王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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児童ポルノQ&A(1)
ようやく仕事に復帰。ここ通算で4~5日間ほど、表現規制関連の情報収集や整理、マスコミや行政の対応に追われて仕事をしていない。仕事どころか、このブログのコメントすら放置(すいません)。普通のクリエーターだったら、とうの昔に潰れていてもおかしくない状況だ。私の場合は、仕事の金銭面よりも裁量権を優先した契約に切り替えているから、いざとなったら本の発売日そのものをずらすという荒技を使って対処をしているだけで、普通の作家やライター、漫画家にはこれは無理というか、やったら確実に作家生命が縮む。
表現規制全般の問題に関わっていると、常にある問題に直面せざるを得ない。それは金だ。反対運動に関与している時間と労力は、自由業である私にとってすべて持ち出し、すなわち金銭的な損失に他ならない。表現規制反対運動のために電話している時間に原稿を書けば、それだけ収入は増えるし、そもそも電話を使った分だけ金がかかる。
しかも、編集者は政治活動に関与していたという点を考慮して原稿料を上げてくれはしない。政治活動に関与していたという理由で締め切りを遅らせてもくれない。仕事なんだから当たり前の話だ。でも、この当たり前のことを理解できない作家や漫画家が、4~5年前までは結構いて、ほとんどはクリエーターとしては大成しなかった。彼らの一部は、政治活動に参加することで認知度が上昇し、周囲から上位承認を得られるかもしれないと誤解していたのだ。こんなことをやっても、せいぜい嫌われるのが関の山なのにね。
まあ、とりあえず私の方は今の仕事状況を維持しているうちは最後まで付き合うつもりだけど、クリエーターとしても優秀、政治活動でも凄腕、なんて人間は世界的に見ても例外的な存在(ヴァーツラフ・ハヴェルが、かろうじてこの例外に属する可能性があるが、彼も政治活動家としての側面なしに作品を評価することは不可能だろう)で、残念ながら私はその例外には含まれないので悪しからず。
で、何で私がこんなことを言っているのかと言えば、やっぱりブログのコメントを放置しているのが気になるわけですよ。このサイトは基本的に私の備忘録が主で、閲覧している人間も基本はオフラインの知り合い。そこに少数ながらオンラインのみの知り合いも加わって、1日のユニークアクセス数は100人前後というのが平均ペース。これがマックスで1日5000人オーバーになった段階で、もうコントロールは不可能なわけです。
幸い、皆さんも落ち着きを取り戻しつつあって、ここへのアクセスも急激に低下しているから、後1週間もあれば平常のアクセス数に戻るだろうけど、そうなると放置し続けたコメントが気になって仕方がないんだけど、状況の推移が早すぎて、もはや個々にレスを返す気力も起きないというのが偽らざる気持ち。
で、色々とリカバリーの方法を考えたんですけど、時間がないという事実はどうしようもないので、2005年に書いた児童ポルノ法に関する文章をリファインしたものを、ここで再掲載することで、レスの代わりとさせていただきます。
今から約3年前に書かれたモノですが、私の思考ベースはほとんど変化していませんので、「仁のヤツはこんな感じで考えている」と受け取ってください。本来であれば、こういう機会に議論をすべきなんでしょうけど、今は仕事を優先したいので勘弁して下さいってことで。
児童ポルノQ&A(1)
Q:児童ポルノとは、いったいどんなものを指し示しているのですか? あやふやな感じがするのですが。
A:児童ポルノが論議の対象になると、どこでも大まかに
(1)どこまでがわいせつなのか?
(2)どこまでが児童として扱われるのか?
(3)過去の作品でも、児童の裸体が掲載されていたり、あるいは児童との性行為について言及されていれば児童ポルノとして認定されるのか?
の3つが論争の焦点となるようです。まず、(1)に関してですが、仮にポルノがイコールでわいせつ物で、それが性的な興奮を喚起させる作品を意味するのであれば、大部分の日本人にとって、児童ポルノはポルノではなくなります。つまり、普通の成人男性は児童の性行為を観ても、「気持ち悪い」とか「むごたらしい」としか思いません。
小説や絵画などのジャンルと同様に、実はポルノグラフィという単語や作品群には歴史的意味があり、研究者によって多少の誤差はあるものの、「いくつかの共通した特徴を備えている」という点においては見解が一致しています。そして、わいせつ性というのはそれらの特徴の1つに過ぎません。
Q:ポルノの特徴とはどんなものですか?
A:まず、ポルノグラフィでマスターベーションをするためには、私的な時間と空間が必要となります。露出症などの特異な性癖でない限り、マスターベーションは自分以外の誰も存在しない場所で行われるのが通例だからです。そのためには、社会が私的な時間や空間を持つことを保証している必要があります。すなわち、個人主義です。
ポルノは「社会は個人という最小単位で成り立っている」という前提で構成された、『個人主義社会』でしか発展しません。たとえば、私有財産を制限し、個人主義を否定する傾向の強い『共産主義』社会や『社会主義』社会の中では、ポルノグラフィがジャンルとして成立する可能性はありません。また、社会を構成する最低単位を家族であると考える『家族主義』社会の中でも、ポルノグラフィがジャンルとして成立する可能性はありません。さらに、個人の私的な空間や時間を社会が保証するということは、社会が個人に私有財産権を保証することとほぼ同義です。従って、個人主義社会と資本主義社会はニアイコールの存在ということになります。
次に、ポルノにおける性行為描写は、可能な限りリアルであることが望ましいと考えられています。だから、明らかに医学的・科学的な常識から大きく外れた性行為描写のある作品を、ポルノグラフィとして認定することはできません。たとえば、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるという描写や、男性器をオットセイの形に模したマンガなどは、たとえ性を主要なテーマとして扱っていた作品だったとしても、ポルノとは認定しかねます。
また、これと同時に、ポルノにおける性行為描写が科学的・医学的根拠に基づく以上、そこには科学主義や自然主義、そして唯物論的な概念が隠れていることを意味します。そして、これらの思想は宗教を否定している(もしくは克服を目指している)という点で一致しているために、ポルノグラフィには必然的に反宗教的な要素が含まれます。
最後に、ポルノが社会に1つのジャンルとして認知されるためには、製造方法が大量生産に適したものでなくてはなりません。そこで、何らかの手段によって大量生産された、あるいは複製が容易である手法によって制作されねば、ポルノグラフィとして認知することは難しい、ということになります。この点に関してはいまだに諸説があるので断定は出来ないのですが、一四五五年前後にドイツのヨハン・グーテンベルグが開発した、活版印刷術がヨーロッパに普及するまで、ポルノは世界史に登場しなかったと考えるのが通例です。
以上の理由から、活版印刷術の発展がある前に児童との性行為を扱った作品を、ポルノグラフィとして認知することは困難です。児童ポルノの議論が活発になると、必ず「聖書や源氏物語は児童との婚姻が描かれているのだから、児童ポルノとして認定すべきである」といった発言が児童ポルノ擁護派からなされますが、とても妥当な内容であるとは思えません。
Q:マスターベーションをする場所を確保する目的から、ポルノが個人主義という概念なしでは成立しないことは分かりました。しかし、大量生産が条件に含まれている理由が解りません。1つしかない作品でも何万部も売れている作品でも、ポルノはポルノでしかないと思うのですが。
A:ポルノグラフィという概念は、制作者によって作られたのではありません。むしろ、これを取り締まる検閲官や警察組織、そして法学者らによって形成されていきました。アメリカの著名な歴史学者であるリン・ハントの説によると、ポルノグラフィという単語が近・現代的な意味で最初に使われたのは、一八〇六年にパリで出版された『焚書、発禁、検閲処分を受けた主要書物の批判的、文学的、書誌学的辞典』だそうです。この本の著書は、エティエンヌ=ガブリエル・ペニョーという人物で、法律の知識があり、司書や学校の視察官を勤めていました。
焚書や発禁は、その時代の権力者や官僚が、世に広まることを恐れる、または不適当であると考えた作品に対して行なわれます。つまり、人口に膾炙するおそれのある作品が焚書や発禁の対象となるのであって、そのためには、対象となる作品が大量に生産される可能性がなければ不可能ということになります。極言してしまえば、ポルノ規制問題はイコールで模倣物・大量生産物規制問題ということです。このことは、児童ポルノに限らず、あらゆるポルノ問題で繰り返し登場する概念なので、忘れないようにしてください。
また、ポルノグラフィという単語が一八〇六年のフランスで最初に使われたと言うことは、当時のフランスでは既にポルノグラフィが広範囲にわたって流通していたことを意味しています。
Q:一八〇六年のフランスといえば、ナポレオン一世の治世下だったはずですね。他のヨーロッパ諸国では、ポルノグラフィは盛んに流通していたのですか?
A:当時のポルノグラフィの生産量を調査した研究によると、フランス革命を経験したばかりのフランスと、それ以前にイギリス革命を経験したイングランドの2国が、ポルノ生産大国として挙げられています。
その反対に、農奴制が維持されていたロシアや、家族主義が重視されていたオランダでは、印刷物を大量に生産する技術があったにも関わらず、ポルノグラフィがほとんど作られていません。この一事をもってしても、ポルノが個人主義的な社会制度なしでは成立しないことが理解できます。つまり、左翼思想家の一部、特に左翼系のフェミニストが「ポルノは商業的・性的搾取である」と語っていることは、歴史的事実に照らし合わせると嘘だということです。
Q:性的搾取とは、一体どのような状況を指すのでしょうか?
A:マルクス系左派の学説によれば、搾取とは「階級社会において、生産手段の所有者が生産手段をもたない直接生産者から、その労働の成果を無償で取得すること」で、性的搾取とは左派系のフェミニストが、この概念を男女の関係に援用したものです。従って、性的搾取とは社会的に強い立場にある男性が、弱い立場にある女性に対して、性的な価値を奪い取る行為、ということになるのですが、こうした概念が単なる妄想でしかないことは、先ほどの説明で明らかでしょう。
農奴制を維持する社会や、父親を中心とした家族制度を重視する社会の方が、女性に対してより差別的であることは、改めて説明する必要性すらありません。もしも、ポルノが性的搾取の結果であるとするのであれば、啓蒙主義に則って革命を起こしたイギリスやフランスよりも、オランダやロシアでポルノが大量生産されていなければなりません。このため、後述しますがフェミニストのポルノ批判やポルノ論には一貫性がなく、しかも破綻しているケースが散見されます。
しかし、これが子ども相手の場合は話が異なってきます。
Q:子どもが相手だと話が違ってくるとは、一体どういうことなのですか?
A:どんなに発達した『個人主義社会』でも、子どもの諸々の権利は育成保護という観点から制限されているために、性的搾取という概念が成立しうる可能性があるのです。多くの国家、特に先進国と呼ばれる比較的豊かな国では、子どもが一人前の大人になるまで保護をするという目的で、いくつかの法的制限が課せられています。具体的には、
(1)財産権の制限
(2)職業選択の自由の制限
(3)選挙権の制限
(4)性交の制限
などが挙げられます。そして、それぞれの制限には個別の法解釈があるのですが、ポルノや売買春という観点からすると、(1)と(2)が重要です。まず、財産権が制限されている以上、子どもがポルノを所有できるかどうかは、親権者の判断にゆだねられます。つまり、子どもがポルノを所持することは常識的に考えて許されません。
次に、職業選択の自由についての制限があるために、子どもは風俗産業等を含む接客業全般で働くことに制限が課せられています。従って、財産権と職業選択の自由が認められない限り、肉体的に性行為が可能であるかないかに関わらず、子どもはポルノを所持することもできなければ、ポルノに出演することも出来ません。これが、Q1の(2)で提示された「どこまでが児童として扱われるのか?」という問いに対する答えとなります。
しばしば、児童ポルノ擁護派からなされる発言に、「初潮を迎えた少女は性交・出産が可能なのだから、成人と同等に扱うべきである」というものがありますが、少なくともポルノの所持やポルノへの出演が不可能であることは、上記の説明で十分でしょう。ただし、話を性交だけに絞るのであれば、そもそも子どもにも性欲はあり、これが性行為や性行動に発展するのは、生物としてごく自然な成り行きです。実際に、男女を問わず、ほとんどの人間が未成年期にマスターベーションをした経験があるはずです。また、近年の研究によって、幼少期に鬱病や統合失調症などの精神病にかかると、性欲が消失する(男児の場合はEDになる)場合があることが分かってきました。つまり、幼少期に性欲がない方が異常だし、そうした児童は精神病にかかっているおそれがあるので病院で検査を受けた方が良いのです。
ところが、アメリカのリベラル系フェミニストであるジュディス・レヴァインの調査によると、アメリカにおいて児童ポルノの規制を推進していたコアなグループのメンバーは、児童に性欲があるという生物としてごく当たり前の現象を認めていませんでした。私の調査でも、日本の児童ポルノの規制を推進するグループのメンバーには同様の傾向が見られます。児童ポルノの規制問題を考える際に、まずはこの異常性に着目すべきでしょう。
Q:児童に法的制限が課せられているのは理解できました。しかし、子どもにも性欲があるのであれば、ポルノに出演するのは無理だとしても、性行為は許されるのではないでしょうか?
A:性交は可能な場合もありますが、女性の場合は妊娠・出産のリスクを考えねばなりません。つまり、女性の肉体というのは妊娠ができるようになっても、正常な出産ができるとは限りません。第二次性徴期はおおよそ9歳から始まり、18歳前後で終了します。つまり、この時期に妊娠すると言うことは、成長しながら妊娠すると言うことです。その結果、若年者の妊娠は早産や低体重の確率が高いという医学的なデータがあり、これは出産のリスクが高いのと同義です。
これに対して、男性は射精できるようになれば肉体的には妊娠しない分だけ性交のリスクは低いのですが、どういうわけか現代の日本では初めて性行為を体験した年齢は平均的に女児の方が低いという傾向があるようです。その理由に関しては、ポルノの定義説明からは少し逸脱するので割愛させて下さい。
また、児童の性行為は、性病に関する無知や、相手の大人の性癖が危険な場合が多いことで、リスクが高まる傾向があります。具体的には、ある事情から特定のタイプの男性が少女と性交をしたがる場合は危険を伴う可能性が高いのです。これは、私が日本におけるセックスワーカー(風俗嬢)の調査をした時に浮かび上がった事実ですが、低年齢(18歳や19歳)の風俗嬢を希望する男性に暴力的傾向があり、なおかつ他の問題行動をとるケースも多いことを、複数のセックスワーカーが証言しています。
また、この調査結果は、児童にイタズラをしたことが原因で逮捕された性犯罪者への調査(一九九九年のProulxの論文 )結果とも一致します。この調査は、家庭外で児童に虐待をして逮捕された犯罪者が、どのようなプロセスを経て犯行に及んだのかを調べたもので、女児を性的に虐待した犯人には、
(1)犯行前に麻薬やアルコールなどの精神に作用する物質を用いる場合が多い。
(2)犯人は被害者を弱者と見なしていない。
(3)犯行は肉体的・あるいは強迫などを用いて強制的に行われる場合が多い。
(4)犯行には通常性行為を伴うが短時間で終わる。
という共通点が浮かび上がってきました。これが何を意味しているのかといえば、
(1)は犯人が鬱病や神経症など、何らかの精神病にかかっている可能性を示唆している。というのも、麻薬やアルコールの常用者は精神的な苦痛から逃れるために、精神に作用する物質を服用するのが常だからである。また、犯行の動機はセックスとはまったく関係のない、家庭内の不和、仕事でのトラブルなど、ストレスを感じた事が引き金になっている可能性も示唆している。
(2)犯人は自分が弱者・もしくは被害者・あるいは不当な扱いを受けている存在だと思っている。少なくとも、女性に強い恐怖感や劣等感を抱えている。だから、たとえ相手が子どもでも女性であれば、彼女を社会的な弱者であると認識することができない。
(3)犯人は相手を支配(コントロール)することによってしか、性的な充足感を得ることが出来ない。これは、恐怖の裏返しの感情で、要するに相手が怖いから自分の思い通りにならないと不安で仕方がないのである。
(4)犯人は性的不能に陥ることがたびたびあるか、早漏など性行為に重大な欠陥を抱えているか、あるいは性知識や性体験そのものが乏しいかのいずいれかである場合が多く、これは(1)~(3)の条件と対応している。
となります。
そして、こうした傾向は強姦犯と極めてよく似ています。特に、精神障害者や身体障害者などの社会的弱者を対象に、性的な関係を強要するタイプの犯人と類似します。つまり、強姦犯が暴力や弱みを握ることで女性を屈服させて性行為を強要するのに対して、このタイプの男性は相手が抵抗できない、あるいはしづらいと思われる、少女を標的として同様の行為に及ぶのです。
このため、このタイプの男性は少女だけでなく、相手が抵抗しないと判断すれば成人女性とも性的な関係を結ぶことができます。典型的だったのが、二〇〇五年に複数の女性信徒を性的に暴行していたことが発覚した、聖神中央教会の主管牧師だった金保容疑者のケースです。金容疑者は、最初は20代の女性信徒と強制的に性的な関係を結んでいましたが、この女性信徒が金被告を拒絶して事態が教会内で露見すると、次第に相手の年齢を下げていき、最後には12歳から13歳程度の信者の娘やその友人を毒牙にかけていました。
このような事例があるために、子どもが普通に育って性欲を抱くようになったからといって、誰とでも性行為をするべきではありません。危険な相手は排除すべきです。ただし、すべての小児愛者が金容疑者のようなタイプではありません。これは、後述する児童ポルノの流通量と犯罪の発生率に相関関係がないことでも明かです。
Q:それでは、小児性愛者には、この他にどんなタイプが存在するのでしょうか?
A:一言でいってしまえば、子どもになりたい、あるいは子ども時代に帰りたいと思っている、すなわち幼児回帰願望を抱えている人たちです。
ポルノ作品の最大の特徴は、その対象読者として男性を想定しているにも関わらず、作品の主要人物の多くは(同性愛ものを除いて)女性であることにあります。これは、世界最初期のポルノ作品と考えられている、一六世紀のイタリアで活躍した文人、ピエトロ・アレティーノの作とされる『ラジョナメンティ』の頃から顕著な傾向で、この後に作られてヒットした『女哲学者テレーズ』や『女たちの学園』にも引き継がれています。
ポルノ作品のフォーマットが定まっていなかった時代には、作者達が試行錯誤した結果として、男性が男性に対して女性遍歴を自慢するというスタイルの作品も相当数作られていますが、それらのほとんどは現在では忘却の彼方に追いやられており、現代のポルノ作家で、こうしたタイプの作品を執筆することはあまりありません。その理由は単純で、売り上げが悪いために編集者が没にしてしまうからです。数少ない例外が、主人公視点で物語が展開する18禁ソフトの系譜でしょう。
これは、ポルノグラフィの男性読者は女性になった気持ちで作品世界にのめりこみたいということを意味しています。もしくは、犯す側の男性になったり、犯される側の女性になったりの「行ったり来たり」をしたいわけです。
そして、このようなスタイルでポルノを愉しむためには、読者、あるいは視聴者のセクシャルアイデンティティ(性同一性)が不安定でなければなりません。たとえば、肉体が男性で精神的にも男性であることを疑わない人物は、女性が主人公、もしくは女性の心理描写が主体の作品に接しても、「自分は男性なのだから感情移入が出来ない。関係がない」と思うだけで終わってしまいます。
しかし、非常に奇妙なことに、男性と女性ではセクシャルアイデンティティの不一致率には大きな差異があります。『二〇〇二年 児童・生徒の性』における性自認の調査結果には、この傾向が明確にあらわれています。「性別が反対ならよかった」と思う男子、つまり女性になりたい男子は中学1年生では1・8%しかいないのに、高校三年生になると10・3%まで上昇するのです。その反対に、「性別が反対ならよかった」と思う女子、つまり男性になりたい女子は中学1年生では11・5%も存在するのに、高校3年生の段階では1・7%まで低下します。
その理由は複合的ではっきりしていないのですが、男性向けポルノが女性向けポルノよりも圧倒的に多い原因の1つをなしていることは間違いありません。すなわち、男性は成長するのに比例して、「女性になりたい」と思う割合が増えていくので、作品中で性別を変化させることが可能なポルノというメディアとの親和性が高いのです。
Q:それでは、自分が子どもになりたい、あるいは少女になりたいと思っている小児性愛者は、子どもとの性行為を望んでいないのですか?
A:望んでいないというよりは、自分が子どもになるという願望が重要ですから、実在する子どもとセックスをする必要性がない、ということです。したがって、彼らがある欲望を抱かない限り、性的な空想の内容も実行動も犯罪的とは言えません。その欲望とは、「自分が子どもになったことを、実在する子どもに認めて欲しい」というものです。つまり、生身の子どもに接触し、彼らと対等に振る舞いたいと思った瞬間から、幼児回帰願望を持つ小児性愛者も危険な存在になる可能性が高まります。
たとえば、幼女連続殺人事件を起こした宮崎勤は、犯行声明文を今田勇子名義で送付するなど、明らかに女性化願望のあった人物ですが、幼女を殺害した時の状況が「おじちゃん」と呼ばれたとか、家に帰りたがって泣き出したとか、どちらにせよ彼の妄想を阻害するような行動がきっかけになっています。
また、新潟で幼女を誘拐して9年間にもわたって監禁した佐藤宣行も、女児から「おじさん」と呼ばれるたびに暴行を加えています。つまり、どちらの犯人も自分を中年の男性であるとは認めたくなかったのです。だから、認めて欲しい相手の少女から「おじさん」呼ばわりされた瞬間に、理性を失ってしまったのです。そして、どちらの犯人も判断能力こそあったものの、重度の精神病患者でもありました。
Q:こうして話を聞いていると、小児性愛絡みの事件と精神病患者には相関関係があるように思えます。しかし、これは精神病差別ではないのですか?
A:残念ながら、小児性愛者が絡んだ猟奇的な事件に精神病患者が深く関与しているのは事実です。しかし、誤解がないように釘を刺しておきますが、精神病患者はイコールで犯罪者予備軍ではありません。多くの精神病患者は犯罪とは無縁の存在です。精神病患者の犯罪発生率は、一般人の犯罪発生率の約半分から1/3程度だと考えられています。実際に、精神病患者がもっとも選択しやすい異常な行動は自殺なのです。一説によると、自殺者の約9割は鬱病患者や統合失調症の患者で占められているそうです。
ただし、精神病患者の犯罪は文字通り異常性が高いためにインパクトが強く、マスコミの取材の対象になりやすいのです。すなわち、実体よりも虚像の方が肥大化しやすいということです。たとえば、アメリカの刑事裁判の専門家の調査によると、家族以外の人間に誘拐され、長期間にわたって監禁されたり、殺害されたりする未成年者の総数は、1年間に200人から300人に過ぎません。ところが、マスコミの報道ではこれが最低でも5万人、多い場合には40万人以上と水増しされてしまいます。児童ポルノの問題でも、これと同様の現象が起きていると考えるべきでしょう。
Q:児童ポルノ問題が騒がれたのは、それが一般的だったからではないのですか?
A:違います。アメリカでは原理主義的なキリスト教団体とフェミニストの一部、警察組織、そして虚言癖のある異常な人物とマスコミが、児童ポルノ制作者や小児性愛者が、さも普遍的な存在かのようなデマを流しました。たとえば、一九七七年にNBCニュースは「アメリカでは二百万人もの子どもたちが、市場規模数百万ドルとも言われる急成長産業、児童ポルノビジネスに巻きこまれている」という報道をしましたが、これは後に犯罪学者たちの追跡調査によって完全に否定されました。実際の市場規模はおおよそ百万ドル以下で、犠牲になった子どもたちも数百人に過ぎなかったのです。
(続く)
表現規制全般の問題に関わっていると、常にある問題に直面せざるを得ない。それは金だ。反対運動に関与している時間と労力は、自由業である私にとってすべて持ち出し、すなわち金銭的な損失に他ならない。表現規制反対運動のために電話している時間に原稿を書けば、それだけ収入は増えるし、そもそも電話を使った分だけ金がかかる。
しかも、編集者は政治活動に関与していたという点を考慮して原稿料を上げてくれはしない。政治活動に関与していたという理由で締め切りを遅らせてもくれない。仕事なんだから当たり前の話だ。でも、この当たり前のことを理解できない作家や漫画家が、4~5年前までは結構いて、ほとんどはクリエーターとしては大成しなかった。彼らの一部は、政治活動に参加することで認知度が上昇し、周囲から上位承認を得られるかもしれないと誤解していたのだ。こんなことをやっても、せいぜい嫌われるのが関の山なのにね。
まあ、とりあえず私の方は今の仕事状況を維持しているうちは最後まで付き合うつもりだけど、クリエーターとしても優秀、政治活動でも凄腕、なんて人間は世界的に見ても例外的な存在(ヴァーツラフ・ハヴェルが、かろうじてこの例外に属する可能性があるが、彼も政治活動家としての側面なしに作品を評価することは不可能だろう)で、残念ながら私はその例外には含まれないので悪しからず。
で、何で私がこんなことを言っているのかと言えば、やっぱりブログのコメントを放置しているのが気になるわけですよ。このサイトは基本的に私の備忘録が主で、閲覧している人間も基本はオフラインの知り合い。そこに少数ながらオンラインのみの知り合いも加わって、1日のユニークアクセス数は100人前後というのが平均ペース。これがマックスで1日5000人オーバーになった段階で、もうコントロールは不可能なわけです。
幸い、皆さんも落ち着きを取り戻しつつあって、ここへのアクセスも急激に低下しているから、後1週間もあれば平常のアクセス数に戻るだろうけど、そうなると放置し続けたコメントが気になって仕方がないんだけど、状況の推移が早すぎて、もはや個々にレスを返す気力も起きないというのが偽らざる気持ち。
で、色々とリカバリーの方法を考えたんですけど、時間がないという事実はどうしようもないので、2005年に書いた児童ポルノ法に関する文章をリファインしたものを、ここで再掲載することで、レスの代わりとさせていただきます。
今から約3年前に書かれたモノですが、私の思考ベースはほとんど変化していませんので、「仁のヤツはこんな感じで考えている」と受け取ってください。本来であれば、こういう機会に議論をすべきなんでしょうけど、今は仕事を優先したいので勘弁して下さいってことで。
児童ポルノQ&A(1)
Q:児童ポルノとは、いったいどんなものを指し示しているのですか? あやふやな感じがするのですが。
A:児童ポルノが論議の対象になると、どこでも大まかに
(1)どこまでがわいせつなのか?
(2)どこまでが児童として扱われるのか?
(3)過去の作品でも、児童の裸体が掲載されていたり、あるいは児童との性行為について言及されていれば児童ポルノとして認定されるのか?
の3つが論争の焦点となるようです。まず、(1)に関してですが、仮にポルノがイコールでわいせつ物で、それが性的な興奮を喚起させる作品を意味するのであれば、大部分の日本人にとって、児童ポルノはポルノではなくなります。つまり、普通の成人男性は児童の性行為を観ても、「気持ち悪い」とか「むごたらしい」としか思いません。
小説や絵画などのジャンルと同様に、実はポルノグラフィという単語や作品群には歴史的意味があり、研究者によって多少の誤差はあるものの、「いくつかの共通した特徴を備えている」という点においては見解が一致しています。そして、わいせつ性というのはそれらの特徴の1つに過ぎません。
Q:ポルノの特徴とはどんなものですか?
A:まず、ポルノグラフィでマスターベーションをするためには、私的な時間と空間が必要となります。露出症などの特異な性癖でない限り、マスターベーションは自分以外の誰も存在しない場所で行われるのが通例だからです。そのためには、社会が私的な時間や空間を持つことを保証している必要があります。すなわち、個人主義です。
ポルノは「社会は個人という最小単位で成り立っている」という前提で構成された、『個人主義社会』でしか発展しません。たとえば、私有財産を制限し、個人主義を否定する傾向の強い『共産主義』社会や『社会主義』社会の中では、ポルノグラフィがジャンルとして成立する可能性はありません。また、社会を構成する最低単位を家族であると考える『家族主義』社会の中でも、ポルノグラフィがジャンルとして成立する可能性はありません。さらに、個人の私的な空間や時間を社会が保証するということは、社会が個人に私有財産権を保証することとほぼ同義です。従って、個人主義社会と資本主義社会はニアイコールの存在ということになります。
次に、ポルノにおける性行為描写は、可能な限りリアルであることが望ましいと考えられています。だから、明らかに医学的・科学的な常識から大きく外れた性行為描写のある作品を、ポルノグラフィとして認定することはできません。たとえば、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるという描写や、男性器をオットセイの形に模したマンガなどは、たとえ性を主要なテーマとして扱っていた作品だったとしても、ポルノとは認定しかねます。
また、これと同時に、ポルノにおける性行為描写が科学的・医学的根拠に基づく以上、そこには科学主義や自然主義、そして唯物論的な概念が隠れていることを意味します。そして、これらの思想は宗教を否定している(もしくは克服を目指している)という点で一致しているために、ポルノグラフィには必然的に反宗教的な要素が含まれます。
最後に、ポルノが社会に1つのジャンルとして認知されるためには、製造方法が大量生産に適したものでなくてはなりません。そこで、何らかの手段によって大量生産された、あるいは複製が容易である手法によって制作されねば、ポルノグラフィとして認知することは難しい、ということになります。この点に関してはいまだに諸説があるので断定は出来ないのですが、一四五五年前後にドイツのヨハン・グーテンベルグが開発した、活版印刷術がヨーロッパに普及するまで、ポルノは世界史に登場しなかったと考えるのが通例です。
以上の理由から、活版印刷術の発展がある前に児童との性行為を扱った作品を、ポルノグラフィとして認知することは困難です。児童ポルノの議論が活発になると、必ず「聖書や源氏物語は児童との婚姻が描かれているのだから、児童ポルノとして認定すべきである」といった発言が児童ポルノ擁護派からなされますが、とても妥当な内容であるとは思えません。
Q:マスターベーションをする場所を確保する目的から、ポルノが個人主義という概念なしでは成立しないことは分かりました。しかし、大量生産が条件に含まれている理由が解りません。1つしかない作品でも何万部も売れている作品でも、ポルノはポルノでしかないと思うのですが。
A:ポルノグラフィという概念は、制作者によって作られたのではありません。むしろ、これを取り締まる検閲官や警察組織、そして法学者らによって形成されていきました。アメリカの著名な歴史学者であるリン・ハントの説によると、ポルノグラフィという単語が近・現代的な意味で最初に使われたのは、一八〇六年にパリで出版された『焚書、発禁、検閲処分を受けた主要書物の批判的、文学的、書誌学的辞典』だそうです。この本の著書は、エティエンヌ=ガブリエル・ペニョーという人物で、法律の知識があり、司書や学校の視察官を勤めていました。
焚書や発禁は、その時代の権力者や官僚が、世に広まることを恐れる、または不適当であると考えた作品に対して行なわれます。つまり、人口に膾炙するおそれのある作品が焚書や発禁の対象となるのであって、そのためには、対象となる作品が大量に生産される可能性がなければ不可能ということになります。極言してしまえば、ポルノ規制問題はイコールで模倣物・大量生産物規制問題ということです。このことは、児童ポルノに限らず、あらゆるポルノ問題で繰り返し登場する概念なので、忘れないようにしてください。
また、ポルノグラフィという単語が一八〇六年のフランスで最初に使われたと言うことは、当時のフランスでは既にポルノグラフィが広範囲にわたって流通していたことを意味しています。
Q:一八〇六年のフランスといえば、ナポレオン一世の治世下だったはずですね。他のヨーロッパ諸国では、ポルノグラフィは盛んに流通していたのですか?
A:当時のポルノグラフィの生産量を調査した研究によると、フランス革命を経験したばかりのフランスと、それ以前にイギリス革命を経験したイングランドの2国が、ポルノ生産大国として挙げられています。
その反対に、農奴制が維持されていたロシアや、家族主義が重視されていたオランダでは、印刷物を大量に生産する技術があったにも関わらず、ポルノグラフィがほとんど作られていません。この一事をもってしても、ポルノが個人主義的な社会制度なしでは成立しないことが理解できます。つまり、左翼思想家の一部、特に左翼系のフェミニストが「ポルノは商業的・性的搾取である」と語っていることは、歴史的事実に照らし合わせると嘘だということです。
Q:性的搾取とは、一体どのような状況を指すのでしょうか?
A:マルクス系左派の学説によれば、搾取とは「階級社会において、生産手段の所有者が生産手段をもたない直接生産者から、その労働の成果を無償で取得すること」で、性的搾取とは左派系のフェミニストが、この概念を男女の関係に援用したものです。従って、性的搾取とは社会的に強い立場にある男性が、弱い立場にある女性に対して、性的な価値を奪い取る行為、ということになるのですが、こうした概念が単なる妄想でしかないことは、先ほどの説明で明らかでしょう。
農奴制を維持する社会や、父親を中心とした家族制度を重視する社会の方が、女性に対してより差別的であることは、改めて説明する必要性すらありません。もしも、ポルノが性的搾取の結果であるとするのであれば、啓蒙主義に則って革命を起こしたイギリスやフランスよりも、オランダやロシアでポルノが大量生産されていなければなりません。このため、後述しますがフェミニストのポルノ批判やポルノ論には一貫性がなく、しかも破綻しているケースが散見されます。
しかし、これが子ども相手の場合は話が異なってきます。
Q:子どもが相手だと話が違ってくるとは、一体どういうことなのですか?
A:どんなに発達した『個人主義社会』でも、子どもの諸々の権利は育成保護という観点から制限されているために、性的搾取という概念が成立しうる可能性があるのです。多くの国家、特に先進国と呼ばれる比較的豊かな国では、子どもが一人前の大人になるまで保護をするという目的で、いくつかの法的制限が課せられています。具体的には、
(1)財産権の制限
(2)職業選択の自由の制限
(3)選挙権の制限
(4)性交の制限
などが挙げられます。そして、それぞれの制限には個別の法解釈があるのですが、ポルノや売買春という観点からすると、(1)と(2)が重要です。まず、財産権が制限されている以上、子どもがポルノを所有できるかどうかは、親権者の判断にゆだねられます。つまり、子どもがポルノを所持することは常識的に考えて許されません。
次に、職業選択の自由についての制限があるために、子どもは風俗産業等を含む接客業全般で働くことに制限が課せられています。従って、財産権と職業選択の自由が認められない限り、肉体的に性行為が可能であるかないかに関わらず、子どもはポルノを所持することもできなければ、ポルノに出演することも出来ません。これが、Q1の(2)で提示された「どこまでが児童として扱われるのか?」という問いに対する答えとなります。
しばしば、児童ポルノ擁護派からなされる発言に、「初潮を迎えた少女は性交・出産が可能なのだから、成人と同等に扱うべきである」というものがありますが、少なくともポルノの所持やポルノへの出演が不可能であることは、上記の説明で十分でしょう。ただし、話を性交だけに絞るのであれば、そもそも子どもにも性欲はあり、これが性行為や性行動に発展するのは、生物としてごく自然な成り行きです。実際に、男女を問わず、ほとんどの人間が未成年期にマスターベーションをした経験があるはずです。また、近年の研究によって、幼少期に鬱病や統合失調症などの精神病にかかると、性欲が消失する(男児の場合はEDになる)場合があることが分かってきました。つまり、幼少期に性欲がない方が異常だし、そうした児童は精神病にかかっているおそれがあるので病院で検査を受けた方が良いのです。
ところが、アメリカのリベラル系フェミニストであるジュディス・レヴァインの調査によると、アメリカにおいて児童ポルノの規制を推進していたコアなグループのメンバーは、児童に性欲があるという生物としてごく当たり前の現象を認めていませんでした。私の調査でも、日本の児童ポルノの規制を推進するグループのメンバーには同様の傾向が見られます。児童ポルノの規制問題を考える際に、まずはこの異常性に着目すべきでしょう。
Q:児童に法的制限が課せられているのは理解できました。しかし、子どもにも性欲があるのであれば、ポルノに出演するのは無理だとしても、性行為は許されるのではないでしょうか?
A:性交は可能な場合もありますが、女性の場合は妊娠・出産のリスクを考えねばなりません。つまり、女性の肉体というのは妊娠ができるようになっても、正常な出産ができるとは限りません。第二次性徴期はおおよそ9歳から始まり、18歳前後で終了します。つまり、この時期に妊娠すると言うことは、成長しながら妊娠すると言うことです。その結果、若年者の妊娠は早産や低体重の確率が高いという医学的なデータがあり、これは出産のリスクが高いのと同義です。
これに対して、男性は射精できるようになれば肉体的には妊娠しない分だけ性交のリスクは低いのですが、どういうわけか現代の日本では初めて性行為を体験した年齢は平均的に女児の方が低いという傾向があるようです。その理由に関しては、ポルノの定義説明からは少し逸脱するので割愛させて下さい。
また、児童の性行為は、性病に関する無知や、相手の大人の性癖が危険な場合が多いことで、リスクが高まる傾向があります。具体的には、ある事情から特定のタイプの男性が少女と性交をしたがる場合は危険を伴う可能性が高いのです。これは、私が日本におけるセックスワーカー(風俗嬢)の調査をした時に浮かび上がった事実ですが、低年齢(18歳や19歳)の風俗嬢を希望する男性に暴力的傾向があり、なおかつ他の問題行動をとるケースも多いことを、複数のセックスワーカーが証言しています。
また、この調査結果は、児童にイタズラをしたことが原因で逮捕された性犯罪者への調査(一九九九年のProulxの論文 )結果とも一致します。この調査は、家庭外で児童に虐待をして逮捕された犯罪者が、どのようなプロセスを経て犯行に及んだのかを調べたもので、女児を性的に虐待した犯人には、
(1)犯行前に麻薬やアルコールなどの精神に作用する物質を用いる場合が多い。
(2)犯人は被害者を弱者と見なしていない。
(3)犯行は肉体的・あるいは強迫などを用いて強制的に行われる場合が多い。
(4)犯行には通常性行為を伴うが短時間で終わる。
という共通点が浮かび上がってきました。これが何を意味しているのかといえば、
(1)は犯人が鬱病や神経症など、何らかの精神病にかかっている可能性を示唆している。というのも、麻薬やアルコールの常用者は精神的な苦痛から逃れるために、精神に作用する物質を服用するのが常だからである。また、犯行の動機はセックスとはまったく関係のない、家庭内の不和、仕事でのトラブルなど、ストレスを感じた事が引き金になっている可能性も示唆している。
(2)犯人は自分が弱者・もしくは被害者・あるいは不当な扱いを受けている存在だと思っている。少なくとも、女性に強い恐怖感や劣等感を抱えている。だから、たとえ相手が子どもでも女性であれば、彼女を社会的な弱者であると認識することができない。
(3)犯人は相手を支配(コントロール)することによってしか、性的な充足感を得ることが出来ない。これは、恐怖の裏返しの感情で、要するに相手が怖いから自分の思い通りにならないと不安で仕方がないのである。
(4)犯人は性的不能に陥ることがたびたびあるか、早漏など性行為に重大な欠陥を抱えているか、あるいは性知識や性体験そのものが乏しいかのいずいれかである場合が多く、これは(1)~(3)の条件と対応している。
となります。
そして、こうした傾向は強姦犯と極めてよく似ています。特に、精神障害者や身体障害者などの社会的弱者を対象に、性的な関係を強要するタイプの犯人と類似します。つまり、強姦犯が暴力や弱みを握ることで女性を屈服させて性行為を強要するのに対して、このタイプの男性は相手が抵抗できない、あるいはしづらいと思われる、少女を標的として同様の行為に及ぶのです。
このため、このタイプの男性は少女だけでなく、相手が抵抗しないと判断すれば成人女性とも性的な関係を結ぶことができます。典型的だったのが、二〇〇五年に複数の女性信徒を性的に暴行していたことが発覚した、聖神中央教会の主管牧師だった金保容疑者のケースです。金容疑者は、最初は20代の女性信徒と強制的に性的な関係を結んでいましたが、この女性信徒が金被告を拒絶して事態が教会内で露見すると、次第に相手の年齢を下げていき、最後には12歳から13歳程度の信者の娘やその友人を毒牙にかけていました。
このような事例があるために、子どもが普通に育って性欲を抱くようになったからといって、誰とでも性行為をするべきではありません。危険な相手は排除すべきです。ただし、すべての小児愛者が金容疑者のようなタイプではありません。これは、後述する児童ポルノの流通量と犯罪の発生率に相関関係がないことでも明かです。
Q:それでは、小児性愛者には、この他にどんなタイプが存在するのでしょうか?
A:一言でいってしまえば、子どもになりたい、あるいは子ども時代に帰りたいと思っている、すなわち幼児回帰願望を抱えている人たちです。
ポルノ作品の最大の特徴は、その対象読者として男性を想定しているにも関わらず、作品の主要人物の多くは(同性愛ものを除いて)女性であることにあります。これは、世界最初期のポルノ作品と考えられている、一六世紀のイタリアで活躍した文人、ピエトロ・アレティーノの作とされる『ラジョナメンティ』の頃から顕著な傾向で、この後に作られてヒットした『女哲学者テレーズ』や『女たちの学園』にも引き継がれています。
ポルノ作品のフォーマットが定まっていなかった時代には、作者達が試行錯誤した結果として、男性が男性に対して女性遍歴を自慢するというスタイルの作品も相当数作られていますが、それらのほとんどは現在では忘却の彼方に追いやられており、現代のポルノ作家で、こうしたタイプの作品を執筆することはあまりありません。その理由は単純で、売り上げが悪いために編集者が没にしてしまうからです。数少ない例外が、主人公視点で物語が展開する18禁ソフトの系譜でしょう。
これは、ポルノグラフィの男性読者は女性になった気持ちで作品世界にのめりこみたいということを意味しています。もしくは、犯す側の男性になったり、犯される側の女性になったりの「行ったり来たり」をしたいわけです。
そして、このようなスタイルでポルノを愉しむためには、読者、あるいは視聴者のセクシャルアイデンティティ(性同一性)が不安定でなければなりません。たとえば、肉体が男性で精神的にも男性であることを疑わない人物は、女性が主人公、もしくは女性の心理描写が主体の作品に接しても、「自分は男性なのだから感情移入が出来ない。関係がない」と思うだけで終わってしまいます。
しかし、非常に奇妙なことに、男性と女性ではセクシャルアイデンティティの不一致率には大きな差異があります。『二〇〇二年 児童・生徒の性』における性自認の調査結果には、この傾向が明確にあらわれています。「性別が反対ならよかった」と思う男子、つまり女性になりたい男子は中学1年生では1・8%しかいないのに、高校三年生になると10・3%まで上昇するのです。その反対に、「性別が反対ならよかった」と思う女子、つまり男性になりたい女子は中学1年生では11・5%も存在するのに、高校3年生の段階では1・7%まで低下します。
その理由は複合的ではっきりしていないのですが、男性向けポルノが女性向けポルノよりも圧倒的に多い原因の1つをなしていることは間違いありません。すなわち、男性は成長するのに比例して、「女性になりたい」と思う割合が増えていくので、作品中で性別を変化させることが可能なポルノというメディアとの親和性が高いのです。
Q:それでは、自分が子どもになりたい、あるいは少女になりたいと思っている小児性愛者は、子どもとの性行為を望んでいないのですか?
A:望んでいないというよりは、自分が子どもになるという願望が重要ですから、実在する子どもとセックスをする必要性がない、ということです。したがって、彼らがある欲望を抱かない限り、性的な空想の内容も実行動も犯罪的とは言えません。その欲望とは、「自分が子どもになったことを、実在する子どもに認めて欲しい」というものです。つまり、生身の子どもに接触し、彼らと対等に振る舞いたいと思った瞬間から、幼児回帰願望を持つ小児性愛者も危険な存在になる可能性が高まります。
たとえば、幼女連続殺人事件を起こした宮崎勤は、犯行声明文を今田勇子名義で送付するなど、明らかに女性化願望のあった人物ですが、幼女を殺害した時の状況が「おじちゃん」と呼ばれたとか、家に帰りたがって泣き出したとか、どちらにせよ彼の妄想を阻害するような行動がきっかけになっています。
また、新潟で幼女を誘拐して9年間にもわたって監禁した佐藤宣行も、女児から「おじさん」と呼ばれるたびに暴行を加えています。つまり、どちらの犯人も自分を中年の男性であるとは認めたくなかったのです。だから、認めて欲しい相手の少女から「おじさん」呼ばわりされた瞬間に、理性を失ってしまったのです。そして、どちらの犯人も判断能力こそあったものの、重度の精神病患者でもありました。
Q:こうして話を聞いていると、小児性愛絡みの事件と精神病患者には相関関係があるように思えます。しかし、これは精神病差別ではないのですか?
A:残念ながら、小児性愛者が絡んだ猟奇的な事件に精神病患者が深く関与しているのは事実です。しかし、誤解がないように釘を刺しておきますが、精神病患者はイコールで犯罪者予備軍ではありません。多くの精神病患者は犯罪とは無縁の存在です。精神病患者の犯罪発生率は、一般人の犯罪発生率の約半分から1/3程度だと考えられています。実際に、精神病患者がもっとも選択しやすい異常な行動は自殺なのです。一説によると、自殺者の約9割は鬱病患者や統合失調症の患者で占められているそうです。
ただし、精神病患者の犯罪は文字通り異常性が高いためにインパクトが強く、マスコミの取材の対象になりやすいのです。すなわち、実体よりも虚像の方が肥大化しやすいということです。たとえば、アメリカの刑事裁判の専門家の調査によると、家族以外の人間に誘拐され、長期間にわたって監禁されたり、殺害されたりする未成年者の総数は、1年間に200人から300人に過ぎません。ところが、マスコミの報道ではこれが最低でも5万人、多い場合には40万人以上と水増しされてしまいます。児童ポルノの問題でも、これと同様の現象が起きていると考えるべきでしょう。
Q:児童ポルノ問題が騒がれたのは、それが一般的だったからではないのですか?
A:違います。アメリカでは原理主義的なキリスト教団体とフェミニストの一部、警察組織、そして虚言癖のある異常な人物とマスコミが、児童ポルノ制作者や小児性愛者が、さも普遍的な存在かのようなデマを流しました。たとえば、一九七七年にNBCニュースは「アメリカでは二百万人もの子どもたちが、市場規模数百万ドルとも言われる急成長産業、児童ポルノビジネスに巻きこまれている」という報道をしましたが、これは後に犯罪学者たちの追跡調査によって完全に否定されました。実際の市場規模はおおよそ百万ドル以下で、犠牲になった子どもたちも数百人に過ぎなかったのです。
(続く)
11件のコメント
[C235]
- 2008-03-19
- 編集
[C236]
>児童ポルノ制作者や小児性愛者が、さも普遍的な存在かのようなデマを流しました。
そもそもこの場合、マスコミが必ずしも実情に即した報道をしないことと、マスコミの言うことを信じ込んでしまう国民と、どちらに問題があるのだろうか?
言論の多様性を維持する意味では、マスコミが少数意見を取り上げ、警鐘を鳴らすのは絶対に必要なことだ。つまりマスコミがデマを流してしまうのは必要悪なのだ。
ということは、国民がマスコミの権威を認め、影響を受けすぎるのが駄目だということになる。
そもそもこの場合、マスコミが必ずしも実情に即した報道をしないことと、マスコミの言うことを信じ込んでしまう国民と、どちらに問題があるのだろうか?
言論の多様性を維持する意味では、マスコミが少数意見を取り上げ、警鐘を鳴らすのは絶対に必要なことだ。つまりマスコミがデマを流してしまうのは必要悪なのだ。
ということは、国民がマスコミの権威を認め、影響を受けすぎるのが駄目だということになる。
- 2008-03-19
- 編集
[C3756]
掲載後2年以上も経っていて恐縮なのですが、質問させて下さい。
私の体験なのですが、
○初潮を迎える前、性行為がどういうものかも知らない子どもの頃に、父と性行為をしました。
○当時は性欲もありましたし、嫌がりませんでした。腕力でねじ伏せられ、無理矢理させられたわけではありません。
○性行為の意味が分かるようになった頃、「大変なことをしてしまった」と苦しみ始めました。
この場合、
○私が苦しんだことは、自分の後付け解釈によるものだと考えるのが妥当でしょうか?
○父のした事が許されない、制限されるべきことだとしたら、それはどういう理由によるものでしょうか?
このエントリで鳥山さんが挙げられたリスクはクリアされているように感じるのですが…。
私は、子どもとの性行為が許されない理由として、
○性行為は、したくない相手とはしない選択が出来なければならない。
○しかし子どもには性行為をする相手を選ぶ判断力が無い。
○だから子どもとの性行為はするべきではない。
…と素朴に考えていたのですが、この考えは鳥山さんから見ておかしいでしょうか?
私の体験なのですが、
○初潮を迎える前、性行為がどういうものかも知らない子どもの頃に、父と性行為をしました。
○当時は性欲もありましたし、嫌がりませんでした。腕力でねじ伏せられ、無理矢理させられたわけではありません。
○性行為の意味が分かるようになった頃、「大変なことをしてしまった」と苦しみ始めました。
この場合、
○私が苦しんだことは、自分の後付け解釈によるものだと考えるのが妥当でしょうか?
○父のした事が許されない、制限されるべきことだとしたら、それはどういう理由によるものでしょうか?
このエントリで鳥山さんが挙げられたリスクはクリアされているように感じるのですが…。
私は、子どもとの性行為が許されない理由として、
○性行為は、したくない相手とはしない選択が出来なければならない。
○しかし子どもには性行為をする相手を選ぶ判断力が無い。
○だから子どもとの性行為はするべきではない。
…と素朴に考えていたのですが、この考えは鳥山さんから見ておかしいでしょうか?
- 2010-05-23
- 編集
[C3757] 忍さん
恐らく、念頭においている事象にずれがあると思われます。
私がこの文章で言及しようとしているのは、PTSDと鬱病や統合失調症による記憶のブロック機能の劣化をわざと混在させ、性的虐待が心に治らない傷を作る、という虚偽の主張をする規制推進派を批判する目的で書かれています。
PTSDは虐待や死線をさまようような経験をした直後から発症するもので、後から思い出しておかしくなることはまずありません。後から性的虐待を思い出すのは、脳にある記憶のブロック機能、具体的には自分にとって嫌な記憶を思い出させない機能が低下した場合です。
詳しくは、
http://toriyamazine.blog100.fc2.com/blog-entry-140.html
に文章が書いてありますので参照して下さい。
(続く)
私がこの文章で言及しようとしているのは、PTSDと鬱病や統合失調症による記憶のブロック機能の劣化をわざと混在させ、性的虐待が心に治らない傷を作る、という虚偽の主張をする規制推進派を批判する目的で書かれています。
PTSDは虐待や死線をさまようような経験をした直後から発症するもので、後から思い出しておかしくなることはまずありません。後から性的虐待を思い出すのは、脳にある記憶のブロック機能、具体的には自分にとって嫌な記憶を思い出させない機能が低下した場合です。
詳しくは、
http://toriyamazine.blog100.fc2.com/blog-entry-140.html
に文章が書いてありますので参照して下さい。
(続く)
- 2010-05-24
- 編集
[C3758] 忍さん
続きです。
2番目の質問ですが、そもそもノーマルな男性が子供に対して性行為を試みることはありません。理由は大きく分けて2つあり、
1)そもそも勃起しない。
2)SEXをしても詰まらないので、リスクを考えたら勃起してもSEXをするまでに至らない。
です。
どちらも具体的に記述をしていないのは、この文章を書いていた当時の私が、性知識に対してきちんとした説明をする必要性を感じていなかったからです。
まず、(1)から行きますが、男性器が勃起するのは自律神経の副交感神経が優位に立った時のみです。そして、副交感神経が優位になるには、精神的にリラックスしている必要があります。
つまり、子供に対して勃起する男性というのは、子供を見ると精神的にリラックスできる価値観の持ち主である、ということになります。これは異常な事態で、ノーマルな男性は子供を見て副交感神経が優位になることはまずありません。
大きな理由は2つあり、1つはジェネレーションギャップ、もう1つは保護者としての義務感です。1つめのジェネレーションギャップとは、年齢が離れていればいるほど話題がかみ合わない、価値観が一致しない、だから会話が成立しないという状況を指します。このような類似性に乏しい人間関係において、リラックスできるかと言われれば、普通の人はまず難しいんですね。だから、よほど若い女性に固執しない限り、大半の男性は自分に近しい年齢の女性=会話がかみ合う女性を性的対象として選択します。
(続く)
2番目の質問ですが、そもそもノーマルな男性が子供に対して性行為を試みることはありません。理由は大きく分けて2つあり、
1)そもそも勃起しない。
2)SEXをしても詰まらないので、リスクを考えたら勃起してもSEXをするまでに至らない。
です。
どちらも具体的に記述をしていないのは、この文章を書いていた当時の私が、性知識に対してきちんとした説明をする必要性を感じていなかったからです。
まず、(1)から行きますが、男性器が勃起するのは自律神経の副交感神経が優位に立った時のみです。そして、副交感神経が優位になるには、精神的にリラックスしている必要があります。
つまり、子供に対して勃起する男性というのは、子供を見ると精神的にリラックスできる価値観の持ち主である、ということになります。これは異常な事態で、ノーマルな男性は子供を見て副交感神経が優位になることはまずありません。
大きな理由は2つあり、1つはジェネレーションギャップ、もう1つは保護者としての義務感です。1つめのジェネレーションギャップとは、年齢が離れていればいるほど話題がかみ合わない、価値観が一致しない、だから会話が成立しないという状況を指します。このような類似性に乏しい人間関係において、リラックスできるかと言われれば、普通の人はまず難しいんですね。だから、よほど若い女性に固執しない限り、大半の男性は自分に近しい年齢の女性=会話がかみ合う女性を性的対象として選択します。
(続く)
- 2010-05-24
- 編集
[C3759] 忍さん
更に続きです。
保護者としての義務感に関しては、これを強く感じる人とそうでない人に分かれるため、どちらがノーマルかを論じるのは難しい(本人は義務感からやっていても、子供にとっては虐待というケースもよくあるし)ですが、まあ、社会的に考えた場合、大人は子供の前では規範的に振る舞おうとする方が正常と見なされるので、やはり「リラックス」しちゃうのはおかしいんですよ。
(2)のリスクですが、これは法規とも絡む問題で、たとえば18歳未満との性行為が条例に抵触する可能性がある、あるいは両親から訴訟される可能性がある、という状況下で、わざわざ肉体的に劣っている未成年者とSEXするだけの価値があるか、という話です。まあ、ぶっちゃけないわけです。
私自身がポルノ業界にいて、今まで×百人ぐらい女性を見てますけど、18歳、19歳でがっちり感じられた女の子なんて2人ぐらいしかいません。率にしたら1%未満ですよ。そんな詰まらない相手と、わざわざリスクを犯してまでSEXしたいのかと言えば、普通はしたくないです。
(続く)
保護者としての義務感に関しては、これを強く感じる人とそうでない人に分かれるため、どちらがノーマルかを論じるのは難しい(本人は義務感からやっていても、子供にとっては虐待というケースもよくあるし)ですが、まあ、社会的に考えた場合、大人は子供の前では規範的に振る舞おうとする方が正常と見なされるので、やはり「リラックス」しちゃうのはおかしいんですよ。
(2)のリスクですが、これは法規とも絡む問題で、たとえば18歳未満との性行為が条例に抵触する可能性がある、あるいは両親から訴訟される可能性がある、という状況下で、わざわざ肉体的に劣っている未成年者とSEXするだけの価値があるか、という話です。まあ、ぶっちゃけないわけです。
私自身がポルノ業界にいて、今まで×百人ぐらい女性を見てますけど、18歳、19歳でがっちり感じられた女の子なんて2人ぐらいしかいません。率にしたら1%未満ですよ。そんな詰まらない相手と、わざわざリスクを犯してまでSEXしたいのかと言えば、普通はしたくないです。
(続く)
- 2010-05-24
- 編集
[C3760] 忍さん
更に更に続きです。
長々と書いてきてしまいましたが、問題なのは社会的通念の性的興奮と、生理学的な性的興奮が、真逆なのがこの手の議論を混乱させる理由になっていることはお解りいただけたでしょうか? つまり、性的な興奮というのは社会通念では、文字通りの興奮、生理学的には交感神経の活性化によって起こると考えられているのに対して、実際のSEXは副交感神経の活性化が必須です。
だから、本来は子供に対して「みだりに興奮するな」という法律を作ることそのものがおかしな状況(現実の小児性愛者は、子供を見ると無抵抗な存在に思え、そこで安心して副交感神経が活性化されて勃起する)だと言えるんですが、何事にも例外はあって、子供を見ると勃起して、視野狭窄状態になって襲っちゃう男性もいるわけです。
そういう人を抑止するためにある法律に、きちんとした根拠付けをするのは難しく、とりあえず年齢問題や同意問題をフレームアップさせているというのが実体じゃないでしょうか?
長々と書いてきてしまいましたが、問題なのは社会的通念の性的興奮と、生理学的な性的興奮が、真逆なのがこの手の議論を混乱させる理由になっていることはお解りいただけたでしょうか? つまり、性的な興奮というのは社会通念では、文字通りの興奮、生理学的には交感神経の活性化によって起こると考えられているのに対して、実際のSEXは副交感神経の活性化が必須です。
だから、本来は子供に対して「みだりに興奮するな」という法律を作ることそのものがおかしな状況(現実の小児性愛者は、子供を見ると無抵抗な存在に思え、そこで安心して副交感神経が活性化されて勃起する)だと言えるんですが、何事にも例外はあって、子供を見ると勃起して、視野狭窄状態になって襲っちゃう男性もいるわけです。
そういう人を抑止するためにある法律に、きちんとした根拠付けをするのは難しく、とりあえず年齢問題や同意問題をフレームアップさせているというのが実体じゃないでしょうか?
- 2010-05-24
- 編集
[C3761]
丁寧な回答をありがとうございます。
「性的虐待が心に治らない傷を作る」なんてことはなくて、治らないで苦しんでいる状況には自分が大きな役割を(意図せずとも)演じていると今は感じてきています。
リラックスすると勃起するというのは目から鱗でした。攻撃的な興奮と性的興奮は近いものだと何となく思っていました。
法律で子供との性行為を制限しているのは、明確にそれをする事自体が悪いということではなく、それをやろうとする人の行為は危険が多いから…という理解でいいのでしょうか。だとすると、「子供とやって何が悪い」と子供との性行為規制に反対する人を説得しようとするのは不毛な、不必要なことになるのでしょうか…。
他のエントリも含め、いろいろと気付かせて頂きました。ありがとうございます。
「性的虐待が心に治らない傷を作る」なんてことはなくて、治らないで苦しんでいる状況には自分が大きな役割を(意図せずとも)演じていると今は感じてきています。
リラックスすると勃起するというのは目から鱗でした。攻撃的な興奮と性的興奮は近いものだと何となく思っていました。
法律で子供との性行為を制限しているのは、明確にそれをする事自体が悪いということではなく、それをやろうとする人の行為は危険が多いから…という理解でいいのでしょうか。だとすると、「子供とやって何が悪い」と子供との性行為規制に反対する人を説得しようとするのは不毛な、不必要なことになるのでしょうか…。
他のエントリも含め、いろいろと気付かせて頂きました。ありがとうございます。
- 2010-05-24
- 編集
[C3762] 忍さん
痴漢常習者、強姦魔、そして小児性愛者の一部に説得は無意味なのでは? 彼らが、相手が無抵抗→安心できる→副交感神経が活性化→勃起というルートを辿って犯罪に及んでいるのは明らかで、考えただけでうんざりします。
また、このような相手に児童との性行為は(児童に)リスクを伴うと主張しても、馬の耳に念仏なのは事前に予想が付きます。痴漢の常習者が自己正当化する際に使う呪文は、「痴漢をしても人が死ぬわけじゃない。だから、痴漢は大したことじゃない」です。
こういう人間を翻意させるのは不可能に近く、物理的に罰を与えるぐらいしか対処法が見つかりません。(続く)
また、このような相手に児童との性行為は(児童に)リスクを伴うと主張しても、馬の耳に念仏なのは事前に予想が付きます。痴漢の常習者が自己正当化する際に使う呪文は、「痴漢をしても人が死ぬわけじゃない。だから、痴漢は大したことじゃない」です。
こういう人間を翻意させるのは不可能に近く、物理的に罰を与えるぐらいしか対処法が見つかりません。(続く)
- 2010-05-25
- 編集
[C3763] 忍さん
ただし、予め言っておきますが、だからといって加害者批判を止めろと言うわけではありません。説得は無意味なので、ケツに蹴りを入れるぐらいの勢いで「何で勃起してんだよ。ふざけんな!」とやった方が精神的にもスッキリするんじゃないかと言いたいだけです。また、そのためのロジカルな攻撃方法を知りたければ、私がこのブログで幾らでもサジェスチョンを致します。まあ、遠慮なくやっちゃって下さい。
最後になりますが、治療が上手くいくことを心から願っております。いつまでも嫌な記憶に人生を支配されるのは時間の無駄で、どこかでこの記憶と折り合いをつけねばなりません(忘れろと言ってるわけじゃないですよ。念のため)。
最後になりますが、治療が上手くいくことを心から願っております。いつまでも嫌な記憶に人生を支配されるのは時間の無駄で、どこかでこの記憶と折り合いをつけねばなりません(忘れろと言ってるわけじゃないですよ。念のため)。
- 2010-05-25
- 編集
[C3764] 興奮とリラックス
興奮してるだけじゃ勃たないってコトです。
性交中は激しく無防備になりますから、警戒を必要とする状態、すなわち緊張状態だとできないようになってるんですね。
コレはおよそ哺乳動物が種として成り立って以来、ずーっっっとかかって獲得した性質なんで、もちろん人類にも備わっちゃってるのネ。そらー時とところわきまえず、のべつヤってちゃ外敵にヤられちゃいますから、生き残れやしません。多くの動物に発情期があるのも同様な理由です。
当然ものっそ深いトコに根を下ろしてる性質だから、逆らいよーがありません。
ふつーの人が人に見られてると勃たないのと一緒ね。ま、ココいらはそっちのプロの鳥山さんは実感としてご存知でしょーが。くわしくは知りませんが、出演者がそーゆー気になるために回りはそーとー気を配ってるんだと思いますヨ。
つまり、誰もいないトコで互いに同意の上で、警戒心が完全に解けて初めてそーゆー本能的なスイッチが入るもんなんです。
本来できない状況でできるためには、なんか特別な心理的迂回路で緊張状態を回避せにゃイカンわけで、鳥山さんが言ってるよーな暴力とか相手の軽視とかが必要になっちゃう、と。
性交中は激しく無防備になりますから、警戒を必要とする状態、すなわち緊張状態だとできないようになってるんですね。
コレはおよそ哺乳動物が種として成り立って以来、ずーっっっとかかって獲得した性質なんで、もちろん人類にも備わっちゃってるのネ。そらー時とところわきまえず、のべつヤってちゃ外敵にヤられちゃいますから、生き残れやしません。多くの動物に発情期があるのも同様な理由です。
当然ものっそ深いトコに根を下ろしてる性質だから、逆らいよーがありません。
ふつーの人が人に見られてると勃たないのと一緒ね。ま、ココいらはそっちのプロの鳥山さんは実感としてご存知でしょーが。くわしくは知りませんが、出演者がそーゆー気になるために回りはそーとー気を配ってるんだと思いますヨ。
つまり、誰もいないトコで互いに同意の上で、警戒心が完全に解けて初めてそーゆー本能的なスイッチが入るもんなんです。
本来できない状況でできるためには、なんか特別な心理的迂回路で緊張状態を回避せにゃイカンわけで、鳥山さんが言ってるよーな暴力とか相手の軽視とかが必要になっちゃう、と。
- 2010-05-25
- 編集
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なんつーか、互いが互いを煽りまくって危機感が拡大していく感じ? しかもなぜか歯止めが利かない。
マスコミ「チャイルドポルノビジネスは拡大する一方! 被害者は○万人!」
国民「そーなんやろうか。怖いわぁ」
政治家「国民の皆様の真摯な意見を鑑み、子どもたちの安全を守るための法規制を実施します」
マスコミ「法の穴をすり抜けるこんな凶悪事件が! あなたの娘もいつ犠牲になるか…」
国民「政治家はなにやってるんだ? 不安で夜も眠れない!」
政治家「児童ポルノを撲滅するために単純所持を規制いたします。性犯罪者には去勢を実施いたします。これは国民の権利を侵すものではありません。」
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しかもまだ止まりそうにないのが怖い。