王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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烏蛇氏とseven氏にコメントで化粧と社会主義の関係性について訊かれたので、日本における化粧史について軽く書きます。
まず、文明開化前にあたる江戸期の日本は世界有数の化粧大国でした。封建制度があったにもかかわらず、女性の大半が化粧をしており、そのイメージリーダーは役者や花魁など『玄人筋』の人達でした。つまり、花魁という身分の低い女性の化粧法を武士階級に属する身分の高い女性が真似するという転倒現象が既に発生していました。これが許されていたのは、江戸期の日本が儒教を事実上の国学として厚遇していたためです。儒教には女性の四徳の一つとして婦容という概念があり、これは「容姿を整えること」を意味していましたから、むしろ化粧をしない女性は社会通念から外れた存在でした。
ただし、当時の女性の化粧法は、おしろいを塗り、眉毛を剃り、歯を黒く塗るというもので、現代の美的感覚からはかけ離れたものでした。同時に、この化粧法は当時の西洋人の美的感覚からもかけ離れたものでした。キリスト教的倫理観の強い西洋では、人間は神に似せて創られた存在とされていたために、みだりに外見を変化させることは原則として禁止されていました。アメリカやヨーロッパで大っぴらに化粧をしていたのは、日本と同じく役者や娼婦だったのですが、彼女たちの真似をすることは、どの階級の女性にも許されていませんでした。
そこで、幕末になり、ヨーロッパやアメリカから使節が訪れるようになると、彼らは日本の女性を見て「キモい、キモい」と連呼するようになりました。既に近代国家としてテイクオフを始めていた欧米諸国との関係を考慮した日本政府は、江戸幕府が滅亡し、明治政府に変わってから早々に、皇族と華族に対して剃り眉・お歯黒の禁止令を出しています(明治3年)。これは、海外からの使節を接待する際に洋装する必要のあった上流階級の婦女子に向けた措置でしたが、洋装などする必要の無かった一般市民は相変わらず江戸時代の化粧法を継続していました。
数少ない例外はミッションスクールの女学生で、キリスト教的倫理観に従ってノーメイクが基本だったようです。しかし、これは現代にたとえるとオウム真理教に入信した女性のようなもの(オウム真理教の女性信徒はノーメイクを強要されていたので、初期のミッションスクールの女学生とかなり近い容姿をしている)で、周囲からは「キモい」と批判されていました。というのも、それ以外の女学校では化粧が江戸期よりも重要な技術の1つになりつつあったからです。
その理由は2つあり、1つは女学生の教育の重要科目に礼法があり、この礼法の原型が江戸期の武士階級が学ぶべきとされた、小笠原流礼法だったからです。余談になりますが、小笠原流は弓術として有名な小笠原流と同根で、今でも小笠原の流れを引く弓道を学ぶと一緒に教えてもらるはずです。で、この小笠原流礼法には礼儀としての身だしなみが含まれているので、当然、化粧は女性が習得すべき技術の1つとして考えられていました。
もう1つの理由は結婚です。明治以降は一部の例外を除いて四民平等とされたため、女性にとってより条件の良い結婚をするために必要なのが、身分から容姿へと転換してしまったのです。明治期の女性は働き口が限定されていたこともあって、女性は結婚して家庭に収まるのが当然とされました。また、当時は富国強兵を国策としていたこともあり、結婚した女性に望まれていたのはできるだけ子供を産むことでした。そのためには、出産可能な年齢になったら、さっさと結婚してしまう事が重要になります。そして、結婚相手を探す方法は見合いが通例で、女学校には有力な一族の関係者が、子弟の結婚相手を探しに授業参観に来ることもありました。
こうなると、女性は幼少期から化粧をして、見栄えを良くすることによっていい嫁ぎ先を見つけることが一大関心事になるのは必然で、上流階級の女児は小学生時代からバリバリに化粧をして、女学校に在籍中に見合いで結婚して退学というのが理想のコースとなりました。このため、就学中に結婚できず、無事に卒業してしまった女性は容姿が醜いとされ、ブスの隠語として『卒業面』という言葉が生まれました。ということは、学校を卒業して教師になるような女性は、もうブスの中のブスということになります。
また、化粧の主要な目的が結婚になったため、結婚後の女性は逆にあまりお化粧をしてはいけないという風潮が広まり出し始めました。つまり、結婚、出産後もバリバリに化粧をしていると、「あいつはまだ結婚したいのか」と陰口をたたかれるようになったわけです。そのため、30代の既婚女性が化粧をしたくても、派手にできないから残念、というような悩みを抱えるようになりました。
(続く)
まず、文明開化前にあたる江戸期の日本は世界有数の化粧大国でした。封建制度があったにもかかわらず、女性の大半が化粧をしており、そのイメージリーダーは役者や花魁など『玄人筋』の人達でした。つまり、花魁という身分の低い女性の化粧法を武士階級に属する身分の高い女性が真似するという転倒現象が既に発生していました。これが許されていたのは、江戸期の日本が儒教を事実上の国学として厚遇していたためです。儒教には女性の四徳の一つとして婦容という概念があり、これは「容姿を整えること」を意味していましたから、むしろ化粧をしない女性は社会通念から外れた存在でした。
ただし、当時の女性の化粧法は、おしろいを塗り、眉毛を剃り、歯を黒く塗るというもので、現代の美的感覚からはかけ離れたものでした。同時に、この化粧法は当時の西洋人の美的感覚からもかけ離れたものでした。キリスト教的倫理観の強い西洋では、人間は神に似せて創られた存在とされていたために、みだりに外見を変化させることは原則として禁止されていました。アメリカやヨーロッパで大っぴらに化粧をしていたのは、日本と同じく役者や娼婦だったのですが、彼女たちの真似をすることは、どの階級の女性にも許されていませんでした。
そこで、幕末になり、ヨーロッパやアメリカから使節が訪れるようになると、彼らは日本の女性を見て「キモい、キモい」と連呼するようになりました。既に近代国家としてテイクオフを始めていた欧米諸国との関係を考慮した日本政府は、江戸幕府が滅亡し、明治政府に変わってから早々に、皇族と華族に対して剃り眉・お歯黒の禁止令を出しています(明治3年)。これは、海外からの使節を接待する際に洋装する必要のあった上流階級の婦女子に向けた措置でしたが、洋装などする必要の無かった一般市民は相変わらず江戸時代の化粧法を継続していました。
数少ない例外はミッションスクールの女学生で、キリスト教的倫理観に従ってノーメイクが基本だったようです。しかし、これは現代にたとえるとオウム真理教に入信した女性のようなもの(オウム真理教の女性信徒はノーメイクを強要されていたので、初期のミッションスクールの女学生とかなり近い容姿をしている)で、周囲からは「キモい」と批判されていました。というのも、それ以外の女学校では化粧が江戸期よりも重要な技術の1つになりつつあったからです。
その理由は2つあり、1つは女学生の教育の重要科目に礼法があり、この礼法の原型が江戸期の武士階級が学ぶべきとされた、小笠原流礼法だったからです。余談になりますが、小笠原流は弓術として有名な小笠原流と同根で、今でも小笠原の流れを引く弓道を学ぶと一緒に教えてもらるはずです。で、この小笠原流礼法には礼儀としての身だしなみが含まれているので、当然、化粧は女性が習得すべき技術の1つとして考えられていました。
もう1つの理由は結婚です。明治以降は一部の例外を除いて四民平等とされたため、女性にとってより条件の良い結婚をするために必要なのが、身分から容姿へと転換してしまったのです。明治期の女性は働き口が限定されていたこともあって、女性は結婚して家庭に収まるのが当然とされました。また、当時は富国強兵を国策としていたこともあり、結婚した女性に望まれていたのはできるだけ子供を産むことでした。そのためには、出産可能な年齢になったら、さっさと結婚してしまう事が重要になります。そして、結婚相手を探す方法は見合いが通例で、女学校には有力な一族の関係者が、子弟の結婚相手を探しに授業参観に来ることもありました。
こうなると、女性は幼少期から化粧をして、見栄えを良くすることによっていい嫁ぎ先を見つけることが一大関心事になるのは必然で、上流階級の女児は小学生時代からバリバリに化粧をして、女学校に在籍中に見合いで結婚して退学というのが理想のコースとなりました。このため、就学中に結婚できず、無事に卒業してしまった女性は容姿が醜いとされ、ブスの隠語として『卒業面』という言葉が生まれました。ということは、学校を卒業して教師になるような女性は、もうブスの中のブスということになります。
また、化粧の主要な目的が結婚になったため、結婚後の女性は逆にあまりお化粧をしてはいけないという風潮が広まり出し始めました。つまり、結婚、出産後もバリバリに化粧をしていると、「あいつはまだ結婚したいのか」と陰口をたたかれるようになったわけです。そのため、30代の既婚女性が化粧をしたくても、派手にできないから残念、というような悩みを抱えるようになりました。
(続く)
2件のコメント
[C145]
Anchangさん
ねーたーをーさーきーにーいーうーなー。
まあ、もう分かってるでしょうけど、明治中期以降は、本来成人の証である化粧を、成人がやらなくなってしまうという価値転倒現象が起きてるんですね。
ねーたーをーさーきーにーいーうーなー。
まあ、もう分かってるでしょうけど、明治中期以降は、本来成人の証である化粧を、成人がやらなくなってしまうという価値転倒現象が起きてるんですね。
- 2008-01-22
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