王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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ノンフィクション製作で受けたダメージが深刻。脳の調子がちっとも戻りません。こりゃあ、あかんわいということで、リハビリを兼ねて以前から懸案だった『巨大娘』フェチの研究に入る。
巨大娘というのは、要するに「サイズの大きな女性」の総称なんだけど、「女性が巨大化する」ケースと、「常識的な範囲で女性が高身長」というケース、そしてやや変則だが「男性が縮む」というケースに大別される。一番最後のケースは、シュリンカーという別名があり、別個のジャンルとして扱われる場合もあるようだ。
で、それぞれの作品を通覧していったのだが、ほぼすべてに共通しているのが「ボディコミュニケーションの不全」、あるいは「ボディコミュニケーションの困難性」をテーマにしている点である。要するに、男女のサイズがあまりにも違いすぎるので、普通に手を繋いだり、ベタベタしたり、セックスをしたり……ということが不可能(あるいは難しい)なのだ。結果として、こうした世界における男女関係は、
1)巨大女性が一方的に男性を虐待
2)巨大女性が一方的に男性を受容
3)小さい男性が女性に見つからないようにして、こっそりあんなことやこんなことを……
というパターンのいずれかにならざるを得ない。また、こうしたシチュエーション、すなわちボディコミュニケーションの不全に対してリアリティを持てるかどうかが、このフェティシズムに共感できるかどうかの分水嶺となる。
そこで、巨大娘をテーマにした作品の大多数は、ボディコミュニケーションは不可能なのに、会話「だけ」は可能だという構成になっている。つまり、正常な形での身体接触はできないが、言語でのやりとりは普通にできてしまうのである。また、前述の点が強調された作品は、作者の意図にかかわらず、コミカルな要素が強く含まれるようになる。これは当然で、サイズがあまりにも違う存在同士では、会話によるコミュニケーションもできないと考えるのが普通だからだ。
日本の商業場で『巨大娘』を扱う際に難しいのは、実はこの点にある。つまり、日本の商業場における重要事は「内心の吐露」にあるのに、巨大娘ネタは内心の部分がかなりノーマル、かつ種類が3つもあるのだ。
これは、商業場が成立している他の性嗜好と比較すると明白だ。たとえば、前回まで私が取り組んでいたミソジニーなどは、「美少女は俺のことを相手にしてくれない」や「女性は社会で得をしている」的な被害妄想や強迫観念がベースにあり、そのバリエーションと比較するとコアの構造は驚くほど単純である。
また、性嗜好としてはミソジニーの類縁に当たる人形愛好も、生身の女性への潔癖性、神経症的な嫌悪感、もしくは会話も含めたコミュニケーションの不全が逆転し、模倣物であるはずの人形の価値が生身を超えるという、非常に分かりやすいコアがある。
ところが、前述のように巨大娘ネタには、「ボディコミュニケーションの不全」という共通したシチュエーションがあるだけで、ミソジニーやピグマリオニズムが持っている心理的なコアが無い。無いというのは不正確で、正確には複数存在するのだが、これを一つにまとめて単純化することが難しい。
敢えて統合するのであれば、やはりマゾヒズムということになるんだけど、そうするとこのネタのキモである、「精神的には正常だけれども、サイズの違いが原因で上手くボディコミュニケーションがとれない」というシチュエーションの意味性が薄まってしまう。マニアは当然そうしたグラデーションの濃淡には敏感だろうし……難しいね。もう少し、パターンを幾つか考えてみよう。
個人的には、巨大と聞くと「娘」よりも「女」の方がしっくりくる。具体的には、パール兄弟の『鉄カブトの女』のPVとか、『ゾルタン星人』のラストなんかは私のイメージにかなり近い。ただ、調べていると、「巨大娘」と「巨女」はジャンルとしては違う(巨女の方がマゾヒズム性が強い)ことになってるみたいで、この辺の扱いには細心の注意が必要とされそうだ。
巨大娘というのは、要するに「サイズの大きな女性」の総称なんだけど、「女性が巨大化する」ケースと、「常識的な範囲で女性が高身長」というケース、そしてやや変則だが「男性が縮む」というケースに大別される。一番最後のケースは、シュリンカーという別名があり、別個のジャンルとして扱われる場合もあるようだ。
で、それぞれの作品を通覧していったのだが、ほぼすべてに共通しているのが「ボディコミュニケーションの不全」、あるいは「ボディコミュニケーションの困難性」をテーマにしている点である。要するに、男女のサイズがあまりにも違いすぎるので、普通に手を繋いだり、ベタベタしたり、セックスをしたり……ということが不可能(あるいは難しい)なのだ。結果として、こうした世界における男女関係は、
1)巨大女性が一方的に男性を虐待
2)巨大女性が一方的に男性を受容
3)小さい男性が女性に見つからないようにして、こっそりあんなことやこんなことを……
というパターンのいずれかにならざるを得ない。また、こうしたシチュエーション、すなわちボディコミュニケーションの不全に対してリアリティを持てるかどうかが、このフェティシズムに共感できるかどうかの分水嶺となる。
そこで、巨大娘をテーマにした作品の大多数は、ボディコミュニケーションは不可能なのに、会話「だけ」は可能だという構成になっている。つまり、正常な形での身体接触はできないが、言語でのやりとりは普通にできてしまうのである。また、前述の点が強調された作品は、作者の意図にかかわらず、コミカルな要素が強く含まれるようになる。これは当然で、サイズがあまりにも違う存在同士では、会話によるコミュニケーションもできないと考えるのが普通だからだ。
日本の商業場で『巨大娘』を扱う際に難しいのは、実はこの点にある。つまり、日本の商業場における重要事は「内心の吐露」にあるのに、巨大娘ネタは内心の部分がかなりノーマル、かつ種類が3つもあるのだ。
これは、商業場が成立している他の性嗜好と比較すると明白だ。たとえば、前回まで私が取り組んでいたミソジニーなどは、「美少女は俺のことを相手にしてくれない」や「女性は社会で得をしている」的な被害妄想や強迫観念がベースにあり、そのバリエーションと比較するとコアの構造は驚くほど単純である。
また、性嗜好としてはミソジニーの類縁に当たる人形愛好も、生身の女性への潔癖性、神経症的な嫌悪感、もしくは会話も含めたコミュニケーションの不全が逆転し、模倣物であるはずの人形の価値が生身を超えるという、非常に分かりやすいコアがある。
ところが、前述のように巨大娘ネタには、「ボディコミュニケーションの不全」という共通したシチュエーションがあるだけで、ミソジニーやピグマリオニズムが持っている心理的なコアが無い。無いというのは不正確で、正確には複数存在するのだが、これを一つにまとめて単純化することが難しい。
敢えて統合するのであれば、やはりマゾヒズムということになるんだけど、そうするとこのネタのキモである、「精神的には正常だけれども、サイズの違いが原因で上手くボディコミュニケーションがとれない」というシチュエーションの意味性が薄まってしまう。マニアは当然そうしたグラデーションの濃淡には敏感だろうし……難しいね。もう少し、パターンを幾つか考えてみよう。
個人的には、巨大と聞くと「娘」よりも「女」の方がしっくりくる。具体的には、パール兄弟の『鉄カブトの女』のPVとか、『ゾルタン星人』のラストなんかは私のイメージにかなり近い。ただ、調べていると、「巨大娘」と「巨女」はジャンルとしては違う(巨女の方がマゾヒズム性が強い)ことになってるみたいで、この辺の扱いには細心の注意が必要とされそうだ。
10件のコメント
[C523]
- 2008-07-22
- 編集
[C535] Sevenさん
背が高い女性を男役にするという発想は、実は「女性的」です。問題は背が高い=男性的という既成概念にあるんでしょう。
また、まほきゃすはカマヤンと並んでオタクの政治参加のパイオニアという意味で重要な人物です。どちらもロリコン、かつ権威主義的な傾向があり、学術界のゴロツキに洗脳されてしまったという点で他山と石とすべきでしょう。要するに、対他関係に於いて上下関係しか想像できず、権威を押しつけられると、どんな滅茶苦茶な理屈でも盲信し、精神的に屈服してしまうんですね。私自身は、この手のパーソナリティーが理解できず、「何で反抗できない?」と思うんですが、知人の説明によると幼少期に徹底した抑圧を親権者から受けると、このような人格になりやすいとのことです。本当かな?
最後に経済に関してですが、アメリカが低税率国で借金大国であることは失念しないようにして下さい。要するに、アメリカは税率を上げさえすれば事態に対処可能です。共和党は政治信条から税率の引き上げに踏み切らないだけで、やろうと思えばいつでもできるんです。戦前の日本の官僚はこれが理解できず、アメリカの国力を見誤りました。
また、まほきゃすはカマヤンと並んでオタクの政治参加のパイオニアという意味で重要な人物です。どちらもロリコン、かつ権威主義的な傾向があり、学術界のゴロツキに洗脳されてしまったという点で他山と石とすべきでしょう。要するに、対他関係に於いて上下関係しか想像できず、権威を押しつけられると、どんな滅茶苦茶な理屈でも盲信し、精神的に屈服してしまうんですね。私自身は、この手のパーソナリティーが理解できず、「何で反抗できない?」と思うんですが、知人の説明によると幼少期に徹底した抑圧を親権者から受けると、このような人格になりやすいとのことです。本当かな?
最後に経済に関してですが、アメリカが低税率国で借金大国であることは失念しないようにして下さい。要するに、アメリカは税率を上げさえすれば事態に対処可能です。共和党は政治信条から税率の引き上げに踏み切らないだけで、やろうと思えばいつでもできるんです。戦前の日本の官僚はこれが理解できず、アメリカの国力を見誤りました。
- 2008-07-26
- 編集
[C567] だがそれがいい!
クラン・クランはデッカいほーが萌ゆる!そいつァガチだ。
で、アレはイザできるサイズになっちまうと萎えキャラになるっちうそこいらのジレンマつうか隔靴掻痒っぷりがいーんじゃないの。
で、アレはイザできるサイズになっちまうと萎えキャラになるっちうそこいらのジレンマつうか隔靴掻痒っぷりがいーんじゃないの。
- 2008-08-07
- 編集
[C575] 電気屋さん
いや、そこでですね。
あえて、普通サイズになったクランも大人の女性の格好のままで、自分だけ幼児化したつもりになっているという設定で、似合わない幼児風のコスプレをですね(以下略)。
あえて、普通サイズになったクランも大人の女性の格好のままで、自分だけ幼児化したつもりになっているという設定で、似合わない幼児風のコスプレをですね(以下略)。
- 2008-08-09
- 編集
[C576] 568さん
近いネタは複数存在します。
ただ、大体挿入された男性側が酷い目に遭います(場合によっては窒息死する)。
要するに、普通に出来るセックスが普通に出来ないんです。
ここが巨大ネタの大切なファクターの一つでしょう。でも、発想そのものは健全ですよね。
ただ、大体挿入された男性側が酷い目に遭います(場合によっては窒息死する)。
要するに、普通に出来るセックスが普通に出来ないんです。
ここが巨大ネタの大切なファクターの一つでしょう。でも、発想そのものは健全ですよね。
- 2008-08-09
- 編集
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巨大娘というか高身長な「大女」の類は、
オタク業界では男女(男性的な女性)として扱われる場合が多いように思いますね。なんとなくですけれど。
やっぱり自分より背が高い女性は「女」として認識しにくいんですかねー。
……でも、身長172センチほどで「男女」キャラになっている場合もあるのは何故でしょう?
自分の身長が180以上あったりすると、「この子のどこが大女なの?」と思ってしまうんじゃないですか。
そういえば、「まほきゃす」なる有名電波さんは、
あらゆる女性は男性より小さくなくてはならぬから、
遺伝子操作や栄養管理による「女性の小型化政策」を推進するべきだ、
とか言う、ものすごい事をHPで宣ってましたね。
彼に言わせると、小男と大女のカップルなどというのは「左翼フェミニストの陰謀」なんだそうで、
男も女も小柄な方がよいのだ、マッチョな大男は悪だ、スポーツマンは駄目だと痛々しいほど必死に訴えてました。
私は彼に一度も会った事はありませんが、「チビ乙」と思わず呟いてしまいましたよ。
話題は変わって、毎日新聞ですが、
ライアン・コネルの記事が米州機構(OAS)の人身売買に関する調査の「出典」になってたの言うのは、ホントですかね。
ttp://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/07/52oas_d3a8.html
ついでに更に話題を変えると、ちまちまチェックしている経済問題ですが、
フレディマックとファニーメイがひっくり返りそうでして、
これを公費で救済すると、米国の負債が突然倍加する→ドルの信用失墜。
放置して潰す→ここに多額の投資をしている中国・日本・ロシアに大打撃が出る(特に1位の中国)。
しかも住宅価格の更なる下落は確定的。
という八方塞がりの状態になりつつあるようです。