王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
Entries
先々日から推敲作業が激化。寝るタイミングを逸して睡眠サイクルが狂い、大変なことに。私は自分で寝ようと思ったら寝られるクチなので、入眠に関しては年に数回しか失敗しない分だけ、寝るのに失敗した時のダメージが大きい。前回の日記の続きなど、とても書ける状況ではない。
編集作業は予定を最低でも2日はオーバーしている。つまり、最終入稿は31日の深夜になる見込み。原因は色々あるのだけれど、公にできることではないので伏せておく。推敲作業の合間をぬって、次回作の構想。
シミュレーションの結果、やはり倒叙型ミステリの構造が問題に。私は基本的にサスペンスの構造が大好きなので、どうしてもミステリの構造が好きになれない。予定調和で犯人の正体が明かされる、あるいはその逆という「試験問題をやらされているような感じ」に違和感があるのだ。
サブディレクターは、ミステリを内心吐露のフォーマットの1つとして積極的に評価している。ミステリ作品において、犯人が作品内に登場する人物である限り、犯人の感情と見た目の行動にギャップが生じるため(もちろん、犯人が動物だったり、作品に登場しない人物の場合は別だ)、必然的に内心表現のウェイトが高くなる。つまり、独創的なトリックとは別個に「犯行の動機」、あるいは「犯行の動機が形成される過程」が重要な要素となる。
ところが、この犯行の動機を探偵が推理として語る、あるいは犯人の内面として語られるシーンは、サスペンスの「速度」を著しく低下させる。たとえば、よくある推理小説のフォーマットだと、生き残った登場人物を一室に集めて、探偵が犯人当てと犯行の動機を語るという構成になるわけだが、サスペンスの場合は一刻も早く犯人を逮捕しないと次の事件が………という構成になるわけで、後者を選択した段階で内面の吐露などどうでもいいし、むしろ「犯人が捕まるかどうか?」、あるいは「次の犯行を防げるかどうか?」というサスペンス軸をぶれさせる夾雑物と化してしまうわけだ。
じゃあ、この2つを同時に表現できる方法があるかというと………実はあることはある。トリックスターを作ってしまえばいいのだ。ただし、こいつが上手く稼働してくれないと、作品の構成自体が死ぬ。コントロールが難しいよな。まあ、まだ実作業に取りかかっていないから、あれこれいじくり回して駄目だったら、作品自体を破棄してしまおう。
編集作業は予定を最低でも2日はオーバーしている。つまり、最終入稿は31日の深夜になる見込み。原因は色々あるのだけれど、公にできることではないので伏せておく。推敲作業の合間をぬって、次回作の構想。
シミュレーションの結果、やはり倒叙型ミステリの構造が問題に。私は基本的にサスペンスの構造が大好きなので、どうしてもミステリの構造が好きになれない。予定調和で犯人の正体が明かされる、あるいはその逆という「試験問題をやらされているような感じ」に違和感があるのだ。
サブディレクターは、ミステリを内心吐露のフォーマットの1つとして積極的に評価している。ミステリ作品において、犯人が作品内に登場する人物である限り、犯人の感情と見た目の行動にギャップが生じるため(もちろん、犯人が動物だったり、作品に登場しない人物の場合は別だ)、必然的に内心表現のウェイトが高くなる。つまり、独創的なトリックとは別個に「犯行の動機」、あるいは「犯行の動機が形成される過程」が重要な要素となる。
ところが、この犯行の動機を探偵が推理として語る、あるいは犯人の内面として語られるシーンは、サスペンスの「速度」を著しく低下させる。たとえば、よくある推理小説のフォーマットだと、生き残った登場人物を一室に集めて、探偵が犯人当てと犯行の動機を語るという構成になるわけだが、サスペンスの場合は一刻も早く犯人を逮捕しないと次の事件が………という構成になるわけで、後者を選択した段階で内面の吐露などどうでもいいし、むしろ「犯人が捕まるかどうか?」、あるいは「次の犯行を防げるかどうか?」というサスペンス軸をぶれさせる夾雑物と化してしまうわけだ。
じゃあ、この2つを同時に表現できる方法があるかというと………実はあることはある。トリックスターを作ってしまえばいいのだ。ただし、こいつが上手く稼働してくれないと、作品の構成自体が死ぬ。コントロールが難しいよな。まあ、まだ実作業に取りかかっていないから、あれこれいじくり回して駄目だったら、作品自体を破棄してしまおう。
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