王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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ここ数日は仕事→会食の連続で、文字通り食傷気味。なるべく昼食を抜いて対応しているのだが、元来が小食なので辛いったらありゃしない。その間に、新規ムックのレイアウトを決定。先輩編集者のアドバイスで、グラフィックデザイナーの杉浦康平風にする。
『噂の眞相』や『講談社現代新書』の表紙デザインで有名な杉浦氏のデザインをベースにするのは古いエロ本編集者の常套手段。しかし、その背景には知的コンプレックスがあるのだそうだ。
つまり、60年代安保のドロップアウト組がエロ本屋として働きだした時に、「こうなりたい」と彼らが思っていた対象が工作舎だったらしいのだ。工作舎が杉浦氏をデザイナーに迎えて発刊していた雑誌が『遊』で、これを読んだ学生運動崩れが「俺だって……」と思ったというのは、いかにもありそうな話ではある。だが、だとしたら、むしろ羨望の眼差しは一世代上の杉浦氏よりも、同年代の松岡正剛に向いていたんじゃないかと想像するのだが、この辺の事情はよく分からない。
よく分からない理由もハッキリしていて、もはやエロ本編集者の大半が工作舎の存在すら知らないからだ。サブカル系以前のディレッタンティズムにある種の思い入れのある一部のエロ本編集者が、かろうじて何冊か本を読んだことがある程度じゃないだろうか? そして、私も含めてエロ本編集者の大半が工作舎にジェラシーを感じなくなったのは、印刷技法が活版からオフセットに移行したことと、DVDが普及したせいだ。
レイアウトの参考資料として収集した杉浦康平のブックデザインを見る限り、確かに活版時代のものは他のデザイナーを寄せ付けない緻密さがある。寿司屋じゃないけど「一手間かけてます」というのが素人でも分かるというのは凄いことだ。だが、オフセット印刷で4色製版がメインになると、この「一手間」の凄さは分かりにくくなる。カラー写真が白黒写真を圧倒してしまったように、カラー図版の氾濫が杉浦デザインを埋没させてしまったのだ。
これに加えてDVDである。まだ、ビデオテープが映像の主要な保管手段だった80年代から90年代までは、映像を書籍に同梱するのは難儀な作業だった。ビデオテープは書籍に挟むには大きすぎたからだ。しかし、DVDであればページの間に挟めるのでそれほど難しくはない。こうして、エロ本が活版白黒の世界からオフセットカラーの世界へ、オフセットカラーの世界からDVD映像付きにと変化を遂げるウチに、これに対応する編集者に要求されるスキルも変わっていった。
つまり、今のエロ本制作において、ビデオメーカーから映像を借りないという前提でムックを制作しようと思ったら、内製で、
1)ビデオの撮影
2)ビデオの編集
3)写真の撮影
4)誌面レイアウト&編集
5)文章の執筆
がこなせなければならない。しかも、これらの素材に相関関係がなければ読者は納得しないから、トータルコーディネイトも平行して行わねばならない。すると、特定のジャンルに対して劣等感を抱き続けるのは無理というか、ネガティブな気持ちで作業に取り組んでいたら、あっという間に売り上げが低下する。
劣等感をバネにして作品を創るというのも創作の常套手段の1つだけど、これは限定されたジャンルで効果を発揮する方法でしかない。複数のジャンルを横断している状況下で同じ方法を採ったら即死である。何故なら、全てのジャンルに劣等感を抱けるほど、人は多趣味ではないからだ。すると、Aというジャンルには興味があり、劣等感も抱いているから、これを見返してやろうと思って一生懸命作業をするけれど、Bというジャンルには興味がないから劣等感もなく仕事も適当……というのが繰り返されて、作品全体のクオリティが低下してしまう。
ところが、同じエロ本屋でも、未だにDVDがつかず誌面も白黒メインとなると、古い時代の手法が通じるので、相変わらず劣等感が重要な動機となりうる。その為、日本のポルノ製作の内部では二極分化が進んでおり、白黒ページの多い=単価の安いコンビニ誌やエロマンガ誌の制作者の一部では、相変わらずブンガクとかシソウ(主に左寄りね)とかが珍重される一方で、フルカラーでDVD付きの単価の高いエロ本の制作者は「ブンガク? それでオナニーできるの? できないなら載せない」程度の認識になる。
ところが、実作業となると単価の高いエロ本では杉浦康平風になり、単価の安いエロ本では東スポを初めとするタブロイド誌よろしく、文字のジャンプ率が甚だ大きな誌面構成になるのだから、ねじれ現象もここに極まれりとしか言いようが無く、双方の誌面を比較検討していても苦笑いしか浮かばない。
そう言う次第で、私には知的であることに優越感を感じる人間の気持ちは理解不能である。単価の安い本は大量に売りさばかなきゃ元が取れないんだよ。その意味が分かってるのかな? 大衆啓蒙? 悪い冗談は止めようよ。
『噂の眞相』や『講談社現代新書』の表紙デザインで有名な杉浦氏のデザインをベースにするのは古いエロ本編集者の常套手段。しかし、その背景には知的コンプレックスがあるのだそうだ。
つまり、60年代安保のドロップアウト組がエロ本屋として働きだした時に、「こうなりたい」と彼らが思っていた対象が工作舎だったらしいのだ。工作舎が杉浦氏をデザイナーに迎えて発刊していた雑誌が『遊』で、これを読んだ学生運動崩れが「俺だって……」と思ったというのは、いかにもありそうな話ではある。だが、だとしたら、むしろ羨望の眼差しは一世代上の杉浦氏よりも、同年代の松岡正剛に向いていたんじゃないかと想像するのだが、この辺の事情はよく分からない。
よく分からない理由もハッキリしていて、もはやエロ本編集者の大半が工作舎の存在すら知らないからだ。サブカル系以前のディレッタンティズムにある種の思い入れのある一部のエロ本編集者が、かろうじて何冊か本を読んだことがある程度じゃないだろうか? そして、私も含めてエロ本編集者の大半が工作舎にジェラシーを感じなくなったのは、印刷技法が活版からオフセットに移行したことと、DVDが普及したせいだ。
レイアウトの参考資料として収集した杉浦康平のブックデザインを見る限り、確かに活版時代のものは他のデザイナーを寄せ付けない緻密さがある。寿司屋じゃないけど「一手間かけてます」というのが素人でも分かるというのは凄いことだ。だが、オフセット印刷で4色製版がメインになると、この「一手間」の凄さは分かりにくくなる。カラー写真が白黒写真を圧倒してしまったように、カラー図版の氾濫が杉浦デザインを埋没させてしまったのだ。
これに加えてDVDである。まだ、ビデオテープが映像の主要な保管手段だった80年代から90年代までは、映像を書籍に同梱するのは難儀な作業だった。ビデオテープは書籍に挟むには大きすぎたからだ。しかし、DVDであればページの間に挟めるのでそれほど難しくはない。こうして、エロ本が活版白黒の世界からオフセットカラーの世界へ、オフセットカラーの世界からDVD映像付きにと変化を遂げるウチに、これに対応する編集者に要求されるスキルも変わっていった。
つまり、今のエロ本制作において、ビデオメーカーから映像を借りないという前提でムックを制作しようと思ったら、内製で、
1)ビデオの撮影
2)ビデオの編集
3)写真の撮影
4)誌面レイアウト&編集
5)文章の執筆
がこなせなければならない。しかも、これらの素材に相関関係がなければ読者は納得しないから、トータルコーディネイトも平行して行わねばならない。すると、特定のジャンルに対して劣等感を抱き続けるのは無理というか、ネガティブな気持ちで作業に取り組んでいたら、あっという間に売り上げが低下する。
劣等感をバネにして作品を創るというのも創作の常套手段の1つだけど、これは限定されたジャンルで効果を発揮する方法でしかない。複数のジャンルを横断している状況下で同じ方法を採ったら即死である。何故なら、全てのジャンルに劣等感を抱けるほど、人は多趣味ではないからだ。すると、Aというジャンルには興味があり、劣等感も抱いているから、これを見返してやろうと思って一生懸命作業をするけれど、Bというジャンルには興味がないから劣等感もなく仕事も適当……というのが繰り返されて、作品全体のクオリティが低下してしまう。
ところが、同じエロ本屋でも、未だにDVDがつかず誌面も白黒メインとなると、古い時代の手法が通じるので、相変わらず劣等感が重要な動機となりうる。その為、日本のポルノ製作の内部では二極分化が進んでおり、白黒ページの多い=単価の安いコンビニ誌やエロマンガ誌の制作者の一部では、相変わらずブンガクとかシソウ(主に左寄りね)とかが珍重される一方で、フルカラーでDVD付きの単価の高いエロ本の制作者は「ブンガク? それでオナニーできるの? できないなら載せない」程度の認識になる。
ところが、実作業となると単価の高いエロ本では杉浦康平風になり、単価の安いエロ本では東スポを初めとするタブロイド誌よろしく、文字のジャンプ率が甚だ大きな誌面構成になるのだから、ねじれ現象もここに極まれりとしか言いようが無く、双方の誌面を比較検討していても苦笑いしか浮かばない。
そう言う次第で、私には知的であることに優越感を感じる人間の気持ちは理解不能である。単価の安い本は大量に売りさばかなきゃ元が取れないんだよ。その意味が分かってるのかな? 大衆啓蒙? 悪い冗談は止めようよ。
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