころはどんなものだったかというと、実は小説以上にアナーキーな編集方針で作られていました……とくれば、もう辞書マニアならお分かりでしょう。要するに、私は三省堂が出版した『新明解国語辞典』(主幹・山田忠雄)と『三省堂国語辞典』(主幹・見坊豪紀)のことが言いたいんです。山田と見坊は辞書編纂者の二大スターとも言える存在で、戦後の国語辞典編纂に与えた影響は良くも悪くも大きなものでした。

 前者の『新明解国語辞典』は主幹の山田の独自解釈があまりにも面白いので、一時期ブームを巻き起こしました。詳しく知りたい方は、こちらのサイトをご覧下さい。この国語辞典は、恐らく日本で一番売れているはずなんですが、これだけ独自解釈が酷いと小説執筆には使えないんですよ。面白いけどな!

 一方の『三省堂国語辞典』も、現代語収集を人生の目的と定めた見坊の執念の結晶とも言える作品で、要するに現代語が多数収録されているために、過去の小説家の執筆事例を調査するのには向いていません。

 つまり、繰り返しになりますが、日本のメジャーな国語辞典というのは、小説以上にポストモダンだったために、そもそも小説家の方が辞典よりも保守的という、端から見るとアイタタな状況が続いていたわけです。余談になりますが、『新潮現代国語辞典』の主幹である山田俊雄は『新明解国語辞典』の主幹である山田忠雄の弟で、兄貴のやっていたことを、どんな気持ちで見ていたのかが辞典から分かって面白いです。ちゃんと兄貴が反面教師になってるんですよ。だから、この辞典は小説執筆に使えるというか、ほぼ特化した内容になっています。

 それはさておき、文章執筆の話に戻りましょう。作家に限らず、クリエーターの大多数は意外なほど保守的で、本人が思いこんでいるほど独創的な作品を作れるわけではありません。その原因は模倣を練習の主要な手段にしているからで、自分の好きな作家や人気作家の文体をまねて文章を書いている間に、その作家のものの見方やバイアスに「影響」を受けてしまうからです。そして、大多数の作家や編集者は「誰かのデッドコピー」として生涯を終えていきます。

 特に商業作品に関わる作家や編集者は売れてナンボの世界ですから、過去にヒットした作品の模倣に傾きがちです。それらの原因の大半は怠惰(真似だけしていて、上手くなるはず無いんですけどね)ですが、本人達はそれを読者のせいだと言い訳したり、あるいは本気でそう思っています。

 しかし、文章執筆が手書きの時代は、まだそれでも個性が生まれる余地がありました。使い勝手が悪いと言っても、辞書を引いて書かねばならない機会が多かったからです。ところが、デジタル化が進行するに連れて日本語入力ソフトの品質が向上していくと、タイプミスや誤変換による誤字はともかく、少なくとも書き間違えの類はほぼなくなり、結果として作家の辞典使用頻度が劇的に低下することとなりました。

 こうなると、作家や編集者がデータを取得する手段は、他人の作品、ネット上でのデータ、そして他人との会話に制限されてしまいます。これが文章上にどのような影響をもたらすのかというと、情景描写文の極端な減少でした。

 つまり、具象的な記述で構成されている「描写」は、真似をするとすぐに誰の引用かが分かってしまうために、模倣を練習手段にしていると、おいそれと手が出せないんですね。すると、練習をしないから描写文が上手くならないので、書く頻度も自動的に低下してしまう、という悪循環(なのかな?)が続きます。

 その結果として、描写文の抽象化と定型化が端的に進行しました。これも、いずれ数量化して調査する人が出てくると思うんですが、今の作家は昔の作家と比較すると情景描写やキャラクターの外見描写の類似性が高く、かつ抽象的要素を多く含んでいる(正確には、具体的な描写が減った分だけ抽象的な語彙の比率が高まった)はずです。

 私は最初の方で栗本薫をからかっていますが、今の新しい作家の大半は、こうしたミスを犯すことは、あまりありません。その理由は電気屋さんが言っているように、そもそも情景を具体的に細かく「書かない」からです。自分が苦手なことは、しなければばれないわけで、ある意味で合理的な選択ですが、当たり前の話ですが、みんながみんな苦手な分野が一緒だと、結果としてできあがってくるものは似たり寄ったりになっていきます。

 文章執筆のデジタル化→辞書の使用頻度低下→模倣による文章練習の横行→類似文章の増加という流れが最終的にもたらすのは文章や単語類の定型化です。これは、俳諧の世界では季語という形で定着しているものとほぼ同一で、辞書を手元に置いて小説を書かない限り、このような状況は必ず発生します。つまり、人間の脳が記憶できる単語の数に限界があるので、語彙数とその意味を限定しなければ、効率よく文章が執筆できないんですね。

 特に娯楽小説の場合、ターゲットとしている購買者層の設定から、この傾向が(いわゆる文学作品と比較して)進みやすい状況があります。これは、実際にプロとして小説を書いた人であればお分かりいただけると思いますが、いわゆるヤングアダルト系の小説=ライトノベルの場合は12歳程度、大人向けの娯楽小説でも15~16歳程度の言語知識を持つ男性(もしくは女性)を想定して、小説を執筆することを編集者から求められますし、私自身も編集者としてはそうした要求を作家にしています。

 そうなると、使用できる漢字の種類や言い回しに制限がかかりますから、執筆前から定型化が進行しやすい環境が整っているとも言えますし、むしろこの面では編集者が率先して定型化を進行させていると見るべきでしょう。

 では、どうして編集者がこのような手段を推奨しているのかというと……
(電気屋さんの茶々に乗っかって、完結編に続く)

16件のコメント

[C2168] H

厨房の頃、ウチの兄が広辞苑を頭から読もうとしていたのを思い出しました。
多分、北杜夫が学生時代にやっていたのをエッセイか何かで読んで影響を受けたのだと思いますが、なにぶん古い記憶なので違うかもしれません。
で、弟の私はその影響で何度か完読を試みましたが、分量に負け続けている間に電子辞書を活用するようになり、そんな試みもしなくなってしまいました。

ああ、情けない。
  • 2009-08-13
  • 投稿者 :  
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[C2169] ↑

ちなみに上は私です。

余談ですが、エロ仕事のテンションを保つためにアナルオナニーが適していることに最近気付きました。
時折頂いていた道具をありがたく活用しており感謝していますが、鳥山さんお勧めのお道具はやはり私には大きいですw
  • 2009-08-13
  • 投稿者 : H
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[C2174]

完結編……うわ 気になるっ

手書きは一応やってますが後でネットに清書するので、昔みたいに辞書片手に書かなくなりましたね……
  • 2009-08-14
  • 投稿者 : かがみん
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[C2175]

年齢縛りとか処女縛りとか色々重なると、キーボード叩き壊したくなるときありますね。

表現の幅で言うと、料理漫画とかよくもまぁあれだけの修辞を思いつけるもんだなと感心します。
一番お手軽に描写引っ張ってこれるのって、あの辺じゃないかな、と思います。
(「孤独のグルメ」はそれの真逆を行ってますが)
  • 2009-08-14
  • 投稿者 : 紅羽
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[C2177]

そういえば学生時代、日国の間違いを見つけるといくらかもらえると聞いて、何人かで探した覚えがあります。結局見つかりませんでしたけど。ていうか、そこまで根気が続きませんでしたよ。

>Hさん (;´Д`)藤田屋の大按摩器ですか?
  • 2009-08-14
  • 投稿者 : Anchang
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[C2178] ホントに完結編1やるんか…

 色んな辞書が身近なのってやっぱガッコ行ってる間だけだよなァ。パンピーが一万とかする辞書おいそれと買えんしー…。
 で、やつがれの学生時代は70年代までなのヨ。
 小学館の百科事典みたいな国語辞典はたしかに見覚えあるけど、オススメの二点はむろん見てるはずもなし。
 実はやつがれは正しいけれどツマらない文章増加の最大の戦犯は辞書よかIMEとかの類と思ってたりします。筆記用具に辞書ついてるんだもんナ。
 むかーし、たぶん栗本温帯あたりが単語検索にだけ特化した作家用IMEちょーホシスみたいなこと言ってましたっけ。

>>2176
 修辞の真骨頂は官能表現にあり、三大欲求でわかるようにもっとも心惹かれる官能表現とは食と性なワケです。
 そーそー、ワインなんかには定められた官能表現用語ってのがあって、それによってワインの評価の客観性を高めようと努力してます。コレはウイスキーなんかもあるし、たぶん香水なんかにもあるんじゃないかな?

  • 2009-08-14
  • 投稿者 : 電気屋
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[C2182] H

>Anchangさん

直径4cmの電動プラグとかガラスの責め具とか。
私にとっては大事な宝物ですw
  • 2009-08-15
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[C2185]

作家は脳内の物語を日本語に翻訳しているような印象をうけました。
ここら辺は英文を訳すときの感覚に近いのかも。
日本語なら全体のあらましが頭の中でわかりさえすれば感覚的に読み流せる。
しかし、訳して説明するとなるときっちりと意味を拾い上げないといけないのでかなりしんどい。
学術論文なんか考えなしに直訳しても意味が通らないですし。
とはいえ、学校では教科書をまねた訳文で合格点がもらえるので、全員が同じような定型文を延々と書くわけですが。
  • 2009-08-16
  • 投稿者 :
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[C2186]

えー、別エントリで奈須きのこ氏が話題になってますが、私は押し入れの奥に、
Fateの初回限定版が「シュリンクの封も切らずに、完全に新品のまま」
放置されているという、エロゲユーザーとしては全く駄目人間なので、どうにも批評できません。

尚、買ってしまいましたよ。角川の類語辞典を。
大不況のせいで懐が苦しいこの時期に、小銭かき集めるようにして買ってしまいましたとも。
少なくとも、エロゲをプレイするよりゃ役に立つだろうとは信じてます。
  • 2009-08-17
  • 投稿者 : Seven
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[C2187] Sevenさん

おお。
買ってしまいましたか。
それなら、
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0775.html
で、具体的な使用法を楽しんで下さい。

ちなみに、その本は買って絶対損をしないと断言できる一冊です。まず、序文を読んで気合いを入れて、後はバンバン捲るですよ。

小学生の頃の私は、そうやって語彙数を増やしてました。あれは楽しかったなぁ。
  • 2009-08-17
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C2188] Hさん

広辞苑の通読は、多分読者には有用だと思います。ただ、文章を書くのであれば類語辞典と逆引き辞典を読まねばなりません。どちらも、浜西正人さんが関わっている本が最高です。

アナルオナニーは、僕は痔なので無理です。お付き合いできなくて申し訳なし。
  • 2009-08-17
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C2189] かがみんさん

文章執筆の過程で、辞書を片手に書かなくなった段階で、割と致命的だったりします。定型文を書く比率が高まりますからね。もちろん、娯楽小説ならそれもアリなんでしょうけど。
  • 2009-08-17
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C2190] 紅羽さん

年齢縛りと処女縛りが被った段階で、私ならキーボードじゃなくてディレクターを叩きに行きますね。それぐらい無理な注文ですよ。

孤独のグルメは……谷口ジローに描かせた段階で「勝ち」でしょ? あれはずるい。ずるすぎる。
  • 2009-08-17
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C2191] Anchangさん

今や日国.NETとという狂気の沙汰になってます。
http://www.nikkoku.net/
普通の人じゃ、あそこに参加するのはまず無理ですね。あれは凄い。とてもじゃないですが近寄れません。
  • 2009-08-17
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C2193] 樋口先生、さよーなら。

 うっわ、こらたしかにしごいや、脱帽。これほどのツールならたしかに表現変わるヨ。
 類語辞典がそんなにしごいとゆー気がしなかった理由の一つに、類語をうまく活用するには意味のマトリクスを構築せにゃならなくて、それは立体的なもんになってくから紙の束でしかない辞典で立体的に単語群を展開するのが一体全体できるんかいな?て思ってたのもあるんだヨ。
 もし意味のマトリクスを展開してくれるデジタルツールってんならそら世界変わるべなァと思えたんだけどネ。
 でも、そこをセンスとアイデアで解決してアナログツールでマトリクス作り上げるってあーた、たしかにこら天才の技だ。
 これなら五千円は高くない、つかめっさ安い。しかしながら斜陽の個人事業者に取っちゃそれなりの出費だ。でも欲しい。うーん、こら買っちゃうな…。

>>2182
 前に海外のアダルトグッズショップで異様にクールなディルドやアナルプラグ見たことがあるヨ。
 クロームに輝くメタリックなブツで、生々しさがカケラもないんだな。空山基っぽい感じって言ったら伝わるだろか?

 自分がやった文章修行としては、丸写しを文庫三冊くらいやったな。たしか千草、綺羅、香山、だったと思う。あとは文章スケッチだな。目の前にいる人物をとにかく描写する。書くものがあればナイスだが、なくても脳内で言葉の取捨選択してるだけでも訓練になる気がする。コレは単純に楽しいので今でも折に触れやってます。
 これだとパターン化しやすいのは承知の上で、むしろパターンを作っていこうと思ってたな。ま、今の書き込みのスタイル見ればおわかりでしょーが。
  • 2009-08-17
  • 投稿者 : 電気屋
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[C2195] H

>電気屋さん
>空山基っぽい感じって言ったら伝わるだろか?

はい、伝わります。
海外製品のカタログはちょくちょく見ているんで仰ることはわかります。
鳥山さんにもろったガラス製プラグも実に綺麗な代物で、場所さえあれば部屋に飾りたい感じの代物です。

  • 2009-08-17
  • 投稿者 :
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Author:toriyamazine
東京都出身。
高校在学中にライターとしてデビュー。
以降は編集者・ライター・ゲームディレクター・実写アダルトDVDの監督、そして作家を兼任。
仕事はSMポルノ関係全般で、小説、ゲーム、実写etc、アニメーションを除くすべてのポルノ作品を平行して制作。年間発表数は約6作品前後がコンスタント。
一般作に関しては、別名義、もしくはアンカーマンとしてのみ参加中。

追記・最近になってメールで連絡が取れないという非難が多く聞かれるようになったので、仕事用のアドレスを公開しておきます。
jjnewzine★gmail.com
です。★マークを@に変えて使ってね。

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