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『正しい』男女交際モデル(80年~90年代の北関東限定)・上編

 冗談抜きで鬱が酷くなってきた。これだけ重いのは、だいたい6年ぶりぐらいかな? 原因に関しては複合的なものだから、とりあえず麻酔薬を突っ込んで睡眠時間を確保しつつ、目の前の問題を一つずつ解決していくしかないね。せーかーいーは、なくならなーい!

 で、その間にも色々な方法で現実逃避を試みているんだけど、その中の1つにブログ巡回があって、『原野商法1997』から『或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-』というブログに飛んだ時に、そこに書いてある非モテ論を読んで、非モテ論がセクシュアリティ論やジェンダー論のようにグダグダになっている状況を知って驚愕。いやあ、人間の考える事って、そんなに変わりがないんだなーと納得(ネットみのもんたという蔑称には笑った。まったくおっしゃるとおり)。

 このブログで何度か書いてきたことだけど、非モテ問題(?)が深刻なのは、これがコミュニケーションスキルの優劣と直結していると「見なされている」からだ。つまり、彼氏なり彼女なりがいない人間は、人格的に何らかの問題を抱えているのではないかという差別にさらされている、ということだ。

 このような状況が発生したのは、これも前に述べたように、社会の流動化が以前と比較して激しくなったからに他ならない。つまり、人口移動や職種変化の少ない社会では、「村の掟」を守ってさえいれば集団から排除されることがなく、人間関係構築能力に多少の問題があっても先祖代々住んできた場所であれば許容されていたのに対して、人口移動が激しく職種もばんばん変化する社会では、対他関係構築能力のない人間は、よほど恵まれた環境下にない限り、あっという間に孤立、排除されてしまう。

 だから、一昔前であれば「彼氏がいない、彼女がいない」人間でも「村の掟」を守ってさえいれば「まあ、あいつは一人前ではないが仕方がない」となっていたところが、今では「あいつは彼女もできない欠陥人間だ。排除しよう」ということになる。

 が、ここからが皮肉だけど、自由度の高い社会に適応できるほど高度なコミュニケーションスキルを有した人間の数などたかが知れているわけで、

社会の自由度が高くなる。

それに比例して、高いコミュニケーションスキルを要求される。

脱落者が続出。

いつしか脱落者の方がマジョリティに。


 という状況が生じて、結局は「新しい村のルールを作ってくれよー!」的な主張が多数を占めるようになる。これが、バックラッシュと呼ばれる現象が起こるプロセスだね。個人的には、社会の流動化、自由度の上昇が一定以上まで来れば、恋愛に対するバックラッシュが急激に増加する可能性があると読んでいるだけど、これも前に書いた通り昔から恋愛と戦争にはルールがない、と言われるほどマニュアル化とは縁のない行為を型に填めることが出来るかどうかは疑問というか、実際には無理でしょ。ジェンダー論やセクシュアリティ論が不毛な循環を繰り返しやすいのも同じ理由だよな。

 ただ、こうした問題の焦点を「恋愛」という抽象的な概念ではなくて「交際」という具体的な行為に置き換えれば、少しはマニュアル化可能というか、教則っぽく「見せる」事は出来るんじゃないか、というのが最近の私が興味を抱いているテーマだ。つまり、恋愛と戦争が同質なのであれば、「戦闘マニュアル」が作れるのと同じ理屈で「交際マニュアル」が作れるんじゃないかと考えた次第。

 このような興味を私が抱いたのは、関西人と会うたびに「関西と関東の交際方法は違う」と主張されたことが原因だ。実際に、関東人の女の子が関西人の男性を嫌うケースというのは意外に多くて、「関西人の男って、ベタベタしてきてキモくないですか?」という相談を受けた事が何回もあったりする。

 ところが、この2つの違いというのがどこにあるかが、具体的によく分からないんだよね。どうも、対人距離感の違いみたいなんだけど、そういう感覚的な事象を言語化するのはそもそも難しい。

 そこで、各地域の男女交際のあり方の差異を分かり易く表現するテストケースとして、自分の経験を元に「男女交際のモデル」を作ってみることにした。ただし、あくまでも私とその周辺の人間の経験を元に構成したものだから、場所は北関東周辺、時代は80年代~90年代で、なおかつヘテロセクシャルという「縛り」があることを予めお断りしておきたい。従って、当世の恋愛事情とは大きく異なるだろうし、このモデルケースが実際の恋愛に役立つ可能性はほとんどない。そもそも、これは「交際」のマニュアル化であって、「恋愛」のマニュアル化ではないのだから、仮に同じ方法で現代版を作ったとしても、恋愛の役に立つ可能性は限りなく低いと思う。

1.小学校期
 小学校時代の男女交際は、女子、及びに女性親のイニシアティブによって進行する。つまり、女の子の方が付き合ってみたい男の子を選定し、声をかけるという手順を踏むケースが圧倒的に多い。

 こうしたアプローチは、女の子単独で行われることはあまりなく、彼女の母親との共同作業、少なくとも母親の暗黙の了解がある事の方が多い。つまり、女の子に付き合ってみたい男の子が出来ると、これを母親に相談し、自宅に呼ぶ手はずが整えられることになる。

 仮に母親が男の子の母親と知り合いの場合、計画はスムースに進行する。母親同士の間で話し合いがなされ、男の子は女の子の家に「お呼ばれ」することになる。知り合いでない場合は、少し複雑な手順が必要だが、やはり男の子は女の子の家に「お呼ばれ」する。

 従って、女の子の母親が男女交際に対して理解がないか、地域社会から疎外されている場合、女の子の目的は阻止される場合が多い。これはアプローチを受ける男子側も同様で、彼の母親が男女交際に対してネガティブな感情を抱いていると、積極的に自分の息子を女子から遠ざけようとするようだ。ただし、私自身はこのような事例を直接聞いたわけではなく、関西出身の作家である本田透、青森出身の通り魔である加藤智大の発言しか確認できていない。断言は出来ないが、特殊例の可能性が高い。

 通常、母親同士の間で合意が成立すると、男の子は女の子の家に「遊びに行くように」と、自分の母親から命令を受ける。このような措置がなされるのは、大半の男子は放置しておけば男友達同士と遊んでしまうからである。だから、時間を区切って隔離する必要があるのだ。もう、この時期から「仕事と私とどっちが大事なの?」的なシチュエーションは始まっているわけですね。はい。

 こうして、当日になると男の子は女の子の家に遊びに行く。ちなみに、男子の大半は、どうしてこのような事をするのか理解をしないというか出来ない。特に女の子がクラスメイトでない場合は、「何だか分からないが、とにかく母親が行けと言ったから遊びに行く」感じである。

 女の子の家に行くと彼女と母親が待っていて、お菓子とかジュースを振る舞われる。これで、大半の男子は懐柔される。それから、二人で本を読んだり話をしたりして遊ぶ。女の子が積極的だと、身体的な接触を試みてくる場合もある。ただし、そこに性的な意味があるかどうかは分からない(たぶん、ないと思われる)。私の場合、女の子に「爪を見せろ」と言われ、伸びていると切ってもらうとか、衣服の乱れを直してもらうというパターンが多かったように記憶している。おそらく、私の子供時代はまだ性別による社会的役割分化が強かったので、このような「おままごと」的な展開になったのではないかと思われる。

 母親同士が疎遠の場合、男子は勉強会という目的で女子から呼び出しを受ける事が多い。このパターンの場合、ほぼ例外なく女子側が複数である(勉強会だから?)。男子への呼び出しは、興味を示した女子ではなく、彼女の女友達によって行われる。母親の命令と違って強制力はないが、複数の女子に囲まれると怖いので、やはり誘いを断るのは難しい。こうして、一対多の勉強会が開催されるのだが、この場合は男女の身体的な接触は一切ない。勉強して、お菓子喰って終わりという感じである。

 このような「お呼ばれ」が小学生男子にどの程度の頻度で発生するのか、正確な回数はよく分からない。私と私の知人の曖昧な記憶が間違っていなければ、だいたい5~6人ぐらいの女の子に呼ばれたような気がする。これも記憶が曖昧だが、このような「お呼ばれ」が定期的に行われたケースは、その中の2~3人だったはずなので、1人の男子に付き2~3人の女子ぐらいの割合であったんじゃないかと思うが、実数はやはりよく分からない。

 また、上記のパターン以外に、女の子が好きな男の子にラブレターを送るというケースもあったらしいのだが、私の身辺では確認不可能だった。男の子が女の子に告白したというケースも少数ながらあったらしいが、やはり私の身辺では確認できなかった。

 以上のように、小学生期の男女交際は概ね親の監視下で行われ、性的な意味合いはほとんどない。これは、子供に性欲がないことを意味しない。性欲はあるのだが、目の前にいる女子が性の対象であるとは認識できないのである。認識できるようであれば、それは立派な小児性愛者なので、この段階で男子の男女交際にはエンドフラグが成立したも同然となる。

(続く)

15件のコメント

[C715]

小学校の頃か~何もかも皆懐かしい…
小学生って好きとか意識し始めた頃な
せいかそーいう話があると大抵周りが
ひやかしていたっけなぁ~。
そのせいか小学生の頃ってその手の
話はあまり耳にしませんでしたよ。
(私のコミュニケーションスキルが低いせい
 だったかもしれませんがががががw)
  • 2008-09-20
  • 投稿者 : きはらん
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[C717]

>社会の流動化、自由度の上昇が一定以上まで来れば、恋愛に対するバックラッシュが急激に増加する可能性がある

これまで賛美されてきた「自由恋愛」という物語が崩れるときはきますか。
もっとも、現実ではすでに崩れてるかもしれないですよね。高学歴、高収入、高身長という、恋愛感情に惑わされないシビアな考え方は普通にありましたし。
  • 2008-09-20
  • 投稿者 : sugi
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[C718]

えー、「高学歴、高収入、高身長」をお求めの皆さんなら、結婚相談所にでも行けば掃いて捨てるほど遭遇できます。
逆に、ホストクラブとかでよく言われる大原則は、「絶対に自分の好みを客に言うな」だそうです。
身長はどれぐらいが良いとか、目の大きい人が好みだとかいう「自分の好み」に合致する客なんて、
まず現実には現れません。
だから、自分の好みを言った瞬間に、大多数の客を排除してしまう事になります。
ホストのようなモテモテ状態というのは、言い換えれば「どんな客でも受け入れる」からこそ可能なのでして、
あーでもない、こーでもないと己の理想像を追求する人は、その段階でほぼ非モテ確定だったりするのです。
非常に運が良ければ別ですけれど。
さておき、この相手を選ばない柔軟な対応能力こそが、恋愛において一つの重要な鍵となるのであり、
故に、恋愛にマニュアル無し、と言われるのではないでしょうか。
ただし、ホストみたいにモテモテじゃなければ、対人コミュニケーション能力に欠陥があるというのは、
なんぼなんでも極論でしょう。
結婚相談所にやってくる羽目になる、理想主義の皆さんも、別に社会不適合者という訳ではありますまい。
そういえば、オタク連中の大多数は、偶像に過ぎないキャラに萌え萌えで、
己の理想像を追求するのに余念が無いですね。
  • 2008-09-21
  • 投稿者 : Seven
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[C719]

>「高学歴、高収入、高身長」をお求めの皆さんなら、結婚相談所にでも行けば掃いて捨てるほど遭遇できます。

はは、どこをいっても現実は厳しいですねw
  • 2008-09-21
  • 投稿者 : sugi
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[C720] 小学校期の例はすごい!

>小学校時代の男女交際は、女子、及びに女性親のイニシアティブによって進行する。つまり、女の子の方が付き合ってみたい男の子を選定し、声をかけるという手順を踏むケースが圧倒的に多い。

あまりにも自分の境遇と同じでビックリしてます。たぶん小学校時代にアプローチをかけられた方はこのパターンがほとんどなのではないでしょうか?

>母親同士が疎遠の場合、男子は勉強会という目的で女子から呼び出しを受ける事が多い。このパターンの場合、ほぼ例外なく女子側が複数である(勉強会だから?)。男子への呼び出しは、興味を示した女子ではなく、彼女の女友達によって行われる。母親の命令と違って強制力はないが、複数の女子に囲まれると怖いので、やはり誘いを断るのは難しい。こうして、一対多の勉強会が開催されるのだが、この場合は男女の身体的な接触は一切ない。勉強して、お菓子喰って終わりという感じである。

おっしゃる通りです。まるで小学校の私生活を見られていた気分です。例外なく女子が多いのもまったくその通りです。

>以上のように、小学生期の男女交際は概ね親の監視下で行われ、性的な意味合いはほとんどない。これは、子供に性欲がないことを意味しない。性欲はあるのだが、目の前にいる女子が性の対象であるとは認識できないのである。

そうです。おっしゃる通りです。そういう気分には全くなりませんでした。認識する余地がまったくなかったといいますか、うーむ、言葉で説明するの難しいです。

>、「関西人の男って、ベタベタしてきてキモくないですか?」

ごめんなさい。多いに反省します。これは逆に言うと、関西人は甘えたがりが多いってことなんですかね?と思っていたらこんな解説が

http://zokugo-dict.com/01a/amaeta.htm

これは鳥山さんの説を裏付けるものですね。ただ、私自身は甘えてる現場を見るのはあまり気分のいいものではないですけど。(自分は分からないようにやるw。ていっても完全にバレてると思いますが・・・)

[C721]

>この段階で男子の男女交際にはエンドフラグが成立したも同然となる。

いやいや、まだ教員or塾講師として美少女小学生とお近づきになる道が残さ(以下略
  • 2008-09-21
  • 投稿者 :
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[C728] きはらんさん

いや、それが普通ですよ。
要するに、学校で公認になると冷やかされるから、男の子が家に呼ばれるんです。だから、本人と両親しか関係を知らないケースが大半だったと思います。
小学校時代の交際って、結構、秘匿性が高いんですよね。
  • 2008-09-22
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C729] sugi さん

 「恋愛」はカバーする範囲が広すぎて即答できかねるんですけど、家父長制に対抗する意味における、女性の「自由恋愛」であれば、ヘテロセクシャルに限った話ですけど、社会的には特殊な階級以外は達成されており、むしろ自明化していることの方が問題ではないでしょうか?

 つまり、男女込みで誰でもシンデレラになれるわけではないという現実に、どう向き合っていくかという指針が要求される可能性が高い、ということです。

 従って自由恋愛という物語は崩れず、これを前提としたアンチテーゼの出現というのが想定される流れではないでしょうか? すでに電波男などのいわゆる喪男系書籍は相当数出ているわけですし、今後はこの方向で「恋愛は出来ない。だがしかし、現実の彼女(彼氏)は欲しいのだ」という内容の主張が出てくるんじゃないかってことですね。
  • 2008-09-22
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C733] Sevenさん

まあ、ホストが例示なのはどうかと思いますが、コミュニケーションスキルが高いというのが、ニアイコールで「えり好みをしない」というのは間違いないでしょう。

問題なのは、そこに差別の要素が絡むことで「排除は許さない」を突き詰めていくと、理想の人間像がホストになってしまうことです。

ドイツ人というか、ヘーゲルはこれを称揚しましたが、結果としてドイツ人のやったことは、ユダヤ人差別を許容する政党、すなわちナチスの台頭を許しました。

今でも「差別反対」を主張する人間は、すぐに「ユダヤ人を特別視するのはどうか?」と言いだし、オリエンタリズム批判を持ち出します。差別感情が強い奴に限って、「差別は良くない」を全面に打ち出すのは、どの時代でも一緒ですよね。
  • 2008-09-24
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C734] mudan さん

小学校期は関西でも展開が一緒なんですね。
ちょっと驚きました。
余談ですが、甘えたがりは関東の男性にも結構います。この件に関しては、差別感情は一切ないので悪しからず。

話は全然違いますけど、コメントにあった「光と水のダフネ」を遅まきながら見ています。シナリオが手堅くて好みです。いや、良いものを教えてもらいました。

お陰で自分のストライクウィッチーズに関する違和感は、年齢に関するモノだったことも再確認できました。だって、本城レナの前貼りはぜんぜんオッケーだったんですから。

偏見とは恐ろしいものですねー。
  • 2008-09-24
  • 投稿者 : 鳥山仁
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[C735] 721さん

そして、その件をブログに喜々として書いてしまい、周囲からキモがられ、「おあれは両親に信頼されているんだ」と逆ギレする……って、もう特定個人じゃん。

 まさか、自分の担当している小学生の生理日にまで言及するとは思いもよらず、マジキモかったですよ。それ以前に、えこひいきを公言する塾講師って職業的にどうなんだと思いますけどね。ぶっちゃけすぎでしょ。
  • 2008-09-24
  • 投稿者 : 鳥山仁
  • URL
  • 編集

[C736]

あひゃひゃ。
キモいと言えば教え子(中学生)の下ネタに聞き耳を立てつつ「性教育が大事」とか言ってる塾講師も相当キモいですよ。

あー、リオデジャネイロで塾講師対決やらないかな。
なにを競うのか知りませんが。
  • 2008-09-24
  • 投稿者 : 721
  • URL
  • 編集

[C742]

>鳥山仁さん
>恋愛は出来ない。だがしかし、現実の彼女(彼氏)は欲しい

そういう関係を評する言葉としては「腐れ縁」しか思い浮かびませんね(笑)
まさかお友達ともいえないし。
  • 2008-09-27
  • 投稿者 : sugi
  • URL
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[C744] 721 さん

ブラジルでの子ども国際会議は、11月下旬開催予定で、そこでカマヤン先生と綱野先生の塾講師対決が見られれば、そりゃ面白いでしょうよ。

まあ、それまでに単純所持の法制化を阻止できれば、我々の暫定的勝利なんですけどね。
  • 2008-09-29
  • 投稿者 : 鳥山仁
  • URL
  • 編集

[C747] sugi さん

この辺のニュアンスはどう表現したらいいのか分からないんですけど、「恋愛」の儀式的な側面を排除した男女関係が構築できること、というのがライフスタイルの理想として提示されるってことですかね?

つまり、結婚にまつわる様々な習俗が徐々に廃れていったのと同じような過程で、「恋人同士であればすべき事柄」が廃れていくという感じでしょうか?

リアルな男女関係の変化をシミュレートすると、この方向がもっとも可能性が高いような気がします。
  • 2008-09-29
  • 投稿者 : 鳥山仁
  • URL
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Author:toriyamazine
東京都出身。
高校在学中にライターとしてデビュー。
以降は編集者・ライター・ゲームディレクター・実写アダルトDVDの監督、そして作家を兼任。
仕事はSMポルノ関係全般で、小説、ゲーム、実写etc、アニメーションを除くすべてのポルノ作品を平行して制作。年間発表数は約6作品前後がコンスタント。
一般作に関しては、別名義、もしくはアンカーマンとしてのみ参加中。

追記・最近になってメールで連絡が取れないという非難が多く聞かれるようになったので、仕事用のアドレスを公開しておきます。
jjnewzine★gmail.com
です。★マークを@に変えて使ってね。

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