王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
Entries
ここまでの流れは文章化しても分かりづらいので、ここでもう一度ナンバリングをすることによって理論の再整理をしてみましょう。
男性の性衝動を「性的興奮から射精まで」と単純化して規定すると、
1)男性は性的に興奮し、射精さえできればそれでいいので、生身の女性を相手にしたセックスと、マスターベーションの間の差異が消失、あるいは極小化する。このため、性的な経験が豊富でなくとも、生身の女性を相手にしたセックスについて言及する知識や見識があるような錯覚を抱ける。
2)(1)と同様の理由から、性行為の対象が生きている人間であるか、またはその残映に過ぎない写真であるか、あるいはポルノ作品に登場する架空の人物であるかどうかを斟酌せずに済む。その結果として、幻想と現実の境界線が曖昧になるという、誤った確信が持てるようになる。
3)(1)と同様の理由から、仮に実在する生身の女性と性行為をしていても、相手の女性が性的に満足しているか、あるいは不快に感じているかを斟酌せずに済むようになる。つまり、セックスの優先順位が己の射精にある以上、相手の女性は自らが射精をするための補助的な役割を担う存在に過ぎない。このため、男女の性行為を「男性による女性への性的搾取」であるという誤った確信を抱くことが可能になる。これと同時に、性行為中の男性の能力、すなわち女性を性的に悦ばせるためのスキルや能力を、完全に無視することが可能になる。
4)(1)と同様の理由から、女性の性欲の有無、及びに女性の性的な嗜好について斟酌する必要が無くなる。その結果として(1)と同様に、生身の女性から直接話を聞く必要もなくなるので、女性を対象とした性に関する意識調査をする必要性を感じなくなるのと同時に、そうした調査結果を無視することが可能になる。
5)性的興奮から射精へと至るプロセスは、大多数の男性に当てはまるため、これを理論の中核に据えると普遍的な性行動に関する理論構築が行えるような錯覚を抱けるようになる。
という感じになります。そして、このように順序立てて書けば分かるように、規制推進派の、もっと正確に述べるのであれば杉田を中心とするAPPの理論には強固な一貫性があり、ポルノ根絶という主張は感情論として継続しているのではなく論理的な帰結として行われていることも分かります。
ところが、今まで散々書いてきた通り、彼らの理論は現実との間に甚だしい乖離があり、仮に強固な一貫性があったとしても既に破綻をしてしいます。にもかかわらず、この点に関して私以外の人間からも散々指摘をされたにもかかわらず、彼らは自己の理論を放棄しようとはしません。
その理由は幾つかあると思われます。中でもAPPの主要メンバーに学術関係者が多く、これまで説明してきた理論(?)を学術誌やそれに近しい媒体で多数発表してしまっているため、自説の撤回が自身の実績破棄に繋がってしまうので、間違っていると判明した後も修正できない、という面があることは覚えておくべきでしょう。公共事業を止められない官僚と一緒です。
同時に、これは推測に過ぎませんが、APPに参加している男性の大半が、射精をセックスのプライオリティの1番か2番に持ってくるタイプである可能性が極めて高いと考えざるを得ません。まず、このタイプでなければ上記の理論を思いつく、あるいは実感できるはずがありません。実は、表現規制派と反対派の大部分に認識の差があるのはこれが原因で、反対派の大多数は、まさか規制派が射精をセックスのプライオリティの最上位において、理論構築を行っているとは思っていないんです。
つまり、射精をセックスのプライオリティの上位に置かない男性にとって、マスターベーションとセックスが等価であるという実感はもてず、そもそもその理由が想像できません。私自身もフィールドワークを行うまでは、こうした価値観があることに気づきもしませんでした。
これはどうしてかというと、(こんな説明をしなければならない事が恥ずかしいことですが)生身の女性と想像上の女性は違うという認識があるからです。実在する女性はそれぞれに個性があり、性的嗜好も異なり、男性に対する反応も違います。これに対して、想像上の女性は容姿や性格も含めて自分自身が自由に操れるので、論理的にまったく異なる存在だと認識せざるを得ません。
それ以前に、想像上の女性と実在する女性を同一視することは、実在する女性に対して「非常に失礼」な行為で、子供ならともかく大人の男性はすべきでないと考えられています。何故なら、目の前にいる生身の女性に注目しない、あるいは目の前にいる生身の女性を常に想像上の女性と比較していることになるからです。これは対他関係における基本的なマナーに抵触していると解釈するのが通常です。
ところが、長期間に亘る調査の結果として分かってきたのは、規制推進派に属する男女や、そのシンパの大多数は、これをマナー違反だとは認識できず、むしろ性的虐待や性的搾取の証拠と受け取っているらしいのです。
たとえば、一番最初に戻って紙屋研究所の杉田聡『男権主義的セクシュアリティ』の一文を引用してみましょう。
彼女は、同じサークルで、しかも「進歩的」とおぼしき人々が集まる場所で、男性たちの手によって水着の女性のグラビアが載った雑誌が無造作に放っておかれることに、どうしようもないほどの不快感をおぼえていた。
これは典型的なマナー違反です。何故かというと、置かれていたのが水着グラビアだからです。水着グラビアの大半は、主に女性のバストを鑑賞する目的で撮影されます。こうした写真を女性の眼前に無造作に置いておけば、必ず目の前にいる女性のバストと水着グラビアの女性のバストを「比較する」失礼な輩が現れます。だから、常識的な男性であれば、水着グラビアを女性の目につく場所に置くということはまずありません。これは、裸体を扱うポルノ業界でも同様で、私の仕事場にもこの手の写真は一切置いてありません。
これでもマナー違反であるという実感が持てないのであれば、男女を逆転してシミュレーションしてみるのが良いでしょう。たとえば、男性がよく来る場所にブリーフ一枚で股間を勃起させた男性の写真が置いてあったとしましょう。その写真を女性達が見ながら、面前の男性と股間を比較して「あんたのチ○チン、小さいわねぇ」とやられたら、実際に短小の男性の大半は不快な感情を抱くでしょう。
でも、こんな説明をするまでもなく、普通に男女交際を経験した男性なら、彼女に水着グラビアを破られたり、彼女と一緒に町を歩いている最中に、ちょっと横目で別の女性を見たせいで手酷い暴力を受けたりした経験はあるでしょ? 普通は、そこから「あ、これはやっちゃいけないことなんだ」って学習するものなんですよ。え、ない? 何故?
……という冗談はさておき、「水着グラビア」が男女差別の象徴でないことは、イスラム圏の男女差別を考えれば明らかです。原理的なイスラム教国では女性がヴェールを被ることを義務づけられており、スポーツ観戦の禁止や就学の制限など、様々な差別を受けている場合があります。つまり、肌の露出の度合いそのものが問題なのではなく、そうした写真と生身の人間を同列に比較する行為が問題なんです。
これは実在しない女性、すなわちマンガやアニメの登場人物を用いた水着グラビアでも同様で、女性に対してこれらの図像を無造作に提示することは「極めて失礼な行為」に該当します。残念なことに、規制反対派の一部には、この手の男性が存在しており、2次元の女性と生身の女性を比較する行為を平然と行っているケースが見受けられます。こういう愚行を続ける限り、普通の女性からの支持はまず見込めないんですが、何度言っても止められないようです。
男性の性衝動を「性的興奮から射精まで」と単純化して規定すると、
1)男性は性的に興奮し、射精さえできればそれでいいので、生身の女性を相手にしたセックスと、マスターベーションの間の差異が消失、あるいは極小化する。このため、性的な経験が豊富でなくとも、生身の女性を相手にしたセックスについて言及する知識や見識があるような錯覚を抱ける。
2)(1)と同様の理由から、性行為の対象が生きている人間であるか、またはその残映に過ぎない写真であるか、あるいはポルノ作品に登場する架空の人物であるかどうかを斟酌せずに済む。その結果として、幻想と現実の境界線が曖昧になるという、誤った確信が持てるようになる。
3)(1)と同様の理由から、仮に実在する生身の女性と性行為をしていても、相手の女性が性的に満足しているか、あるいは不快に感じているかを斟酌せずに済むようになる。つまり、セックスの優先順位が己の射精にある以上、相手の女性は自らが射精をするための補助的な役割を担う存在に過ぎない。このため、男女の性行為を「男性による女性への性的搾取」であるという誤った確信を抱くことが可能になる。これと同時に、性行為中の男性の能力、すなわち女性を性的に悦ばせるためのスキルや能力を、完全に無視することが可能になる。
4)(1)と同様の理由から、女性の性欲の有無、及びに女性の性的な嗜好について斟酌する必要が無くなる。その結果として(1)と同様に、生身の女性から直接話を聞く必要もなくなるので、女性を対象とした性に関する意識調査をする必要性を感じなくなるのと同時に、そうした調査結果を無視することが可能になる。
5)性的興奮から射精へと至るプロセスは、大多数の男性に当てはまるため、これを理論の中核に据えると普遍的な性行動に関する理論構築が行えるような錯覚を抱けるようになる。
という感じになります。そして、このように順序立てて書けば分かるように、規制推進派の、もっと正確に述べるのであれば杉田を中心とするAPPの理論には強固な一貫性があり、ポルノ根絶という主張は感情論として継続しているのではなく論理的な帰結として行われていることも分かります。
ところが、今まで散々書いてきた通り、彼らの理論は現実との間に甚だしい乖離があり、仮に強固な一貫性があったとしても既に破綻をしてしいます。にもかかわらず、この点に関して私以外の人間からも散々指摘をされたにもかかわらず、彼らは自己の理論を放棄しようとはしません。
その理由は幾つかあると思われます。中でもAPPの主要メンバーに学術関係者が多く、これまで説明してきた理論(?)を学術誌やそれに近しい媒体で多数発表してしまっているため、自説の撤回が自身の実績破棄に繋がってしまうので、間違っていると判明した後も修正できない、という面があることは覚えておくべきでしょう。公共事業を止められない官僚と一緒です。
同時に、これは推測に過ぎませんが、APPに参加している男性の大半が、射精をセックスのプライオリティの1番か2番に持ってくるタイプである可能性が極めて高いと考えざるを得ません。まず、このタイプでなければ上記の理論を思いつく、あるいは実感できるはずがありません。実は、表現規制派と反対派の大部分に認識の差があるのはこれが原因で、反対派の大多数は、まさか規制派が射精をセックスのプライオリティの最上位において、理論構築を行っているとは思っていないんです。
つまり、射精をセックスのプライオリティの上位に置かない男性にとって、マスターベーションとセックスが等価であるという実感はもてず、そもそもその理由が想像できません。私自身もフィールドワークを行うまでは、こうした価値観があることに気づきもしませんでした。
これはどうしてかというと、(こんな説明をしなければならない事が恥ずかしいことですが)生身の女性と想像上の女性は違うという認識があるからです。実在する女性はそれぞれに個性があり、性的嗜好も異なり、男性に対する反応も違います。これに対して、想像上の女性は容姿や性格も含めて自分自身が自由に操れるので、論理的にまったく異なる存在だと認識せざるを得ません。
それ以前に、想像上の女性と実在する女性を同一視することは、実在する女性に対して「非常に失礼」な行為で、子供ならともかく大人の男性はすべきでないと考えられています。何故なら、目の前にいる生身の女性に注目しない、あるいは目の前にいる生身の女性を常に想像上の女性と比較していることになるからです。これは対他関係における基本的なマナーに抵触していると解釈するのが通常です。
ところが、長期間に亘る調査の結果として分かってきたのは、規制推進派に属する男女や、そのシンパの大多数は、これをマナー違反だとは認識できず、むしろ性的虐待や性的搾取の証拠と受け取っているらしいのです。
たとえば、一番最初に戻って紙屋研究所の杉田聡『男権主義的セクシュアリティ』の一文を引用してみましょう。
彼女は、同じサークルで、しかも「進歩的」とおぼしき人々が集まる場所で、男性たちの手によって水着の女性のグラビアが載った雑誌が無造作に放っておかれることに、どうしようもないほどの不快感をおぼえていた。
これは典型的なマナー違反です。何故かというと、置かれていたのが水着グラビアだからです。水着グラビアの大半は、主に女性のバストを鑑賞する目的で撮影されます。こうした写真を女性の眼前に無造作に置いておけば、必ず目の前にいる女性のバストと水着グラビアの女性のバストを「比較する」失礼な輩が現れます。だから、常識的な男性であれば、水着グラビアを女性の目につく場所に置くということはまずありません。これは、裸体を扱うポルノ業界でも同様で、私の仕事場にもこの手の写真は一切置いてありません。
これでもマナー違反であるという実感が持てないのであれば、男女を逆転してシミュレーションしてみるのが良いでしょう。たとえば、男性がよく来る場所にブリーフ一枚で股間を勃起させた男性の写真が置いてあったとしましょう。その写真を女性達が見ながら、面前の男性と股間を比較して「あんたのチ○チン、小さいわねぇ」とやられたら、実際に短小の男性の大半は不快な感情を抱くでしょう。
でも、こんな説明をするまでもなく、普通に男女交際を経験した男性なら、彼女に水着グラビアを破られたり、彼女と一緒に町を歩いている最中に、ちょっと横目で別の女性を見たせいで手酷い暴力を受けたりした経験はあるでしょ? 普通は、そこから「あ、これはやっちゃいけないことなんだ」って学習するものなんですよ。え、ない? 何故?
……という冗談はさておき、「水着グラビア」が男女差別の象徴でないことは、イスラム圏の男女差別を考えれば明らかです。原理的なイスラム教国では女性がヴェールを被ることを義務づけられており、スポーツ観戦の禁止や就学の制限など、様々な差別を受けている場合があります。つまり、肌の露出の度合いそのものが問題なのではなく、そうした写真と生身の人間を同列に比較する行為が問題なんです。
これは実在しない女性、すなわちマンガやアニメの登場人物を用いた水着グラビアでも同様で、女性に対してこれらの図像を無造作に提示することは「極めて失礼な行為」に該当します。残念なことに、規制反対派の一部には、この手の男性が存在しており、2次元の女性と生身の女性を比較する行為を平然と行っているケースが見受けられます。こういう愚行を続ける限り、普通の女性からの支持はまず見込めないんですが、何度言っても止められないようです。
16件のコメント
[C1143]
- 2009-02-10
- 編集
[C1144]
>「エロマンガが許されるならユダヤ人虐殺を推奨するプロパガンダも許される事になる」
こういうことを言っていいなら
「ポルノのようなさして有害でないものを『有害情報』として社会から抹殺することは、ユダヤ人をドイツ社会の害毒とみなして抹殺したナチスの思考と同じ」
と返してもいいよねw
ちょうどナチスも「偉大なるアーリア人の精神を汚す」とかいって退廃芸術を弾圧してたし。
こういうことを言っていいなら
「ポルノのようなさして有害でないものを『有害情報』として社会から抹殺することは、ユダヤ人をドイツ社会の害毒とみなして抹殺したナチスの思考と同じ」
と返してもいいよねw
ちょうどナチスも「偉大なるアーリア人の精神を汚す」とかいって退廃芸術を弾圧してたし。
- 2009-02-10
- 編集
[C1145]
>同時に、これは推測に過ぎませんが、APPに参加している男性の大半が、射精をセックスのプライオリティの1番か2番に持ってくるタイプである可能性が極めて高いと考えざるを得ません。
というか単に童貞の妄想なのでは…
というか単に童貞の妄想なのでは…
- 2009-02-10
- 編集
[C1154] CBTさん
ナポレオンもヒトラーもスターリンもポルノを弾圧しているんですから、彼らが何をしたいのかは説明を受ける必要もないですよね。
スイーツ嫌いのオタクに関しては「こっちにいなけりゃあっち側」の人間としか思えません。純真な少女が好きというのは趣味趣向としては許せますが、そういう性癖を前提に反対活動をやられるのは迷惑で、いい加減にしろと思います。
スイーツ嫌いのオタクに関しては「こっちにいなけりゃあっち側」の人間としか思えません。純真な少女が好きというのは趣味趣向としては許せますが、そういう性癖を前提に反対活動をやられるのは迷惑で、いい加減にしろと思います。
- 2009-02-12
- 編集
[C1165] sugiさん
レーニンの人生を見れば明白なように、左翼というのは最初は「表現の自由」を訴えますが、本音は「自分たちの気に入らない表現は弾圧」です。
要は「自分嫌いな存在を排除しよう」という動機がない限り、あんな運動を起こすわけがないんですよ。これを突き詰めれば、社会からの抹殺になるのは説明をする必要もないでしょう。ホント、頭がどうかしていると思います。
要は「自分嫌いな存在を排除しよう」という動機がない限り、あんな運動を起こすわけがないんですよ。これを突き詰めれば、社会からの抹殺になるのは説明をする必要もないでしょう。ホント、頭がどうかしていると思います。
- 2009-02-14
- 編集
[C1166] 1145さん
これが、どうも違うようです。
前にも書きましたし、改めて(12)にも書きましたが、経験値はそれほどかんけいが無いというのが割と共通の見解になってます。
つまり、性的に興奮すると視野狭窄状態になる人間は、何度セックスをしても上達したり冷静になったりすることがありません。
前にも書きましたし、改めて(12)にも書きましたが、経験値はそれほどかんけいが無いというのが割と共通の見解になってます。
つまり、性的に興奮すると視野狭窄状態になる人間は、何度セックスをしても上達したり冷静になったりすることがありません。
- 2009-02-14
- 編集
[C1170] 鳥山さん
sugiさんの返信コメントで失礼しますが、
>レーニンの人生を見れば明白なように、左翼というのは最初は「表現の自由」を訴えますが、本音は「自分たちの気に入らない表現は弾圧」です。
これってまさに今のマスコミ関係(特にTV業界や新聞業界)の人達のことですよね(笑)しかもこの動きは不況になればなるほど顕著になっていくと思います。広告料金を支払う業者(団体)に左右されるという意味で。ん?でもそれだとその業者が左翼ってことに。でも受け入れてる時点でどちらも同じことですね。
>レーニンの人生を見れば明白なように、左翼というのは最初は「表現の自由」を訴えますが、本音は「自分たちの気に入らない表現は弾圧」です。
これってまさに今のマスコミ関係(特にTV業界や新聞業界)の人達のことですよね(笑)しかもこの動きは不況になればなるほど顕著になっていくと思います。広告料金を支払う業者(団体)に左右されるという意味で。ん?でもそれだとその業者が左翼ってことに。でも受け入れてる時点でどちらも同じことですね。
- 2009-02-14
- 編集
[C1190] Re: 鳥山さん
いや、それで合ってますよ。
前にも書きましたけど、旧ソ連がまだ存在していた頃のユニセフは、ソ連、中国よりの発展途上国の支援がメインでしたし。右か左かと言われたら、思いっきり左向きの団体で、これに宗教が加わっているんだから、そりゃあもう内部は凄い状況ですよ。
まあ、今後ネタとして書くつもりですけど、ユニセフは若年齢での婚姻を認めているイスラム聖典を大々的に否定することもやってないですしね。ホントに、もう凄い連中だと思いますよ。
前にも書きましたけど、旧ソ連がまだ存在していた頃のユニセフは、ソ連、中国よりの発展途上国の支援がメインでしたし。右か左かと言われたら、思いっきり左向きの団体で、これに宗教が加わっているんだから、そりゃあもう内部は凄い状況ですよ。
まあ、今後ネタとして書くつもりですけど、ユニセフは若年齢での婚姻を認めているイスラム聖典を大々的に否定することもやってないですしね。ホントに、もう凄い連中だと思いますよ。
- 2009-02-19
- 編集
[C1226] 1215さん
これは撮影を通して分かったことなんですけど、結局タテスジというのはパンツの横方向の張力によって生じるもので、パンツのサイドの紐が細くて身体に対して直角の位置にあるか、パンツが左右両方向へと同時に引っ張られるポージングをした時でないと発生しません。
だから、これを突き詰めると特定の衣装かポーズに対するフェティシズムになります。ただ、タテスジ好きはこれを上方向への張力と考えているフシがあって(原理的には確かにそうなんですが、現実の撮影の場では、腰から上での横方向になります)、お陰で原理が分かるまで苦労させられました。
私はノーパン派なので、こういう趣向に対しては?ですね。仕事じゃやりますが、ツボになってる部分が未だによく分かりません。
だから、これを突き詰めると特定の衣装かポーズに対するフェティシズムになります。ただ、タテスジ好きはこれを上方向への張力と考えているフシがあって(原理的には確かにそうなんですが、現実の撮影の場では、腰から上での横方向になります)、お陰で原理が分かるまで苦労させられました。
私はノーパン派なので、こういう趣向に対しては?ですね。仕事じゃやりますが、ツボになってる部分が未だによく分かりません。
- 2009-03-08
- 編集
[C1228] 1215 さん
いや、持って行くのは『スポーツアイ』でしょ。
写真の出来がアレだったので廃刊になっちゃいましたけど。
あの本で抜ける猛者を知っていましたが、今は何をしているんだろうなぁ。
写真の出来がアレだったので廃刊になっちゃいましたけど。
あの本で抜ける猛者を知っていましたが、今は何をしているんだろうなぁ。
- 2009-03-10
- 編集
コメントの投稿
0件のトラックバック
- トラックバックURL
- http://toriyamazine.blog.2nt.com/tb.php/205-e7ff6955
- この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
推奨するプロパガンダも許される事になる」とか言っちゃう訳ですねw
http://web.archive.org/web/20020528102155/http://www.app-jp.org/voice/02.04.17.html
>この手の男性
児ポ法改悪に反対するエントリを幾つも上げておきながら、一方で「スイーツ(笑)」などと
と言い放ってるオタ系ブログを見る度に、こりゃ駄目だと絶望的な気分になりますorz