王様を欲しがったカエル
作家・シナリオライター・編集者を兼任する鳥山仁の備忘録です。
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戦前における日本の鉄道敷設は、高級官僚、軍、鉄道技術者、政治家、そして経済人のパワーゲームによって翻弄された歴史を持つ。具体的な争点としては、国有鉄道を主体とするか、あるいは私有鉄道を主体とするかの1点と、狭軌鉄道にするか広軌鉄道にするかの2点に絞られる。
鉄道国有化の重鎮は、後に「日本鉄道の父」と呼ばれる井上勝だった。井上は長州の出身で、幕末にイギリスに密航。ロンドンで鉱山技術と鉄道技術を学び、帰国後は明治政府に出仕。創世記の主要な鉄道工事に従事した、絵に描いたようなテクノクラートである。
井上が鉄道国有化に拘ったのは、鉄道は公共の輸送施設であるべきという信念を持っていたからだった。これが利益優先、経営者の思惑優先で経営されるなんてたまったものじゃない、というわけだ。
明治政府は、井上の主張もあって初期に国有鉄道を主体とした鉄道網を構想していた。鉄道敷設の利権を先進国に委譲したインドが、その鉄道を利用されて植民地化されてしまったという歴史が、明治政府の要人に外国資本導入に対する警戒心を起こさせたのも一因とされている。
ところが、明治初期の日本人で鉄道など知っている者はごく僅かで、何だか分からないけど鉄道建設にはとにかく反対、という人間がけっこういた。今のインターネットバッシングと一緒ですな。
そこで、人家のあまり集中していない海岸線付近を通る形で、どうにか開通できたのが品川駅~横浜駅間。1872年のことだ。鉄道敷設、運営の技術はイギリスからの輸入だった。
ところが、どういうワケか完成した鉄道は狭軌だった。線路の幅(軌間)が、ヨーロッパで標準とされていた1435mmよりも狭い1067mmになってしまったのだ。その理由に関しては諸説あるが、狭軌鉄道の決定を下した大隈重信は、後年になって「一生の不覚だった」と述べていたそうだ。
狭軌と広軌(標準軌)の一番の違いは輸送量。もちろん、幅の広い線路を走る列車の方が、多くの荷物や人を輸送できる。技術的にも、広軌の方が安定しているので列車の速度を出しやすいし、新技術投入の余地がある。その反面、広軌鉄道は施設にも運営にも、狭軌に比較すると多くの金がかかる。つまり、それだけ路線を延ばすのが難しい。運営、敷設という点に絞れば、どちらが良いかというのは、一概には判断できない。
だが、作ってしまったものは仕方がない。しかも、この路線は儲かった。運賃が馬鹿みたいに高かったのに、物珍しさで乗客が集まったのだ。こうなると、私企業でも「鉄道経営をやりたい」という要望が高まってくる。
そこに起こったのが西南戦争(1877年)。これで明治政府の財政は逼迫した。西郷隆盛を代表とする士族の反乱を鎮圧できたものの、莫大な軍事費の支出を余儀なくされたのだ。このまま財政の回復を待っていたら、いつまで経っても鉄道の敷設はかなわない。
そこで設立されたのが、民間出資の日本鉄道。その実態は政府の手厚い保護を受けた「半官半民」的な存在だったが、ともあれこれで井上の計画は一度頓挫してしまうことになる。1881年のことである。
(続く)
鉄道国有化の重鎮は、後に「日本鉄道の父」と呼ばれる井上勝だった。井上は長州の出身で、幕末にイギリスに密航。ロンドンで鉱山技術と鉄道技術を学び、帰国後は明治政府に出仕。創世記の主要な鉄道工事に従事した、絵に描いたようなテクノクラートである。
井上が鉄道国有化に拘ったのは、鉄道は公共の輸送施設であるべきという信念を持っていたからだった。これが利益優先、経営者の思惑優先で経営されるなんてたまったものじゃない、というわけだ。
明治政府は、井上の主張もあって初期に国有鉄道を主体とした鉄道網を構想していた。鉄道敷設の利権を先進国に委譲したインドが、その鉄道を利用されて植民地化されてしまったという歴史が、明治政府の要人に外国資本導入に対する警戒心を起こさせたのも一因とされている。
ところが、明治初期の日本人で鉄道など知っている者はごく僅かで、何だか分からないけど鉄道建設にはとにかく反対、という人間がけっこういた。今のインターネットバッシングと一緒ですな。
そこで、人家のあまり集中していない海岸線付近を通る形で、どうにか開通できたのが品川駅~横浜駅間。1872年のことだ。鉄道敷設、運営の技術はイギリスからの輸入だった。
ところが、どういうワケか完成した鉄道は狭軌だった。線路の幅(軌間)が、ヨーロッパで標準とされていた1435mmよりも狭い1067mmになってしまったのだ。その理由に関しては諸説あるが、狭軌鉄道の決定を下した大隈重信は、後年になって「一生の不覚だった」と述べていたそうだ。
狭軌と広軌(標準軌)の一番の違いは輸送量。もちろん、幅の広い線路を走る列車の方が、多くの荷物や人を輸送できる。技術的にも、広軌の方が安定しているので列車の速度を出しやすいし、新技術投入の余地がある。その反面、広軌鉄道は施設にも運営にも、狭軌に比較すると多くの金がかかる。つまり、それだけ路線を延ばすのが難しい。運営、敷設という点に絞れば、どちらが良いかというのは、一概には判断できない。
だが、作ってしまったものは仕方がない。しかも、この路線は儲かった。運賃が馬鹿みたいに高かったのに、物珍しさで乗客が集まったのだ。こうなると、私企業でも「鉄道経営をやりたい」という要望が高まってくる。
そこに起こったのが西南戦争(1877年)。これで明治政府の財政は逼迫した。西郷隆盛を代表とする士族の反乱を鎮圧できたものの、莫大な軍事費の支出を余儀なくされたのだ。このまま財政の回復を待っていたら、いつまで経っても鉄道の敷設はかなわない。
そこで設立されたのが、民間出資の日本鉄道。その実態は政府の手厚い保護を受けた「半官半民」的な存在だったが、ともあれこれで井上の計画は一度頓挫してしまうことになる。1881年のことである。
(続く)
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