王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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本日も撮影の準備&ミソジニー(女性嫌悪)に関するレクチャーを受ける。ようやく、ミソジニーのなんたるかが実感できるようになる。たとえば、あるミソジニストは制服のスカートを短くはいている女生徒を見ると、
1)あの女はわざと脚を露出している。
↓
2)つまり、あの女はわざと脚を見せることで男を誘っている。
↓
3)しかし、俺とセックスしてくれるわけではない。
↓
4)憎い! 憎い!
という感じで思考が推移していくらしい。つまり、このミソジニストはスカートの丈から「セックスしたい」という『メッセージ』を受け取っているような気になっているわけだ。すげえ。
こういう、『社会的メッセージ』の話を最初に読んだのは、確か中学時代に塾の講師から勧められて読んだ上野千鶴子の著作(セクシーギャルの研究だったかな?)が最初で、「女性が足を開いているポーズは男性を誘っているというメッセージ」みたいなことが書いてあって抱腹絶倒したものだが、これを地でいく男性が多数存在するとは思わなかった。
もちろん、上野もミソジニストも、その正体はただの被害妄想でしかない。電車の中で女子高生のグループが談笑していると「あいつらは俺のことを笑っているに違いない」と思いこんだり、駅のホームでサラリーマンが携帯で話をしていると、「あいつは俺の居場所を悪の組織に教えている」と思いこんでパニックになる人達とご同類だ。
それでは、なぜ彼らが自分と何の関係もない第三者の行動からメッセージを「読み取って」しまうかというと、「自分は特別な存在で、常に周囲から注目されているに違いない」という選民思想があるからだ。そして、この選民思想の正体が「注目を浴びたい」という承認欲求であることは説明の必要がないだろう。
つまり、被害妄想なり不安定な精神状態なりが原因で、
1)注目を浴びたい、ちやほやして欲しいという感情=承認欲求が肥大化する。
↓
2)自分がちやほやされるのには、それなりの根拠があるはずだと妄想し、自分は他人と較べて才能があるに違いないという、根拠のない確信に至る。この確信は、たいていの場合、幼少期のちょっとした成功体験がコアになっている。たとえば、小学校のクラスで一番の成績だったとか、親や教師から「真面目な子ね」と褒められたとかだ。しかし、冷静になって考えれば分かるが、クラスで一番の子供など日本中のクラスの数だけ存在するわけで、とりたてて特別な存在ではないし、それ以前に現在の頭の良さとは何の関係もない。つまり、地道に勉強をし続けていなければ小学生時代の成績が優秀だったとしても、現在の頭の程度はたいしたことがない。真面目な子に至っては何人いることやら………。
↓
3)それなのに、あいつらは何で俺に注目してくれないんだ? 何で俺をちやほやしてくれないんだ? と被害念慮を膨らませる。
↓
4)は! 分かった! 自分は社会(もしくは女性という抽象概念、あるいは悪の組織、あるいは国家、あるいは資本主義、あるいは白人etc)から足を引っ張られているのだ! 正当な評価が受けられない状況に追い込まれているのだ! と結論が飛躍する。
↓
5)こんな状況は許せない! 自分が正当に評価されるまで断固戦うぞ! 社会改革万歳! と自己の感情を正当化する。
となってしまい、「自分が社会にとってどうでもよい存在で、世の中の99%以上の人間は自分に無関心である」という大抵の人間にとっての現実が認識できなくなってしまうようだ。確かに、こうした精神状態になれば、社会の至る所からメッセージが発信されていることを「発見」できるようになるだろう。もちろん、そのほとんどは妄想だけど。
では、何でそれが妄想だと判るかと言えば、こうした主張者の大半が、社会から発されているメッセージを自己判断で選択していることが帰納的に証明できるから。たとえば、自分が劣っていると感じている人間は、何か特殊な事情がない限り、「君には価値があるよ」という他者からの『メッセージ』を信じないのに、「お前は駄目な人間だ。価値のない人間だ」という他者からの『メッセージ』はあっさり信じてしまう。何より、社会に漂う無数の言説が、自分とは関係がないものばかりだとは信じない。
こういうことを書くと、必ず「それじゃ、公告や政治的主張はどうなるんだ?」という反論が来るけれど、そうしたものはあらかじめメッセージを受け取る側を想定して製作されていることを忘れてはならない。つまり、卵が先か鶏が先かは明白で、劣等感や不安感にさいなまれる人間の数が一定数いることを前提に、メッセージが作られるのだ。
そして、この不安感や劣等感は、個人が社会からメッセージを受け取った結果として醸成されるのではなく、最初から別の理由(その多くは精神病や脳の疾患だけど)により精神状態が不安定になっているのである。そうでなければ、カルト系の新興宗教etcが洗脳テクニックの1つとして相手を寝かせないとか、自分たち以外の情報から相手を隔離するといった手法は使わないでしょ? たとえば、不眠症の人間はセルフで洗脳に近い状況を作り出しているわけだ。
そういう次第で、私もミソジニー本の製作に参加する以上、自分とは死ぬまで無関係な女子高生なり女子中学生なりからメッセージを受け取らねばならぬと思い立ち、ファストフード店で1時間ほど粘ってみるが、残念なことにメッセージは届かず。まあ、自分と関係がないんだから当然だけど。
その代わり、新作のアイデアはまとまった。女子中学生は私の代わりに新作のアイデアを練ってくれないからね。
1)あの女はわざと脚を露出している。
↓
2)つまり、あの女はわざと脚を見せることで男を誘っている。
↓
3)しかし、俺とセックスしてくれるわけではない。
↓
4)憎い! 憎い!
という感じで思考が推移していくらしい。つまり、このミソジニストはスカートの丈から「セックスしたい」という『メッセージ』を受け取っているような気になっているわけだ。すげえ。
こういう、『社会的メッセージ』の話を最初に読んだのは、確か中学時代に塾の講師から勧められて読んだ上野千鶴子の著作(セクシーギャルの研究だったかな?)が最初で、「女性が足を開いているポーズは男性を誘っているというメッセージ」みたいなことが書いてあって抱腹絶倒したものだが、これを地でいく男性が多数存在するとは思わなかった。
もちろん、上野もミソジニストも、その正体はただの被害妄想でしかない。電車の中で女子高生のグループが談笑していると「あいつらは俺のことを笑っているに違いない」と思いこんだり、駅のホームでサラリーマンが携帯で話をしていると、「あいつは俺の居場所を悪の組織に教えている」と思いこんでパニックになる人達とご同類だ。
それでは、なぜ彼らが自分と何の関係もない第三者の行動からメッセージを「読み取って」しまうかというと、「自分は特別な存在で、常に周囲から注目されているに違いない」という選民思想があるからだ。そして、この選民思想の正体が「注目を浴びたい」という承認欲求であることは説明の必要がないだろう。
つまり、被害妄想なり不安定な精神状態なりが原因で、
1)注目を浴びたい、ちやほやして欲しいという感情=承認欲求が肥大化する。
↓
2)自分がちやほやされるのには、それなりの根拠があるはずだと妄想し、自分は他人と較べて才能があるに違いないという、根拠のない確信に至る。この確信は、たいていの場合、幼少期のちょっとした成功体験がコアになっている。たとえば、小学校のクラスで一番の成績だったとか、親や教師から「真面目な子ね」と褒められたとかだ。しかし、冷静になって考えれば分かるが、クラスで一番の子供など日本中のクラスの数だけ存在するわけで、とりたてて特別な存在ではないし、それ以前に現在の頭の良さとは何の関係もない。つまり、地道に勉強をし続けていなければ小学生時代の成績が優秀だったとしても、現在の頭の程度はたいしたことがない。真面目な子に至っては何人いることやら………。
↓
3)それなのに、あいつらは何で俺に注目してくれないんだ? 何で俺をちやほやしてくれないんだ? と被害念慮を膨らませる。
↓
4)は! 分かった! 自分は社会(もしくは女性という抽象概念、あるいは悪の組織、あるいは国家、あるいは資本主義、あるいは白人etc)から足を引っ張られているのだ! 正当な評価が受けられない状況に追い込まれているのだ! と結論が飛躍する。
↓
5)こんな状況は許せない! 自分が正当に評価されるまで断固戦うぞ! 社会改革万歳! と自己の感情を正当化する。
となってしまい、「自分が社会にとってどうでもよい存在で、世の中の99%以上の人間は自分に無関心である」という大抵の人間にとっての現実が認識できなくなってしまうようだ。確かに、こうした精神状態になれば、社会の至る所からメッセージが発信されていることを「発見」できるようになるだろう。もちろん、そのほとんどは妄想だけど。
では、何でそれが妄想だと判るかと言えば、こうした主張者の大半が、社会から発されているメッセージを自己判断で選択していることが帰納的に証明できるから。たとえば、自分が劣っていると感じている人間は、何か特殊な事情がない限り、「君には価値があるよ」という他者からの『メッセージ』を信じないのに、「お前は駄目な人間だ。価値のない人間だ」という他者からの『メッセージ』はあっさり信じてしまう。何より、社会に漂う無数の言説が、自分とは関係がないものばかりだとは信じない。
こういうことを書くと、必ず「それじゃ、公告や政治的主張はどうなるんだ?」という反論が来るけれど、そうしたものはあらかじめメッセージを受け取る側を想定して製作されていることを忘れてはならない。つまり、卵が先か鶏が先かは明白で、劣等感や不安感にさいなまれる人間の数が一定数いることを前提に、メッセージが作られるのだ。
そして、この不安感や劣等感は、個人が社会からメッセージを受け取った結果として醸成されるのではなく、最初から別の理由(その多くは精神病や脳の疾患だけど)により精神状態が不安定になっているのである。そうでなければ、カルト系の新興宗教etcが洗脳テクニックの1つとして相手を寝かせないとか、自分たち以外の情報から相手を隔離するといった手法は使わないでしょ? たとえば、不眠症の人間はセルフで洗脳に近い状況を作り出しているわけだ。
そういう次第で、私もミソジニー本の製作に参加する以上、自分とは死ぬまで無関係な女子高生なり女子中学生なりからメッセージを受け取らねばならぬと思い立ち、ファストフード店で1時間ほど粘ってみるが、残念なことにメッセージは届かず。まあ、自分と関係がないんだから当然だけど。
その代わり、新作のアイデアはまとまった。女子中学生は私の代わりに新作のアイデアを練ってくれないからね。
3件のコメント
[C16] でもね
- 2007-08-22
- 編集
[C17] それはあり得るでしょう。
ててさん
女性は聖人じゃないし、ましてや子供には社会的常識が欠如してますから、当然そういうことはあるんじゃないでしょうか? その場で首根っこを押さえて説諭するのがベストですが、気が小さい人だと相手に声をかけることもかなわず、頭の中で言われた悪口がぐるぐる回転したあげくに、言った側が抽象化されて、女性全員が憎くなるってパターンはいかにもあり得そうです。
ただ、ポルノの場合は単なるミソジニーじゃ意味が無く、「憎いと思っているけどセックスはしたい」って点が重要なんです。普通は憎いとか嫌いだと思った相手とはできるだけ接触を避けるものでしょう? それができないって段階で色々鬱屈したものがあるハズなんですよね。その点を汲み取らないと、単に「女がいかに憎いか」ってだけの作品になっちゃって、味わい深さが出てきませんよね。
女性は聖人じゃないし、ましてや子供には社会的常識が欠如してますから、当然そういうことはあるんじゃないでしょうか? その場で首根っこを押さえて説諭するのがベストですが、気が小さい人だと相手に声をかけることもかなわず、頭の中で言われた悪口がぐるぐる回転したあげくに、言った側が抽象化されて、女性全員が憎くなるってパターンはいかにもあり得そうです。
ただ、ポルノの場合は単なるミソジニーじゃ意味が無く、「憎いと思っているけどセックスはしたい」って点が重要なんです。普通は憎いとか嫌いだと思った相手とはできるだけ接触を避けるものでしょう? それができないって段階で色々鬱屈したものがあるハズなんですよね。その点を汲み取らないと、単に「女がいかに憎いか」ってだけの作品になっちゃって、味わい深さが出てきませんよね。
- 2007-08-22
- 編集
[C181]
ちやほやされたい→ちやほやされるにはそれなりの根拠があるはずだ→他人が自分をちやほやしてくれない→つまり自分にはちやほやされるだけの能力がないからだ
とはならないんですか。いや私の事ですけど。
>しかし、俺とセックスしてくれるわけではない。
で爆笑しました。なんか可愛いじゃないですか。
とはならないんですか。いや私の事ですけど。
>しかし、俺とセックスしてくれるわけではない。
で爆笑しました。なんか可愛いじゃないですか。
- 2008-02-23
- 編集
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こんなささいなことが積もり積もって、信憑性のありそうな悪意を勝手に感じとっちゃったりするんです。
ってことはないですか?