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赤いナポレオン・瀬島龍三(1)

 撮影が終了して脱力。編集としてはこれからが本番なのは分かっているんだけど、どーしても力が入らない。新規の企画をだらだら考えつつ、先月の大トピックの1つだった瀬島龍三の死去(9月4日)に関連して、『沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか』(共同通信社社会部)『瀬島龍三―参謀の昭和史』(保阪 正康)を読み直してしまう。面白いのは、もちろん前者の方で、極左団体・共同通信が書いただけあって内容が滅茶苦茶。1つ1つの情報は正しいのだが、つなぎ合わせると全く違う意味に読める構成になっているのがツボだ。

 その理由は、瀬島自身の思想信条にある。戦前は陸軍参謀という要職を務め、終戦後から11年にわたってソ連軍によりシベリア抑留を経験させられた瀬島に、同じく抑留生活を経験した旧陸軍将校達がつけたあだ名は「赤いナポレオン」。そう、瀬島は陸軍参謀時代からシベリア抑留生活を終えて帰国するまで、一貫して社会主義を信奉していたのである。

 そして、同書が面白いのは、瀬島自身はもちろんのこと、共同通信社もこの事実を隠蔽しようとするので、重要な事実を敢えてオミットしたり、その反対に731部隊のような、残虐行為の例としては重要かもしれないが、瀬島の思想信条とはまったく関係のない事実を挿入したりという、「お化粧」を徹底的にやっている点にある。

 瀬島の「秘密」を理解するためには、彼の青年期まで遡らねばならない。瀬島が主席で第44期陸軍士官学校を卒業したのは1932年(昭和7年)。瀬島の誕生が1911年だから、現在のカウント方法で21歳の時である。

 これに先立ち、1929年の10月に世界恐慌が発生しており、国民生活は困窮し、社会主義運動が活発になっていた。特に、当時のエリート層から注目されていたのはソ連で、社会主義政策によって世界恐慌の影響から免れたと考えられていた(実際には、強制的な集団農場化のために数百万人にも及ぶ餓死者を出していた)。

 そこで、エリート層のかなりの割合が、ソ連型の社会主義に傾倒した。今、日本経済が恐慌に苦しんでいるのは、欧米式の資本主義を無批判に導入したせいだ。我々エリートがソ連式の社会主義を日本に導入すれば、恐慌など無視して経済発展が見込めるはずだ……って感じである。

 こうしたエリート思想グループが国策に影響を及ぼすのは1935年(昭和10年)に内閣調査局が設立されてから。しかし、1931年(昭和6年)には世界恐慌に対抗する目的でドイツ型の社会主義を参考にした『重要産業統制法』が成立しており、社会主義化へのレールは引かれていたと考えるべきだろう。

 この流れが結実したのが、1937年の日中戦争の泥沼化に伴う企画院の設立。この企画院を拠点に統制経済を実行したのが、いわゆる革新官僚たちだった。そして、企画院主導で1938年(昭和13年)に成立した法律が国家総動員法である。この段階で、日本は社会主義経済=統制経済に移行したと考えて良い。

 この企画院のメンバーには、治安維持法によって逮捕された前歴者が多く含まれており、また昭和研究会(1933年に、後藤隆之助新渡戸稲造、志賀直方と共に近衛文麿を補佐する目的で発足させた)のメンバーも数多く含まれていた。近衛はマルクス主義者の河上肇に自ら進んで師事するほど、左派系の論客を好んでいたのである。

 しかし、企画院に不気味な陰を落としていたのは、陸軍から派遣されていた官僚達だった。そのトップは秋永月三(当時大佐)。秋永は関東軍参謀時代から、満州国で統制経済を実施していたほどのソ連型経済の信奉者で、企画院には満州国で統制経済を実体験した官僚・軍人が多数含まれていた。そして、企画院に直接関与しなくとも、満州での軍務を経験した高級将校達が、このグループを重用した。その代表的な人物が東条英機で、彼は首相になると秋永の手引きによって満州国総務庁次長として『満州産業開発5か年計画』を実行した、岸信介を商工大臣として起用している。

 この企画院グループと瀬島の接点は2つある。瀬島が陸軍士官学校から陸軍大学に進み(1936年入学・第51期)、これを1938年(昭和13年卒業)に首席で卒業した後に赴任した最初の場所が満州だったことだ。瀬島は27歳という若年で、満州国の統制経済に関与した高級官僚の一人だったのだ。

 もう1つは大蔵官僚の迫水久常。1941年(昭和16年)に39歳で企画院に出向した革新官僚を代表する人物の一人とされている(同時期の首相はやはり東条英機)。迫水は終戦工作の一翼を担った人物として紹介される事が多いが、その実態は典型的な社会主義者だったのだ。この迫水と瀬島は、互いの妻を通した縁戚関係にあり、後述するが迫水の終戦工作は瀬島の提示したデータに沿ったものとなっていた。

 余談になるが、こうした統制経済の流れを決定づけた近衛文麿を首相に推薦したのが、陸軍中将(当時)の阿南惟幾。終戦時の陸軍大臣だった人物だ。太平洋戦争に突入する直前の、日本の指導者層は真っ赤に染められていたと言っても過言ではない。

(続く)

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Author:toriyamazine
東京都出身。
高校在学中にライターとしてデビュー。
以降は編集者・ライター・ゲームディレクター・実写アダルトDVDの監督、そして作家を兼任。
仕事はSMポルノ関係全般で、小説、ゲーム、実写etc、アニメーションを除くすべてのポルノ作品を平行して制作。年間発表数は約6作品前後がコンスタント。
一般作に関しては、別名義、もしくはアンカーマンとしてのみ参加中。

追記・最近になってメールで連絡が取れないという非難が多く聞かれるようになったので、仕事用のアドレスを公開しておきます。
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